経営コンサルタントへの道

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第38段4 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?

2024-07-11 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第38段4 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?   

  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

◆第 38段4 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
  第38段3につづく
【原文】
 ただし、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。
 伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
 いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。
 いかなるをか善といふ。
 まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。
 誰か知り、誰か伝へん。
 これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。
 迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

【用語】
 煩悩(ぼんのう): 心身を煩わし悩ます欲望や怒りなど
 まことの人: 絶対的な境地に立っている人
 迷ひの心: 相対的な立場に立って考える心
【要旨】
 ただし、本来人があるべき状態とは言えませんが、しいて「知恵を求め、賢いことを願う人」がいるとしたらその人にいうとしたら、「知恵というものが産まれましたから、偽りというものが生じてきた」ということをお話します。(老子の「知恵いでて大偽あり」を引用)
 才能というのは、煩悩(心身を煩わし悩ます欲望や怒りなど)の発達したものです。
 人から伝え聞いて、学んで知ることは、本当の知恵ではありません。
 どのようなものを本当の知恵というのだろうか(本当の知恵知というものなどありえないことです)。可も不可も、一本のもの、すなわち本質的には、同じものなのです。

 それでは、なにをもって「善」というのでしょうか。本当の「善」というものなど、ありえないのです。
 まことの人(絶対的な境地に立っている人)は、知もなく、徳もなく、功もなく、名もありません。
 それゆえ、そのことを、だれが知っているのでしょうか、だれがそれを伝えるのでしょうか。だれも知らないでしょうし、伝えられる人もいないでしょう。
 これは、自分で徳を隠し、愚を装っているのではなく、もともと賢愚や得失を問題にする境地に入れませんから、このようなことを言ってしまうのです。

 迷いの心を持って、名誉とか利益とかを追い求めますと、このようになってしまうのです。すべてことは、それら皆を否定すべきものなのです。それを論ずる価値もなければ、それを願う価値もないものなのです。
【 コメント 】
 この段を読んで、最初に感じたのは、般若心経の「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」です。
 「賢」も「愚」もなく、「善悪」もみな同じと兼好は言っています。なかなか、その境地にはなれない凡人である私です。
 「智恵出でては偽りあり」ともいっています。
 人が知恵を手に入れたことにより虚偽が生まれたといいます。アダムやイブが禁断の実を食べたことにより、性差を感じるようになることにも通じます。
 お金持ちも、出世した人も、みな、私のような凡人と同じなのですから、富や立身出世を求める必要はないということです。
 しかし、凡庸なお節介焼きの経営コンサルタントとしては、少しでも自分のクライアントの収益を改善することに固執して40年余やってきました。
 「才能は煩悩の増長せるなり」といわれましても、「企業が蓄積をした知恵を経営に活かそう」と声をかけてしまいます。
 知識を蓄えるときに、事実と伝聞は異なりますので、「伝聞は必ずウラを取りましょう」と言ってきましたし、経営コンサルタントを続ける限り、これからも言うつもりです。
 『伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず』というのは、ウェブサイトやSNSでサッと検索できるために、それでわかったつもりになってしまう傾向が昨今のわれわれへの警鐘でもあります。ネット検索や書物、TVなどで学び、知ったことは、真の智ではないということです。
* 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?

2024-07-04 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?  

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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◆第38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
  第38段2の続き
【原文】
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。
 伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。
 誉はまた毀りの本なり。
 身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。

【用語】
 心: 人格、品性
 誉(ほまれ): 名誉 ←→ そしり:非難
 人の聞き: 評判
 身の後: 死後
【要旨】 名利に使われて
 知恵と心というものは、世間で優れた名誉として見られ、それを残したいというのは人情です。しかし、よくよく考えてみますと、「名誉を愛する」ということは、人の評判を喜んでいるに過ぎません。誉める人も、非難する人も、両者共に、この世に長く生きているわけではなく、
 また、その評判を伝え聞く側の人も、すぐにこの世を去ってしまうのです。
 だれに対して恥じることも必要なく、まただれに知られることを願う必要もないのです。
 名誉はまた非難のもとでもあります。
 死後に名声が残っても何のメリットもないのです。こういう名誉を頗うこともまた、一番好ましくないと考える「高位高官を望む」ということに次いて、愚かなことです。
【 コメント 】
 この段を読んでいて、マズローの欲求5段階説を思い浮かべました。
 五段階の最高位は、「承認の欲求」といいますか、人から認められることが、人間の欲求の中で最終的なものであるとマーケティングの時間に学び、また、その通りであると思ってきました。
 兼好は言います。
 評価される方も、する方も、長い時の流れからしますと、一瞬のことですので、だれに対して恥じる必要がありましょうか。だれかに良く思われ、それを知られるということを好ましいと思い、それを願う必要があるのでしょうか。
 「人の噂も七十五日」
 人生もまた短いのですから、名誉名声を求めても、悠久の時間の流れからすると塵にもならないというのです。
 そう言われますと、確かにそうなのですが、やはり煩悩から離れることができない自分が、この世に存在しているのです。その矛盾を楽しむことが、人生を楽しむことに繋がると自分を納得させている、自分があります。「いと恥ずかし」
* 

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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第38段2 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは? 

