
テレビを見ていると、解説者とか、評論家とかいうような人達がすばらしい意見を出していますが、これはまさに名論卓説といえます。
ある番組で日本語の乱れについての話題の中で、「ら抜き言葉」が遡上にのぼっていました。ら抜き言葉は、「見れる」というように、本来は「見られる」という表現から「ら」という文字が脱落した表現のことです。
ある出演者が「西日本では昔から“ら”抜き表現が普通であるので、許されるべき表現です」と主張。別の出演者である、ある大学院の教授は「今日は日本語の揺らぎの時代に入っているので、このような表現があってもおかしくありません」という意見を出していました。
まさに名論卓説といえる場面なのかも知れませんが、国語学者といわれる立場の人が、国文法があり、それに反する表現であるにもかかわらず、若者に迎合するだけのような肯定一辺倒な意見に失望しました。
私は仕事柄、社員研修の講師を依頼されることがしばしばあります。その一環で、コミュニケーションについての研修は依頼されることが多いテーマの一つです。私自身は日本語について高い見識を持っているわけではないですが、日本語について話をすることが時々あります。
言葉は、相手の受取方次第では、よい感じを与えないことがあります。例えば、日本語にうるさい経営者を相手に、営業パーソンがら抜き言葉を使ったとしたらどうでしょうか。あまり気にしない人もいるでしょうが、「日本語を乱すような営業パーソンから商品は買えない」ということに繋がることもあり得ます。
現実に、私の顧問先の営業パーソンが、上述のようにお得意先から敬遠されたことがあります。研修の場では、これを例にとって「ら抜き言葉は、西日本では昔から使われているところもあったりするので、気にしなくてもよいのかも知れません。しかし、このような事例もあるので、相手によってはら抜き言葉を避ける方が良いのではないでしょうか」というようにしています。
名論卓説からだいぶ脱線してしまいましたが、一見して名論卓説のように見える場面でも、見方を変えると頭を傾げたくなるようなことが結構ありますね。


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