この辺りでは1月14日~15日がいわゆる小正月です。
小正月には、昔から団子刺しの風習があります。
これがいわゆる団子の木。見にくいですが一番手前の木です。
小正月には、昔から団子刺しの風習があります。
これがいわゆる団子の木。見にくいですが一番手前の木です。
正式にはミズキ(水木)のことです。
この辺りではミズキとは言わず誰もが団子の木と言います。小正月に団子刺しに用いる木なので、そう呼ばれるのです。
ミズキは肌がなめらかで赤みを帯び枝がすんなりと伸びる美しい木です。確かに枝先は団子が刺しやすく、誰が使い始めたのかバランスがすこぶる良い木で、同じような木が見当たりません。
ミズキはこけしを作る材料として使用される貴重な木ですが、それを団子刺しに使うくらい、小正月の団子刺しは大きな行事だったというわけです。今でもその風習を伝えるため小学生や幼稚園児達が団子刺しを体験しているニュースがこの時期になると必ず流れます。
この行事は、ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、さらに鯛や宝船などの飾り物をぶら下げて神棚や部屋に飾り、豊作や家内安全・家内繁栄などを祈願するものです。
私自身はそろそろ止めてもいいと思っているのですが、助っ人が我が家の分まで作ってきてくれるので、続けているというわけです。団子の木(ミズキ)だけは私が切ってやります。
昔から見ればほんの慎ましいものではあります。
半世紀以上も前のことになりますが、私が幼少の頃は大きな木まるごと1本に団子を刺したのでした。それを大黒柱に括り付けるので、部屋中いっぱい紅白の花が咲いたようになったものです。
当時は団子と言っても餅をついたものです。団子は米粉を練って作りますが、団子の数が半端でないので臼で餅をつき、それを小さくしてミズキに刺すのです。団子刺しは、女の正月とも言われる小正月にふさわしい華やかな行事だったといえます。
そして、15日は夜明け前に、囲炉裏に掛けた大きな鍋で作った「暁(あかつき)団子」を食べました。
当時は団子と言っても餅をついたものです。団子は米粉を練って作りますが、団子の数が半端でないので臼で餅をつき、それを小さくしてミズキに刺すのです。団子刺しは、女の正月とも言われる小正月にふさわしい華やかな行事だったといえます。
そして、15日は夜明け前に、囲炉裏に掛けた大きな鍋で作った「暁(あかつき)団子」を食べました。
記憶も曖昧になってしまいましたが、米も入っており薄い小豆粥に団子が入ったようなもので、あまりおいしいとは思いませんでした。ただただ眠かったことを憶えています。この風習は、囲炉裏がなくなった時に姿を消したのではないでしょうか。遠い昔の話になりました。
こちらはみぞれが舞っていましたが、積もるまでにはなりませんでした。この辺りでは団子刺しと言いますが、岩手県では水木団子と言うようですね。
繭玉というのは私も聞いたことがあります。
夕べから今朝にかけて雪が降りましたが、陽がさして雪は解けて暖かな日でした、団子の木に団子を刺すのですね、こちらは柳の木にさしますが、お繭玉と言います、昔養蚕が盛んだったので今でもまゆの形にしてさし飾っておいてどんど焼きの時に焼いて食べます。