2024-06-27 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第38段2 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは? 
 
 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第38段2 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
 第38段1に続きます。

【原文】 名利に使われて
 うづもれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。
 位高く、やんごとなきをしも、優れたる人とやは言ふべき。愚かにつたなき人も、家に生まれ時にあへば、高き位に上り、奢を窮むるもあり。
 いみじかりし賢人・聖人、自ら卑しき位にをり、時にあはずしてやみぬる、また多し。ひとへに高き官・位を望むも、次に愚かなり。

【用語】
 うづもれぬ名: 後世にまで残る、不朽の名声
 やんごとなし: 高貴である、尊い
 家: 名門の家柄
 いみじかり: 程度がはなはだしいことを意味する形容詞で、ここでは「大変立派である」の意
【要旨】 名利に使われて
 埋もれてしまうことない不朽の名声を長く後世に残すことは、誰もが願う望ましいことであります。
 しかし、そうは言いましても、位が高く、身分の尊い人ばかりが、優れた人であると言うことがてきるのでしょうか。いや、位が高く、身分が貴いからといって、その人が、必ずしも優れた人ということはできないでしょう。
 ところが、愚かでつまらない人でも、名門に生まれ、運良く時流に乗りさえすれば、高い位に上り、贅を極めた生活ができます。
 これとは逆に、優れた賢人や聖人でありましても、低い位にいて、時流に乗り切れずに一生を終えてしまう人も、また多いのです。ひたすら高位高官を望み、利欲に迷うことは、それに次いで愚かなことといえます。

【 コメント 】 名利に使われて
 伝統的な世界では、必ずしも実力主義とは言えなくて、自分が持てる実力を発揮しきれない企業が結構あります。
 人事採用などでは、有名大学であるというだけで、あるいは、親が社会的地位が高いからというだけで採用されることもまだまだ多いようです。
 一方で、就職氷河期に卒業した方に見られることですが、実力がありますのに、就職の機会を中々得られず、実力を発揮できることもなく埋もれてしまうことがあっては社会の損失です。

 ノーベル賞の受賞が続いてきました日本ですが、受章者が口を揃えて日本の将来を危惧していらっしゃいます。
 博士号をとった優秀な方が、大学や研究所・室などで、薄給や無給で上位研究者のアシスタントというより雑用係として働きながら、自分の研究を続けているのが現状のようです。それでは、研究者になろうという人の絶対数が減少してしまい、その結果日本の研究者層が薄くなってしまいます。そして、それが質の低下に繋がってしまうのではないかという懸念です。

 実力なり、希少性なりが認められ、それ相応の待遇がえられる社会でない限り、成長や発展の速度は低下してしまいます。公正な判断が為される世の中であって欲しいですね。
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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 38段1 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは? 

2024-06-20 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 38段1 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?   

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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 ◆第38段1 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
 第38段は、徒然草の中でも第109段の「高名の木登り」と同様、私が講演などでしばしば援用するところです。
 名誉や利欲を追う人生というのは愚かなことで、その中でも、最も好ましくないのが利に迷う事であり、高位高官という出世を望むことがその次に良くないことであると兼好は言っています。
 兼好の人生観が最も滲み出ている段で、老子や荘子の影響を受けているとも言えます。
 俗世を離れている、出家者なれば事その発想ですが、それをわれわれ凡人の立場に置き換えると、そこに学ぶべき事が浮かんでくるような気がします。

【原文】 名利に使われて
 名利に使はれて、静かなるいとまなく、一生を苦しむるこそ恐かなれ。
 財多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、累を招くなかだちなり。身の後には金をして北斗をささふとも、人のためにぞ煩はるべき。
 愚かなる人の目を喜ばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて愚かなりとぞ見るべき。金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

【用語】
 名利: 名誉と利益
 累(わづらひ): 面倒なこと。「害」=危害と対になった表現
 身の後: 死後
 心あらん人: 思慮分別を持つような人
 うたて: 嘆かわしいという意味の副詞

【要旨】 名利に使われて
 名誉と利益に縛られてしまいますと、それだけで汲々としてしまいます。その結果、穏やかな気持ちになるゆとりも出ないでしょう。その様な状態が一生続くということは、一生が厳しく、辛いものとなってしまいます。その様な人生を送るというのは、「実に愚かなこと」と兼好は言っています。

