初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

朝日放送(ラジオ)誕生

2014年07月21日 22時21分52秒 | Weblog


朝日放送が大阪市福島区福島の

堂島川(どうじま)に3度目の

新社屋が建ちました

… … …

朝日放送の出発は

同じ堂島川,中之島の朝日新聞社から

でした



1951年(昭和26年=62年前)に

放送第一声で私は、高校三年生でした



日本のラジオは当時、公共放送の

NHKの第一、第二放送だけでしたから

ラジオのダイアルを回しても

広い電波の範囲にたった二局だけポツンと

ありました



日本のラジオは当時、公共放送の

NHKの第一、第二放送だけでしたから

ラジオのダイアルを回しても

広い電波の範囲にたった二局だけポツンと

ありました



新しく始まった民間放送(ラジオ)は

番組提供した商店街では

売り上げが伸びたとか、世の中に

好感をもたれて始まりました






ザ・シンフォニー・ホール・アワー

2014年07月20日 22時13分23秒 | Weblog


ABCセンターの

高層のホテル・プラザ、

生駒山送信所とのSTリンクの

大阪タワーと朝日放送社屋が

キレイに撤去されて更地になりました



このABCセンターは

朝日放送としては2番目の社屋ですが

私としては思い出の多かった社屋でした



ABCセンターが運動場のように

更地になってしまうと,懐かしい

思い出まですっかり更地になるのですね



このABCセンターとザ・シンフォニー・ホールの

設計・施工が大成建設の関係で日曜日、

朝の7時5分から50分ほど

ラジオ番組「ザ・シンフォニー・ホール・アワー」を

提供していました

桂米團治(よねだんじ)と角野啓子(すみのけいこ)の司会で

シンフォニー・ホールの公演を録音構成で流していました。






新朝日放送社屋

2014年07月19日 21時11分03秒 | Weblog


現在かってのABCセンターの

左にあった高層ビルのホテル・プラザそして

中央の102メートルの大阪タワーは

生駒山送信所と放送局を結ぶSTリンクとして

建てられました

… … …

タワーはJR大阪駅からも

見えてちょっとしたシンボルでした





このABCセンターから近いところ

福島区福島一丁目の

大阪大学医学部付属病院跡地に

新しい朝日放送社屋が完成して

業務が移転してから旧ABCセンターは

解体撤去されて更地になりました





大阪タワーの解体はどうするのか

興味がわきました

なんとダルマ落としのように

タワーの上を残したまま

途中をつぎつぎ切り取って撤去していました



跡地には高層マンションが建ちました








旧ABCセンター

2014年07月18日 21時44分04秒 | Weblog


ザ・シンフォニー・ホールは

大阪市北区大淀南の

ABCセンターの近くにありました

写真は、ABCセンターの全景を

撮るために向かいのビルの四階に

カメラを構えましたが

普通のレンズでは全景が入らず

ニッコール・フィッシュ・アイ

F8、8㍉レンズで撮りました



写真はABCセンター全景です

右側が朝日放送ラジオ・テレビ局

で画面真ん中が大阪タワーです

左の大きなビルはホテル・プラザ

でした



肝心のザ・シンフォニー・ホールは

左のホテル・プラザの後ろなので

画面には写っていません



現在,ここABCセンターは閉鎖されて

朝日放送は近くの福島区福島一丁目

ほたるまちの新社屋に移転しています









ピアノ・スタインウェイ

2014年07月17日 21時37分52秒 | Weblog


ザ・シンフォニー・ホールで

ピアノ・リサイタルのテレビ番組が

企画されていました

… … …

ピアニストは、スタニスラフ・ブーニンです

番組の打ち合わせで,シンフォニー・ホールに

出かけると、どこからかピアノが

聞こえてきます



演奏会の前々日ぐらいなのに

ブーニンがやってきて

弾いているのです

音楽プロデューサーは

最近、彼はミスタッチがあるようだ

と云っていました



ブーニンは日本の若い女性に

人気のピアニストでチケットは

すぐ完売だったそうでした



コンサート前日になると

ピアノが舞台に置かれました

そしてピアノ調律師によって

ピアノのチューニングが始まりました

… … …

ザ・シンフォニー・ホールができて

まもなく近所に

白い板張り装飾のスタインウェイ

事務所ができていました



上の写真は大阪市北区大淀にある

元スタインウェイのビル




先日、シンフォニーホールの

