経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】 岡山県岡山市 岡山城は後楽園の対岸に優美な姿で立つ

2022-08-30 17:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!ひとり旅】 岡山県岡山市 岡山城は後楽園の対岸に優美な姿で立つ

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

  旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

  写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

  何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

  他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 ■■ 岡山城(おかやまじょう) 

 備前国御野郡岡山(現・岡山県岡山市北区)にあり、国指定の史跡となっています。別名は「烏城(うじょう)」、「金烏城(きんうじょう)」です。
 戦国時代に、備前東部から興って、美作、備中東部まで勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで、近世城郭の基礎が生まれたといえます。その後小早川氏、池田氏により整備、拡張が行われました。
 はじめは本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張でした。その弱点をカバーするために旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えを堅固にしました。天守は4重6階の複合式望楼型です。
 さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれました。
 明治時代に取り壊しや堀の埋め立てなどが行われ、第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失しました。現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建されました。
 現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されています。城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡や三の丸跡には、公共建物などが建てられました。

■ アクセス

  飛行機     岡山空港から岡山駅までバスで約30分
 バス      岡山駅から岡電バス「岡電高屋行き」、

      両備バス「東山経由西大寺行き」
       いずれも「県庁前」で下車、徒歩10分
 路面電車 「岡山駅前」から「東山行き」に乗車、「城下」下車、徒歩10分
 自動車  岡山ICから東に約20分
 

後楽園前から望む岡山城

 

「烏城(うじょう)」と呼ばれる天守閣

 

天守閣前広場から見る

 

国の重要文化財「月見櫓」

 

岡山城から後楽園を望む

  

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【カシャリ!ひとり旅】 青森県 下北半島 恐山菩提寺2 山門の仁王像と共同浴場の湯小屋

2022-08-30 13:22:06 | 【カシャリ!ひとり旅】 青森・岩手・秋田

 

  【カシャリ!ひとり旅】 青森県 下北半島 恐山菩提寺2 山門の仁王像と共同浴場の湯小屋

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 青森・下北半島 

 

 青森県の北部には、二つの半島があります。西側が津軽半島で、石川さゆりの歌にある竜飛岬があります。北海道新幹線も、津軽半島の先端から海底に潜ります。東側の半島が、下北半島(しもきたはんとう)です。

 下北半島は、本州の最北端部の半島で、半島全体が下北半島国定公園に指定されています。日本三大霊場に数えられる恐山もあり、仏ヶ浦など有名な観光地も多数あります。

 旧斗南藩(「北斗以南皆帝州」から命名)にちなみ「斗南半島」とも呼ばれ、形状が「鉞(まさかり)」に似ているので「鉞半島」「まさかり半島」の別名もあります。

 「まさかりの刃」に当たる部分に、下北最高峰の釜臥山(879 m)があり、半島に恐山山地が広がり、平地はほとんど見られません。緑色凝灰岩を主とする恐山山地西部が侵食しされた結果、仏ヶ浦の奇岩群が形成されました。

 下風呂温泉郷など、温泉もありますが、全体的に交通の便が悪く、移動は、本数の少ないバスか、レンタカーとなります。
 

 

■ アクセス

 

新幹線
 八戸 - 野辺地 - 下北or大湊 約5時間
飛行機
 三沢or青森空港 - 野辺地 - 下北or大湊 約4時間
高速バス
 国際興業バス(東京・池袋−八戸・十和田・七戸線(シリウス号)/新宿・大宮−八戸・三沢・むつ線(しもきた号)) 約12時間
 

■ 下北半島 恐山菩提寺2 山門の仁王像と共同浴場の湯小屋


    https://aomori-tourism.com/spot/detail_47.html
    https://osorezan.or.jp/

 恐山(おそれざん、おそれやま)は、青森県下北半島の中央部に位置し、下北半島の北部を占める山地を指します。霊場恐山と区別して考える見方もあります。

 恐山という山があるわけではなく、菩提寺というお寺の山号です。菩提寺の前に立つ山を「恐山」と呼ぶこともあるようで、この山は活火山です。

 そのふもとに、カルデラ湖である「宇曽利山湖」があります。

 恐山菩提寺の創建は862年で、慈覚大師円仁が夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いた旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝えられています。

 「恐山菩提寺」は、比叡山・高野山とともに、日本三大霊場の一つです。霊場内に温泉が湧き、共同浴場としても利用されています。ただし、入浴料無料で入湯税も払いませんので「温泉」ではなく、禊ぎの湯という意味合いです。

 恐山を中心にした地域は「下北半島国定公園」に指定されています。

 地元では古くから「人は死ねば恐山に行く」と言い伝えられてきました。外輪山に囲まれた霊場は、外部からは見ることのできない途絶された場所です。三途の川にかけられた太鼓橋を渡って霊域に入りますと、死後の世界のような風景が広がります。