 財産が多く、ゆとりがあるときというのは、そこにだけ視点が集中してしまい、人間らしさを求めることには無関心となってしまいがちです。それは、人間らしい一生を過ごすという観点では、自分の身を守るというよりは、苦しめるといっても過言ではありません。
 多くの財産は、あるべき人生に害を与え、めんどうなことを引き起こす原因となります。死後に、たくさんの黄金を用いて、北斗七星を支えることができたとしても、子孫たちはそれを守ってゆくことが義務となり、それが煩いの元にもなり、厄介がられてしまうでしょう。
 真の生き方を知らない、愚かな人の目を喜ばせることを楽しむことができても、それもまた、つまらないものといえます。
 大きな牛車や、肥えた馬、金銀珠玉の装飾品も、本人は、それを自慢するかも知れません。しかし、心ある、理性ある人からみますと、かえって、それは、見苦しくもあり、愚かなことでもあると見るでしょう。
 ですから、黄金は、たくさん蓄えるのではなく、逆に山に捨てたり、珠玉は、淵に投げ入れたりするのがよいのです。利欲に迷うことは、この上なく愚かな人のすることなのです。

【 コメント 】 名利に使われて
 利欲を振り払って、思い切って、黄金も珠玉も捨て去ることで、新たの世界が広がると兼好は言います。
 出家をするということは、そのくらい思い切ったことをしなければできないほどの困難なことなのでしょう。
 ところが、現世では、生臭坊主と呼ばれるような出家者にあうことがあります。本当に出家のための修行を済ませたのでしょうか、疑りたくなることもあり、さみしいことですね。 
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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第35段 手のわろき人の 悪筆でも手紙は書くべし

2024-06-17 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第35段 手のわろき人の 悪筆でも手紙は書くべし  

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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 ◆第35段 手のわろき人の 悪筆でも手紙は書くべし
 徒然草の中でも最も短い段の一つです。

◆【原文】 手のわろき人の
 手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし、見苦しとて人に書かするはうるさし。
【用語】
 手: 筆跡
 わろし: へたな、まずい
 はばかる: 遠慮する
 書き散らす: 意のままに書く
 うるさし: わずらわしい

【要旨とコメント】 手のわろき人の
 字の下手な人が、それを気にしないで、遠慮なく、意のままに、どんどんと手紙を書くことは、良いことです。
 字が下手だからといって、他人の代筆してもらうは、好ましいことではないです。

 兼好は、このように言いながら、自分ではアルバイトで恋文の代筆をしていたと言うことも伝わっています。
 世の中には、達筆な人も多いですが、そうでない人もたくさんいます。後者の様な人の大半が、鉛筆やペンの持ち方が正しくないように思えます。
 近年は、SNSなどを利用したコミュニケーションが多いですので、紙で文字を見る機会が少なくなっているのかも知れません。印刷物も、パソコンなどから印刷することが容易になったことから、個人でも印刷物を作ることが容易になりました。
 その結果、手紙を書く機会も少なくなったと言えます。兼好は、たとえ、字が下手であっても、手紙は書くべしと主張しています。

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第18段 人は、己をつづまやかにし 質素な生活

2024-06-13 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第18段 人は、己をつづまやかにし 質素な生活   

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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 ◆第18段 人は、己をつづまやかにし 質素な生活
 修行を積んだ人は、人間の欲望というのが、われわれ凡人・庶民とは異なります。
 兼好も物欲について記しているところが何カ所か見られますが、私など百八の煩悩を持ち続けているといえます。無欲になることの難しさを日々感じています。
 断捨離をキチンとできる人は、兼好の言っている人に近いのかも知れません。

◆ 【原文】 人は、己をつづまやかにし
  人は、己をつづまやかにし、おごりを退けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるはまれなり。
 唐土(もろこし)に許由といひつる人は、さらに身に従へる貯へもなくて、水をも手してささげて飲みけるを見て、なりひさごといふものを人の得させたりければ、ある時、木の技に掛けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手に結びてぞ、水も飲みける。いかばかり心のうち涼しかりけん。孫晨は、冬の月に衾(ふすま)なくて、わら一束ありけるを、夕べにはこれに伏し、朝には収めけり。
 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとどめて、世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

【用語】
 つづまやか: 質素な
 世: 世俗的な欲望
 賢き人: 賢人、徳が高く立派な人
 許由: きょゆう、中国の伝説的な賢者で、堯帝が自分の後継者として天下を譲ろうとしましたが、耳が汚れたといって潁川で耳を洗い、箕山に隠れたといいます。
 ささげる: すくい上げる
 なりひさご: 瓢箪
 かしかまし: うるさい、騒々しい
 心のうち涼し: 心が涼しい(澄み切っていて清らか)
 孫晨: 古代中国の伝説的な賢者

