太宰治の代表作「斜陽」にはモデルがあると言われていた。小説の中で、主人公は未婚の母となるが、モデルの太田静子も太宰の子供を産み、名前は父親の太宰につけてもらう。
あまりに有名な話で、太宰担当の新潮社の編集者、野原一夫の「回想の太宰治」にもそのことは触れられている。
治子さんは昔よくテレビに出ていらして、お父さんによく似ているなと言う印象。いろいろとあったはずだけど、やはり才能も受け継がれていたのかなと思った。
こちらは太田治子の側から見た、「斜陽」完成のいきさつ。以前何かの番組で(たぶん徹子の部屋)著者が出演、「斜陽」は父と母の合作と常々母が言っていたと話していた。(記憶あいまい)
この本読むと、始まりはお嬢さん育ちの文学少女が作家にファンとして近付き、作家はその人に興味を持ち、日記を書いてもらってそれを下敷きに小説ができないかと考えていたことが分かる。
瞳ウルウルの、自分に心酔する女性に恋心を抱かせるのは太宰の筆力をもってすればいとも簡単。太田静子に送った手紙、言った言葉が採録されているけれど、どれも文学になっているところが太宰の太宰たるところ。
女性の方はやがて、この人の子供を産みたいとまで思い詰め、手紙を書く。温泉宿に籠って仕事をすると家を空けた太宰は太田静子の家に数日逗留、その時に著者を授かったらしい。そこらあたりはぼやかしてますが。
その後の太宰は、家庭のほかに子供ができたことにうろたえ、保身に走っているようにしか、私には見えない。お金の心配はしなくていいと言いながら、すぐに太宰は女性と心中自殺するのである。一時金として100万円もらったけど、今の貨幣価値なら相当だと思うけど、やがてそれもつき、経済的には追い詰められる。
そこの辺りはこの本の後の話なので詳しく書いてないけど、静子の実家は大きな開業医で、親せきや兄弟の援助もあった模様。
今でも、この国は未婚の親子に厳しい。世間の目も国や自治体の制度も。ましてや戦後すぐの、まだ貧しい時代、太田静子は思い切ったことをする女性だと思った。それだけ太宰が好きで、まっすぐ突き進んでいく。たおやかな強さがあったと思う。著者が生まれて、私もよかったと思う。父を誇りに生きてこられたことでしょう。
太宰治のような天才文学者に世間並みの道徳を求めても無理。そうしたくて、そうせざるを得なくてややこしいことをし、やむにやまれず小説を書いていた。その必死さが時代を越えて人の心を打つ。この本も静かに感動した。
治子さんからお嬢さんへ、太宰のもう一つの血脈が続いて行くことがよかったと思う。