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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2022-8-20(土)、除草剤散布にドローン ☁️

2022年08月21日 04時48分08秒 | 年金・高齢者
室温は、28.7度。
5時過ぎても外が真っ暗だか、雨が降りそうにもないので、畑に行き、草取りをしたり、キュウリ、ゴーヤの柵を取ろうとするが、ビニールの紐がなかなかスムースに取れなくて、途中で諦めてしまった。

次回来るときによく切れるハサミを持ってくることにする。

近くに散歩に出掛けると、稲穂が出たばかりの田んぼの上に、ドローンを飛ばして、除草剤を撒いていた。

最近の利器を使って、除草剤の散布を行うようになったんだ。

でも除草剤を撒いた田んぼの米は食べたくないなあ。

最近の米作りは、高齢化してどんどん業者に委託して機械化が進み、収穫しても自分ところで食べる米もなく、米が売れても委託業者に支払う方が高くて赤字になっていると農家の人はぼやいています。

後を継ぐ人もいなくて、田んぼや畑の放棄地が増えているのも現状です。

これでは日本の自給率はどんどん下がるばかりである。

今回のウクライナ紛争の中で、小麦を始め、大規模な値上げラッシュとなり、輸入に頼る日本はこれから食料確保はどうなるのだろうかとても心配となってくる。

久し振りに友人がやって来て、一人暮らしをしているが、毎日のように午後から老人福祉センターに出掛けて、温泉に入って、おしゃべりをしているのがとても楽しそうである。

帰りに接骨院に行って、体をほぐしてもらうのが日課となっている。

医者に栄養不足になっているので、もっと肉や魚などのタンパク質をとるように言われてしまったとのこと。

一人暮らしになると、知らぬ間に食事が偏るようである。

近くの喫茶店でランチを食べに行ったが、全部食べることができなくって、特にご飯を半分くらい残していた。

少しづつ食事の量が少なくなってきたことを感じる。

週に2~3回お弁当を頼むことを考えた方がいいかもしれないと感じました。

今日の万歩計は、6,270歩でした。

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2022-8-19(金)、日進で友人と 🌞

2022年08月20日 04時52分14秒 | 友人
室温は、26.7度。
秋を思わせる涼しい朝となって、晴れ渡った鈴鹿の山々もスッキリと見える。

散歩に出掛けると、大井神社で「ツクツクホーシ」の賑やかに鳴いて、稲穂も実のりはじめ、一気に秋めいてきました。

伊那の友人が日進市の娘さんのところに帰っているというので、娘と永和駅から八田までいき、地下鉄で伏見で豊田線に乗り換えて、日進駅のロータリーで待ち合わせる。

彼女がいつも行く喫茶店でランチが野菜タップリでとても美味しかった。

彼女とは50年前に港共同保育所を一緒に作り、一時一緒に働いていました。

その後彼女は東郷町に引っ越しし、議員となり、私は佐屋町に引っ越し議員となった。

同じような経歴を持ち、何だかとても気が合い、彼女は議員をやめてから、伊那の山奥にIターンして、17年間ブドウ畑の手伝いや200坪の畑を借りて、野菜作りをしています。

時々日進市にいる娘さんのところに帰ってきています。

日進市には夫のお墓参りにお彼岸や命日に時々来る機会があるので、これからも時々会いましょうと約束しました。

今度29,30,31日に青春18きっぷを使って、飯田線に乗って、伊那に娘と行く予定をしています。

お世話になりますがよろしくお願いします。

今日の万歩計は、9,669歩でした。





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2022-8-18(木)、奇跡の人

2022年08月19日 06時23分46秒 | 本と雑誌
室温は、27.2度。
夕べから雨が降り続いていて、随分涼しくなって目が覚める。

図書館で借りてきた原田マハさんの「奇跡の人」を読む。

明治4年、去場安(さりばあん)は弱視で生まれ、9歳で岩倉具視使節団の女子留学生として渡米し、22歳になるまでの13年間をアメリカで過ごし、英語、英文学、ピアノ、心理学などを学び帰国する。

伊藤博文から友人の介良貞彦氏の3重苦(目が見えない、口が聞けない、耳が聞こえない)の長女れんの教育を頼まれる。

青森の介良家の大邸宅にやって来た安は、6歳のれんが蔵に押し込まれ、ただ食物を与えるだけの獣のようなくらしをしていて驚く。

れんは11ヶ月の時に病で3日3晩高熱だったが、何とか一命は取り止めたが、視覚、聴覚を失うことになり話すことも出来なかった。

そのために6歳になるまで蔵の中で育てられた。

凄い臭いの蔵の中でれんと暮らすが、叫ぶ、暴れて手に負えないので、蔵の中を綺麗に片付けさせて、いやなことは首を振り、欲しいときにはうんと頷くくように、手を頬に当てて、根気よく何度も繰り返して、食物を与えることから始める。

しかし、兄の婚礼が妹のために破談になっていることで、れんのご飯に毒を盛られることがあり、老婆ひさが一人住む別邸で、安とれんのくらしが始まると、みるみるうちにれんが落ち着いてきた。