◆【要旨とコメント】 人は、己をつづまやかにし
 兼好は言います。「人間は、質素な生活を常とし、ぜいたくから距離を置き、豊かな財産を持つこともなく、この世に蔓延する欲望を欲しがらないことがすばらしいだろう」と、豊かさを否定しています。
 さらに、「賢い人で富裕な人はまれである」とさえ、言い切っています。
 その事例を続いて紹介しています。
 中国の伝説的な賢者で、許由という人がいました。堯帝が自分の後継者として天下を譲ろうとするほどの人です。
 ところが、堯帝からの言葉を聞いた許由は、耳が汚れてしまったといい、近くを流れる潁川(えいせん、今日では消滅した中国の地名、そこに流れる川)に赴いて、耳を洗いました。それに留まりませず、箕山で隠遁生活を始めたそうです。
 ただ、無視をすれば、それでよいと、私のような凡人は思います。
 ちなみに「箕山(きざん)」は、中国河南省中西部の山で登封 (とうほう) の南東方に位置します。尭 (ぎょう) の時代、隠者の巣父 (そうほ) ・許由 (きょゆう) ・伯益 (はくえき) が住んでいたと伝えられています。
 許由が移ったその地では、財産といえるようなものは、全くなく、水をくむひしゃくも持たなかったそうです。許由が水を手ですくい上げて飲んでいたのを見たある人が、水を楽に飲めるようにと瓢箪を彼に差し上げたそうです。
 ある時、木の枝に掛けていた、そのひょうたんが、風に吠かれて音をたてました。許由は、それを「やかましい」と言って捨ててしまったそうです。もちろん、その後も手ですくって水を飲んでいました。
 兼好は、許由の話を聞いて、「どれほど許由の心中は、清く、さっばりと澄んでいただろう」と書いています。
 また、別の事例として、尊晨についても記述しています。
 尊晨については、どの様な人なのか、浅学の私は知りません。尊晨は、冬のあるときに、寝具を持たず、一束のわらがありましたので、夜になるとそれを広げて、その上に寝て、朝には、それをかたづけるという生活をしていたと兼好は記述しています。
 中国の人は、このような人たちの生活ぶりをすばらしいと思いましたからこそ、本にも書き残して、後世にも伝えました。しかし、わが国、日本人は、そのような賢者のことを語り伝えるようなことはなにもしないであろうと、兼好は嘆いています。
 もし、兼好が現代に生きていたとしたら、やはり同じようなことを言うのでしょうか。
 昨今では、断捨離という言葉がしばしば採り上げられます。質素倹約とは、多少ニュアンスが異なるかも知れませんが、通ずるところはあるように思えます。
 しかし、かくいう私は、情報過多の時代に、昔書きためた資料類が、未整理のまま、書斎やPCの中にたくさんあります。
 それらを、少しずつ整理していますが、若かりし頃、このような稚拙なことをやっていたのかという思いをすることも多々ありますが、「へえ、こんなことを考えたいたのか」と感心したり、それを新たに書き換える材料としたりすることもあります。
 再整理をしてみますと、それを他に活かすことができるものですね。

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第12段 同じ心ならん人と 真実の心の友は?

2024-06-06 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 第12段 同じ心ならん人と 真実の心の友は?

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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◆第12段 同じ心ならん人と 真実の心の友は?
 兼好は、「真の友にあうことは難しいことである」、真の友とは、気持ちが通じたコミュニケーションがとれるが、そうでないことが多いと言っています。
 俗世を断ち切れていないように思える兼好は、俗人の私から見ますと親しみを感じますが、このような人であっても、寂しかったのでしょうか。

◆012 原文 同じ心ならん人と
 同じ心ならん人と しめやかに物語して、かしきことも、世のはかなきことも、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆたがはざらんと向かひゐたらんは、一人ある心地やせん。
 互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささかたがふところもあらん人こそ、「われはさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつかたも、われと等しからざらん人は、おほかたの由なしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たるところのありぬベきぞ、わびしきや。

【語彙】

 同じ心: 趣味・嗜好・意見等が同じ人
 うらなし: 腹蔵ない、隔てのない
 向かひゐる: 向かって座る
 かこつ: 不平を言う
 まめやか: 真面目な、誠実な

【要旨とコメント】

  気持ちが通じ合い、気心が知れた人と、しんみりと打ち明け話などや、関心の高いこと、世間のちょっとしたことなども、お互い、隠し隔てなく話し合えますと、心も慰められ、さぞかし素晴らしいことでしょう。
 しかし、そのような気心が知れた人というのは、現実には、中々いません。
 大半の人とは、多少なりとも相手の気持ちに反しないようと調子を合わせて向き合っているようなことがありますが、相手がいるにもかかわりませず、あたかも自分一人だけでいるような気持ちになってしまいます。
 相手に合わせるのではなく、互いに意見が異なるような間柄の人であれば、「なるほど」と同意することもあれば、意見が異なり、「自分はそうは思わない」などと反論したり、「そうだから、そうなのだ」というように意見を交わしたりできれば、相手に合わせなければならない人といるよりは、寂しきも慰められ、真の友とはいえないまでも、多少ましなことです。