近くを歩いて白いスタインウェイ事務所を

探しましたが,ビルの名称が変わっていました

JR大阪駅のグランフロント大阪に

移転したのかも知れません









ヨー・ヨー・マ

2014年07月16日 20時50分20秒 | Weblog


チェリスト、ヨー・ヨー・マの

リサイタルが

ザ・シンフォニー・ホールで

開かれました



私はチェロのリサイタルに

出かけたことはありませんでした



チェロといえば

サン=サーンス、

動物の謝肉祭(どうぶつのしゃにくさい)の

「白鳥」をパブロ・カザルスのLP盤で

聞いた覚えがあるぐらいでした



ザ・シンフォニー・ホールの広い舞台に

チェリスト、ヨー・ヨー・マが一人

ぽつんと椅子に座って反復練習をしていました



練習の合間にはリハーサルに付き合っている

スタッフに笑顔で話しかけてくる

好青年でした



このヨー・ヨー・マのリサイタルを

テレビ録画番組として制作することになりました








ザ・シンフォニー・ホール

2014年07月15日 19時07分35秒 | Weblog


ザ・シンフォニーホールは

朝日放送開局30周年記念事業として

建設されました

ホールは舞台を囲むように

四面の客席が1704あります

舞台背面にはスイス製のパイプオルガンが

あります



ホールのこけら落としは朝比奈隆指揮、

大阪フィルハーモニー交響楽団

でした



名指揮者カラヤン率いる

ベルリン・フィルの演奏で

音響効果がすばらしいとの

お墨付きをもらっています



そのベルリン・フィルをはじめ

ウィーン・フィルハーモニーや

チェロのヨーヨー・マ

ピアノのマウリツィオ・ポリーニ

スタニスラフ・ブーニンなど

世界の音楽家が公演を開いて

格式のあるホールになりました







レスピーギ交響詩「ローマの松」

2014年07月14日 21時10分09秒 | Weblog


ザ・シンフォニー・ホールの

カラヤン指揮ベルリン・フィルの

1日目の公演、3曲目

レスピーギ交響詩「ローマの松」は

熱演で無事終わりました



数日後の新聞音楽評には

カラヤン指揮のベルリン・フィルの演奏に

ついての批評が掲載されましたが

このアクシデントには触れなかったようです



曲目の勘違いに気付いたカラヤンは

舞台から去ります

つづいて、ベルリン・フィルの

楽団員もいなくなり舞台は空になりました

舞台裏の楽屋ではベルリン・フィルの楽団員が

喧喧諤諤で大変だったと後でスタッフに聞きました



この出来事は私の人生で希有のことです

インターネットでこのアクシデントは

いろいろと報じられているので

私もアップしました








R・シュトラウス交響詩「ドン・ファン」

2014年07月13日 20時02分22秒 | Weblog


ザ・シンフォニー・ホールで

カラヤンとベルリン・フィルの

プログラム最初モーツァルトは

迫力の演奏で終わりました



舞台下手からカラヤンが再び登場します

2番目のプログラムは

R・シュトラウスの

交響詩「ドン・ファン」です

ベルリン・フィルの指揮台から

カラヤンは指揮棒を振り下ろしました



しかし、オーケストラの

演奏が始まりません

… … …

ホールが無音で沈黙なのです

観客もテレビ中継スタッフも

息を飲みました

… … …

こんなことは私にとっても初めての

ことでした



コンサートマスターの安永さんは

数小節演奏しましたが 、カラヤンが

演奏曲目を間違えたらしいのです

気が付いたカラヤンは演奏をストップさせて

楽団員ともども楽屋へ引き上げました

… … …

演奏曲目によって指揮者の指揮棒の

振り方が違うのですね

カラヤンは,勘違いして違う曲の

指揮を始めたのですね












ザ・シンフォニー・ホールのベルリン・フィル

2014年07月12日 21時00分05秒 | Weblog


ピアノリサイタルの話から

ザ・シンフォニーホールの

カラヤン指揮、ベルリン・フィルに

話を戻します



ベルリン・フィルには日本人の楽団員がおられます

この時は、コンサートマスター(第一バイオリン)に

安永徹さんがおられました

リハーサルの合間にわれわれ局員と

雑談を交わしてくれました



ベルリン・フィルのリハーサルも

無事に済んでシンフォニー・ホールの

演奏会(テレビ録画本番)を迎えました



地味なスーツ姿のテレビ局員、

正装のベルリン・フィルの楽団の中を

これも正装のカラヤンが舞台下手(しもて)から

ゆっくりと指揮台に歩いて行きます



1984年10月18日(30年前)

モーツァルト・ディベルティメント第15番から

始まりました