ある日ボサマという盲目の旅芸人の親子が、津軽三味線で歌を歌いにやって来た。

キレイな声で三味線を引く娘のキワにしばらくれんの遊び相手になって、指文字を覚え、物には名前があることを覚えていく。

突然父親が別宅にやって来て、正座をして、挨拶できるれんの様変わりの姿に驚いて、直ぐに本宅に連れて帰ると言い出す。

キワを寺に預けて、本宅に帰って来たれんだが、甘えさす母親に以前のように食物を手で食べようとして暴れるので、安が叱りつけて、しばらく修羅場となる。

二人だけでうんうんイヤイヤを繰り返して、キチンと座って箸で食事が出来るようになる。

水という言葉を初めて口から出るようになると感動で言葉にならなかった。

重要無形文化財の演芸部門の認定者としてキワが舞台で津軽三味線を演奏するとこになって、「奇跡の人」となったれんと70年ぶりに出会うことになって物語は終了する。

ヘレン・ケラーの「奇跡の人」を彷彿させる話ではあるが、なかなか読みごたえがあって、一気に読んでしまった。

何歳になっても、子育ては難しいものですね。何事も根気よく優しく育てることが大切なことを学びました。

今日の万歩計は、6,707歩でした。





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2022-8-17(水)、いわさきちひろ展 ☂️のち☁️

2022年08月18日 04時56分47秒 | 美術、文化展
室温は、28.3度。
夜中から雨が降り続いて、涼しくなってきた。

やはり暑さは、一気に盆を過ぎてから、雨が降るせいか徐々に気温が下がってきた。

今日は娘の45歳の誕生日である。

二人で西保町の「ルミウッコ」のランチを予約して出掛ける。

有機野菜がタップリの彩り鮮やかなワンプレートのランチがとても美味しい。

手作りのイチジクと杏仁豆腐のケーキも甘味を押さえたまろやかな口当たりにホッこりとする。

娘が三重県立美術館で行っている「いわさきちひろ展」を見に行きたいというので出掛ける。

近鉄弥富駅から40分ほどで、津駅に到着して、歩いて10分ほどで緑の木々に覆われた三重県立美術館に到着。

娘が障がい者手帳を出すと、無料で二人とも入ることができた。


いわさきちひろが若いときに松阪市出身の中谷泰画家を油絵の師として学び、二人の絵が始めの内は展示されていた。

今までいわさきちひろの油絵を観る機会が少なかったが、中谷泰との何点か油絵の作品と一緒に観ることができた。

戦後いわさきちひろが絵本作家として、独特なやわらかな子どもや花々の絵が広く愛されてきた。

絵の好きな孫娘にアンデルセンの「絵のない絵本」と「十五夜の月」のクリアファイルを買ってきた。

子どもから高齢者まで多くの人に愛されたいわさきちひろの絵だけに、子連れの若い夫婦や高齢者がたくさんの人が観賞しに来ていた。

娘にとって嬉しい誕生日になってくれたら嬉しいなあ。

美術館めぐりは、心を穏やかにさせてくれるものですね。

今日の万歩計は、10,604歩でした。








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2022-8-16(火)、娘の悩み ⛅のち☂️

2022年08月17日 07時10分36秒 | 家族
室温は、29.3度。
曇り空で多度山、養老山は見えるけれど、鈴鹿の山々は雲に隠れて見ることはできない。

蒸し暑い朝を迎え、日傘を指して散歩に出掛けても、汗が滲んでくる。

家の庭のサルスベりの濃いピンクの花が満開である。

巡回バスに久し振りに乗ると、運転手から「和子さん久しぶり」と声が掛かってビックリ。

最近男性から名前で呼ばれることはあまりなかったので、2度ビックリであるが、何だか嬉しいですね。

バスに乗ると団地の人たちが「和子さん」と呼ぶのを聞いて覚えてくれたのでしょうね。

図書館で延長しようと思っていた本が、返還が1日遅れだったために借りれなかった原田マハさんの「奇跡の人」と夢枕獏さんの「神々の山嶺(いただき)」を借りてきました。

昨日は一人旅に出掛けた娘が、12時半ごろ家に帰って来たというラインがあったので、蟹江の「吉兆」でランチを友人と食べているので来るように連絡するが、疲れているので家で眠っているということだった。

14時頃に帰って声をかけると、待っていましたように、昨日からの一人旅の様子を聞かせてくれました。

名古屋から藤が丘に行って、カラオケに行き、朝まで一人カラオケで久し振りに歌いまくり、朝方6時に出て、日進市の夫のお墓のある五色園に行き、お参りをして帰ったとのこと。

相当歌いすぎて、喉は枯れ、眠っていないので、眠くて疲れて帰って来たようである。

父親の墓参りをしたことで、吹っ切れたのか、今まで44年生きてきて、何度も死にたいと思ったことがあるとコンコンと思ったことを語り始めました。

軽い知的障害があることは、小さいときは分からなかったが、何だか他の人との違いを感じていたし、苛められることも多かった。

特にお兄ちゃんたちは、自分の鬱憤を晴らすように苛めたし、級友たちとも会話についていけなくて無視されたり、苛められることもよくあった。

自分は生きていても仕方がない何て考える日々だったという。

お母さんは仕事が忙しく、私の話をじっくりと聞いてくれる時間がなかった。

おばあちゃんはゲームしたりしてよく遊んでくれた。

お母さんは絵本をよく読んでくれたし、本もイッパイ買ってくれた。

子供の頃の事をよく覚えているもんだと感心するくらいであった。

30歳で統合失調症になり、娘なりに15年苦しんで来ました。

友達のこと、お母さんとのこともメンタルクリニックの医師にもカウンセリングを受けて、聞いてもらっているとのこと。

夕食後も、ずっと思いの丈を話したら、スッキリしたようであった。

娘も母親に甘えて、イッパイイッパイおしゃべりしたいことがあったが、なかなかじっくりと聞いてくれない母親にジレンマを感じていたようである。

これからは娘とキチンと向き合って、話を聞くとこから始めようと決心する。

今日の万歩計は、12,164歩でした。
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