 現実の人間関係では、大半の人が異なる面を持ち、自分と同じような意見を持っていないような人達です。その様な人達とは、ありきたりでどうでもよいようなことを話している間は、何とか我慢もします。しかし、その様な人達は、真の心の友というには、はるかに及びません。
 兼好は、その様な人達が大半である現実を「実に寂しいことだなあ」と感じています。真の友を持つことの難しさを語っているのです。
 言葉では表現しきれないような微妙なことでも、お互い、心の奥底では感じ合える「友」を兼好は求めていたのでしょう。
 八方美人的な人というのは、諍いを好まず、自分の気持ちよりは相手のいいたいことにあわせ、忖度した言葉しか出てきません。表面的な良好さで満足してしまうのでしょう。
 その様な人を心底から信頼することはできかねます。
 時には意見が異なり、口論となったり、意見の対立があったりしても、真の「友」というのは、その関係が壊れることはありません。ところが、表面的で気持ちが通っていない人とは、ちょっとした対立で、その関係が絶たれてしまうでしょう。
 幸い、私には、人生のいろいろな時代に、その世代に相応しい心より信頼できる人にお会いでき、付き合いも継続している人がいます。兼好と比較しますと、これは、得がたいことなのかも知れません。改めて、自分の運の良さを実感できます。
 しかし、歳を重ねるにつれ、その様な「心の友」「真の友」が他界し、黄泉の水となってしまってきました。寂しいことではありますが、それが人生というものなのでしょう。
 自分が黄泉の国に旅立つとき、心が満たされていれば、「幸せな人生」であったといえるのでしょう。

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 003 第3段 よろづにいみじくとも 男は恋をしろ

2024-05-30 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 003 第3段 よろづにいみじくとも 男は恋をしろ  

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

◆第3段 よろづにいみじくとも 男は恋をしろ

 出家をした兼好は、恋文の代筆をしたりして、俗世的なものを引きずっているのが面白いですね。

 第三段は、男は、恋をしなければ一人前になれないというようなことを書いています。徒然草は、兼好の人間らしさが綴られているのも、「いとおかし」ですね。

 ◆003 原文 よろづにいみじくとも

 よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の底なき心地ぞすべき。

 露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるはひとり寢がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき業(わざ)なれ。

 【語彙】

 さうざうし: 物足りない、心寂しい、張り合いがない(ウェブリオ古語辞典)
 玉の巵(たまのさかづき): 玉(ぎょく)製の杯(さかづき)

 【現代語訳】

 どれほどすばらしいと思える男でも、恋を経験したことがない男は物足りないと兼好は言っています。

 恋をしたことのない男は、みごとな玉製の盃の底がないようの役の立たない人間だとこころしています。要は、見かけだおしで、真の男の魅力というのは、恋という修羅場をくぐり抜けて身につくものであると考えているのです。

 「恋は盲目」と言われますが、恋をすると朝から晩まで、歩き回れば露や霜でびっしょりと濡れるまで歩き回るような、愚行とも思えることをすることもあります。恋する人のことばかりを考え、親の説教や世間の避難は、恋する男を背手間立て、神経をすり減らして、あれこれと気をもみますが、自分では、それでも恋を止められないでしょう。

 近年では、ストーカー行為として、警察のお世話になるかもしれませんが、恋をすれば、そのくらいのことをするようでなければ、ストーカー行為を推奨するわけではないですが恋をしているといえないかもしれません。

 現実には、いくら、相手のことを思っても、「ひとり寝が多く、恋人と共寝する夜は少ない」と兼好は、それをおもしろいと思っています。

 「恋をすべし」と兼好は言ってはいますが、恋に夢中になって、まっしぐらになってしまうと恋は成就しません。女性に、いつも好感を持たれるように節度をもった行動をすることが理想的な恋のあり方であると指南してくれています。

 

【コメント】

 何ごとをするにおきましても、恋に夢中になるくらいの情熱や熱意がなければ、ひとかどのものを手に入れることは難しいでしょう。

 「今を大切に」に日々生きていくことが大切なのではないでしょうか。

 「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉があります。

 この言葉は、文字通りの意味は「毎日毎日が素晴らしい」という意味です。しかし、兼好が言いたいことは、「毎日が良い日となるように、意識をして日々を送るべきである」といいたいのでしょう。

 日常生活には、喜怒哀楽がこもごもです。それらに一喜一憂するのではなく、「今」「この瞬間」を大切に生きることが大切であるということです。

 人によっては、「今この時が大切なのだから、やりたいように生きていくことで良いのだ」といいます。

 その様なことをおっしゃる人に出会いますと、イソップ物語のひとつ、「アリとキリギリス」というお話を思い出します。

 キリギリスは、今を謳歌して人生(「虫生」かな?)を楽しんでいました。冬じたくに勤(いそ)しむアリを見て、彼等を莫迦にしていました。ところが冬が到来しますと、キリギリスは生きて行かれなくなってしまいました。有名なお話ですね。

 人生設計をキチンと立て、それに向かって「今を大切に生きる」ということを兼好は言いたいのではないでしょうか。

 恋をするということは、何ごとにも一所懸命になれという比喩的な表現として私は解釈しています。 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 10  ありたきことは

2024-05-23 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 10  ありたきことは

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

 

 ◆10  ありたきことは、まことしき文の道、作文・和歌・管弦の道、また有職に、公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそをのこはよけれ。

 【語彙】

 あたりきこと: 望ましいこと
 まことし: 正式だ、ホンモノだ
 文: 学問、手紙、書物
 作文: 漢詩(を作ること)
 有職(ゆうそく): 朝廷における儀礼に通じている人
 公事(くじ): 朝廷の政務や儀式
 いみじ: 立派
 手: 字の美しさ
 つたなし: へたな、劣った
 走り書く: 文字をスラスラと書く
 をかし: 趣がある
 拍子をとる: 宴席などで音頭をとる
 いたましう: 困った様子
 下戸(げこ): お酒に弱い人

【現代語訳】

 これまで人間としてのありかたを身分や地位、容姿・容貌などの視点で見てきましたが、本当に人間として望ましいことは、正式な学問の道や、漢詩や和歌に通じていたり、管弦の道に長けていたり、朝廷の儀礼や政務などに詳しい、人の模範となるような人は、大変立派なことでしょう。

 筆を持たせれば素晴らしい字をスラスラと書き、宴会などが開かれますと、綺麗な声で、座の中でリーダーシップを発揮し、酒を勧められて下戸のように困り顔をしても、全く酒を飲めないわけではないのは、男としては好ましいことです。

【ひと言】

 人間としての価値は、身分・地位や容姿容貌などよりは、本当に望ましい姿は何かという視点で、兼好は意見を述べています。

 兼好の見方としては、正調派の学問に通じ、漢学・漢詩や和歌などの素養を持っていたり、音楽の道に長けていたりすることの方を高く評価しているようです。

 また、朝廷における儀礼や政務などに詳しく、人の範となるような人も高く買っています。昨今の政治家やお役人のあり方を、兼好は見通しているのでしょうか、政治家や役人のあり方を指摘しています。

 個人的な素養・人柄という面で、さらに字の綺麗な人を評価しています。たしかに達筆な人はうらやましいですね。

 面白いのは、宴の席で、朗々とした声で、全体を仕切る人のリーダーシップについても記述していることです。年末年始や、人の移動に伴う歓送迎会など、日本人は宴会が好きです。その様な場を取り仕切るのが上手な幹事さんは、兼好には好かれるのでしょう。

 酒宴で、お酒の飲み過ぎを暗に批判しているのでしょうか。一方で、酒を飲めない、私のような下戸には、厳しい目を向けています。

 私も、商社マンをしていましたので、先輩から商社マンは酒が飲めなければダメだと、ずいぶんと教育を受けました。兼好がいうように、少しでも良いから飲めるようになりたいという気持ちは強く持っていました。

 しかし、一向にお酒が飲めるようにはならず、どうやら飲めない体質なようです。結局、10年商社マンとしてサラリーマン生活を送りましたが、下戸で通しました。

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 09 かたち・心ざまよき人も

2024-05-16 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 09 かたち・心ざまよき人も

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

 

 

◆09 かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ち交じりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわぎなれ。

 

【語彙】

 かたち: 器量
 才: 「ざえ」と読み、漢学を含む学問的素養やその他の才能
 かけず: 問題にもされない、相手にされない
 けおす: 気圧(けお)する、圧倒する
 本意なし: 不本意な

 

【現代語訳】

 容姿や心根の良い気立ての人でも、学問など才能が弱くなってしまいますと、必ずと言って良いほど、身分の低い,顔の良くない人の中に混じった時に、圧倒されてしまうことがあり、それは大変に残念なことです。

 

【ひと言】

 前の段落で、兼好は、家柄や顔の善し悪しは、生まれ持ってきなものですが、考え方や知識などは後天的なものなので、努力次第で変えることができますと記述しています。

 容姿や心の美しい人でも、学問などの素養が身についていませんと、品格や容貌の好ましくない人と区別が難しくなってしまうと書いています。

 「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますが、その逆を言っているのでしょう。

 「才(ざい)」とは、学問的素養、とりわけ、当時は漢学の素養をさすそうです。

 兼好は、念頭には、それらをおいていると思いますが、学問だけではなく、芸術・芸能や匠の技なども広く含んだことにおいていえるのではないでしょうか。

 「一芸に秀でる者は多芸に通ず」と言います。何かに秀でていますと、新たにことを始めたいというときに、それが直接・間接的に活かされることが多いです。

 「人間死ぬまで勉強」という言葉もあります。奢らず、謙虚に、日々努力することが、人生を豊かにしてくれると信じています。

 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 08 めでたしと見る人の

2024-05-09 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 08 めでたしと見る人の

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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◆08 めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えたこそ口惜しかるベけれ。品・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも移さば移らざらん。

 

【語彙】

 めでたし: 立派な
 心劣りせる: 期待したほどではない
 口惜し: 残念である、感心できない、同意できない
 品: 身分、家柄
 かたち: 器量
 などか(+否定語): 反語を表す。「移らざらん」が「移らない→移るだろう」

 

【現代語訳】

 第三者の視点で見たときに、立派であると思っていたのに、その思っていたのとは大違いの本性が見えたときは、大変残念なことです。

 家柄や顔の善し悪しなどの器量は、生まれつき持ち合わせているもので、それを変えることはできません。しかし、心の内などは、賢い方に変化をさせようと思えば、良い方に変化をしないことはないでしょう。

 

【ひと言】

 男性は、美人に会いますと、「気持ちも優しい、大和撫子」と思いたがる傾向が、多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

 テレビドラマで、イケメンの役者が、男らしく、強く、たくましい役柄を演じる様子を見ますと、その役者その人も素晴らしいと錯覚しがちです。

 マスコミを通じて、「立派な人」とか「信頼できそうな政治家」というイメージが報道されますと、事実、その通りの人柄であると思う人が多いでしょう。

 虚像と実像がかけ離れていることが多いのですが、歳を重ねるに従って、虚像を見抜く力がついてきます。

 ところが、世の中には、外見は成人であるのに、そうでない人も結構いるようです。そのような「ことな」(「こども+おとな」の造語)といわれます、大人になりきれていなくて内面が子供である成人が散見されます。

 兼好が言っていますように、家柄や顔の善し悪しは、生まれ持ってきたもので、変えることは難しいです。(近年は成形技術の向上で可能になってきていますが・・・)

 しかし、考え方や知識など、後天的なものは、努力次第で変えることができます。

 「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」というのは、教育学者エリック・バーンの名言です。

 

 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 07 人は かたち・ありさまのすぐれたらんこそ

2024-05-02 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 07 人は かたち・ありさまのすぐれたらんこそ

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

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◆07 人は かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。ものうち言ひたる、聞きにくからず、受敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向かはまほしけれ。

 

【語彙】

 かたち: 器量
 ありさま: 容姿、外見
 あらまほし: 〜でありたい、〜であってほしい
 ものうち言ふ: ものごとを言う
 愛敬: 愛嬌
 飽かず: あきることなく長く続く、いつまでも
 向かふ: 向かい合う、対座する

 

【現代語訳】

 人は、容姿容貌が優れていることが、望ましいことでありましょう。

 しかし、口を開きますと、その話し方に嫌味がなく、所作にすばらしさがあり、愛嬌があって、口数が多くない人というのは、一緒にいてもあきることもなく、いつまでも向かい合っていたいものです。

 

【ひと言】

 テレビのCMをみていて、「美人だな~」とか「なんて可愛いのだろう」と思うことがあります。

 ところが、一旦、その人が言葉を発しますと、こちらが期待するような言い方や音声ではなく、がっかりすることがあります。

 おそらく、兼好も、一般的に言われる容姿容貌の優れていることは悪いことではないと思っているのでしょう。

 しかし、それだけでは、一過性に過ぎず、話し方やしぐさなどに惹かれるものを感じているのではないかと思われます。

 女性に限ったことではないのでしょうが、口数が多すぎないことも、魅力のひとつと挙げているところは、女性で言えば、いわゆる「大和撫子」的な人のことを指しているのでしょう。

 外見より、内面の美しさに惹かれるところに、共感を覚えます。

 

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■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 06 勢ひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず

2024-04-25 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 06 勢ひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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◆06 勢ひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀ひじりの言ひやんやうに、名聞苦しく、仏の御教へにたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨て人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

 

【語彙】

 勢ひ: 威勢、権威
 猛なり: さかんである
 ののしる: もてはやされる
 いみじ: 立派
 増賀: 天台宗の高僧で、名誉や利欲を嫌うことで知られている
 ひじり: 高徳の僧
 名聞苦し(ぐるし): 「名聞」は世間の評判の意。
     「名聞苦し」で一語、名誉に夢中になっているように見える
 覚ゆる: 思われる
 ひたふる: いちずなようす
 なかなか: かえって、むしろ

 

【現代語訳】

 活溌な活動が世間でもてはやされていても、それが素晴らしいことだとは思いません。

 名誉や私欲を嫌うことで世間に知られています高僧の増賀が言ったとかいわれていますが、名誉に夢中になっているように見え、仏の教えに背くように思えます。

 それよりむしろ、仏道にひたすらな世捨て人の方が、かえって好ましいところが、きっとあるでしょう。

 

【ひと言】

 増賀という高僧が言っているらしいのですが、僧侶でありながら、その活動やあり方が世の中でもてはやされたとしも、それが利欲や名誉などを求め続けるような仏の教えに背くような行為は、僧侶たるもの、すべきではないのに、それを行うことは、過去において、処々で見られたようです。

 僧侶は僧侶としての務めを果たすべきで、有名なことが必ずしも良いことではないことを認識すべきでしょう。

 たとえば、私が従事してきました経営コンサルタントという職業におきましても、同様なことがいえます。

 経営コンサルタントというのは、クライアントに対して、エネルギー投入をいくらしてもしたりないほど、いろいろとクライアントのためにやってあげたいことがあります。そのために、時間不足になるほどです。

 その結果、出版のための原稿を書いたり、マスコミ対応をしたりする時間は限定されてしまいます。そのために、知名度を上げるような活動は中々できません。

 一方で、知名度の高い経営コンサルタントなどは、マスコミ対応に追われがちで、クライアントの現場に行く時間に制約が生じ、机上の考えが中心になりがちです。

 このことから、知名度の高い経営コンサルタント、必ずしも現場コンサルティングの実力・実績が高いとはいえないのです。

 経営コンサルタントなど、外部ブレインと契約するときの難しさが、そこにあります。

 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 05 「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも

2024-04-18 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 05 「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

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◆05 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。

 

【語彙】

 木の端: 取るに足りないものの意で、情けない人間を指す
 げに: 誠に、本当に

 

【現代語訳】

 天皇や貴族に次ぐ位置にいる法師ほど、うらやましくないものはありません。(二重否定)

 清少納言が枕草子の中で「他の人から見ると、木の端のように取るに足りない人間のように思われます」と記述していますが、本当にその通りです。

 

【ひと言】

 徒然草は、鎌倉時代に執筆されましたので、平安時代の枕草子は当然流布されていたことがわかります。

 兼好は、30歳代で出家していますので、世間一般にいわれるのは、法師もうらやましい高貴な立場といわれていますが、法師は木の端のように取るに足りないものと謙虚にいっているのでしょうか。

 経営コンサルタントは、相手の理解を求めることが多く、学校の先生的な口調になりがちです。その結果、「上から目線」と捉えられてしまったりします。

 かつては、とりわけ、ベテランの先生に多かったのですが、自分が経営コンサルタントであることは、クライアントより偉いと思い込み、「指導してやるのだ」という意識につながり、顰蹙を買うことが結構ありました。

 しかし、近年は、その様なコンサルタントも少なくなってきましたが、いまだに散見されます。

 彼等の全てが、「好ましくないコンサルタント」というわけではありませんので、コンサルタントと契約するときには、その辺りも勘案し、自社に即した先生を選ぶことが肝要といえます。

 

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■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 04 その子・孫までは、はふれにたれど

2024-04-11 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに

■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 04 その子・孫までは、はふれにたれど

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

 

 

◆04 その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時にあひ、したり顔なるも、自らはいみじと思ふらめど、いと口惜し。

 

【語彙】

 はふる: 落ちぶれる
 ど: 「~けれども」と逆説表現ではなく、「どんなに~でも」と仮定表現
 なほ: やはり
 なまめかし: 優雅である
 ほど: 程度応じて
 時: 時勢、良い時代
 時にあひ: 「時に会う」のことで、「時流に乗って」の意
 いみじ: 立派
 口惜し: 感心できない、同意できない

 

【現代語訳】

 その子や孫の代までは、たとえ落ちぶれても、依然として品があり、優雅さが保たれています。


 その人達よりさらに下方の身分の人は、それなりに身分相応で、時代の流れに乗って出世をし、得意満面な顔をしていて、自分自身は立派であると思い込んでいるようですが、あまり感心できることではありません。

 

【ひと言】

 紫式部の源氏物語などに、落ちぶれた貴族についての巻があります。

 貴族など、高貴な人達は、たとえ落ちぶれても、それなりのものを持っていることがわかります。

 一方で、自分は、高貴な出の人間だから尊いのだと鼻にかけて、鼻持ちならない人もいるのかもしれません。

 推理小説などに出て来る、イギリスの貴族に、それが描かれていることがありますね。


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