 極楽浄土を思わせる美しさの極楽浜、硫黄臭が立ち込める地獄谷、荒涼とした無間地獄、血の池地獄等々があります。

 賽の河原には、亡くなった幼い子供を弔うために両親が積んだ石や、くるくるとまわる風車があり、もの悲しさが漂っています。

  所在地 〒035-0051  青森県むつ市大字田名部字宇曽利山3-2 電話番号 0175-22-3825
  営業時間 午前6時〜午後6時間で開山
  休業日  毎年5月1日〜10月31日の間で開山
  料金   個人大人500円/人 小学・中学生200円/人
  アクセス JR下北駅より車で約40分
 

 

 

 

創建は862年、慈覚大師円仁が夢のお告げに導かれ、

この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝えられています。
 

 「恐山菩提寺」は、比叡山・高野山とともに、日本三大霊場の一つ

 

 


 

山門

 

総門を通って進みますと、石畳の参道がまっすぐと続いています。

正面に山門が見え、左が本堂、右が寺務所です。

 

 

 石燈が並び立つ中を山門へ進みます。

山門の仁王堂に立つ極彩色の仁王像(お山の守護神)です。

向かって右が阿形で、左が吽形です。


 霊場恐山の山号額は、永平寺・七十八世貫主であります、

宮崎禅師の書によるものです。


楼門二階は、一般公開されてはいませんが、

そこには「釈迦三尊」「四天王」「五百羅漢」の像が安置されています。

桧木・本漆仕上げです。
 

山門 阿仰像

山門の仁王堂に立つ極彩色の仁王像(お山の守護神)

 

山門 吽形像

 

山門を抜ける

まっすぐに伸びる参道の両脇には石灯籠が並びます。

両脇には湯小屋が4棟立っています。

 

薬師の湯 男性用の湯小屋

 

霊場内に温泉が湧いています。

ここは、共同浴場としても利用されています。

ただし、入浴料無料で入湯税も払いませんので

「温泉」ではなく、禊ぎの湯という意味合いです。

 

手水屋
子孫繁栄の亀「水舎」

 

手水屋横の小塚

 

 

 

<続く>

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営06 学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし 為政第2-15 31 19

2022-08-30 12:03:00 | 【心 de 経営】 論語に学ぶ経営

■【心de経営】 論語に学ぶ経営06 為政第2-15 31  学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた内容をお届けします。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。
 平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。
 一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

 ←クリック

 

 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。

 そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」と同意として行き抜いて人間の持っていた、自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。

 その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

 

■■ 渋沢栄一の論語講義  ■■


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■■ 渋沢栄一の論語講義  ■■


 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。


◆ 為政第2-15 31  学んで思わざれば罔し。思って学ばざれば殆うし
 
【読み】

 子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば殆(あや)うし。

 

【口語訳】

 子曰く、教わるばかりで、自ら思索しなければ、独創がない。自分で考えるだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな陥(おと)し穴にはまる。

 「教えありて類なし」【論語】衛霊公第15-38-417 人間の差違は教育の差であり、人種の差でない。ちなみに、渋沢栄一の「論語講義」では「教うるあって類なし」と読み下し、こう解釈している。「それ政教の民を化するや、人の知愚・貴賤、習気の善悪・世類の美悪等の種類あることなし」。

 「性、相い近し。習い相い遠し」【論語】陽貨第17-2-436宮崎市定氏の口語訳「生まれ月は互いに似たものだが、習慣によって人間がすっかり変わってくる」。「教えありて類なし」「性、相い近し。習い相い遠し」の二つは、孔子が教育の大切さを説いたものとして、よくしられている。山本七平さんは、学ぶというのは、それを用いて探究する、すなわち思う事を始める基本になるもので、これは孔子の教育論の一番基本となっている、と解説している。

        参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 

【コメント】

 書籍を読み、セミナーに参加していろいろな角度・視点から思索を深めても、それを具体的に実行し、確認することや、せっかく学んでも、そこから何をどれだけ考えたか、というステップを踏まなければ確かな知識とはなりません。教えを受けただけで、自ら思索しなければ決して道理を理解することはできません。

 つまりいくら知識を学んでも、思索しなければ、物事を本当に理解することはできませんし、逆にいくら思索をしても、知識を学ばなければ、独断に陥って視野が狭くなり危険であると教示しているのです。

 この思想は企業経営にも繋がり、日本経営士協会に於いても各種の学びの場を生涯教育として会員様は切磋琢磨して「共用・共業・共育」を唱え実践を目指しております。思ったことを探求してゆくと同時に、常に柔軟に学ぶ姿勢を崩さないこと、つまり生涯知的関心を消さず、生涯情熱を失わない事が大切であると痛感しております。物事をプロフェッショナルに探究し続けるためには限界に挑戦する心が必要であると感じます。

 企業経営に於いても同様の考えの下で永続的発展を遂げなければいけません。企業の成長のためにトップに求められるものは、自身の生き方そのものであると思います。つまりすべてを弁えて実践してゆくことこそが実は学問をしていることに繋がっているというこの思想には深い意味を感じます。

 

■■ 【心 de 経営】 バックナンバー    ←クリック

■■ 経営コンサルタントを目指す人の60%が覧るホームページ ←クリック

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【話材】 昨日8/29のつぶやき 文化財を汚す不逞な輩

2022-08-30 07:08:17 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日8/29のつぶやき 文化財を汚す不逞な輩

 

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/99a841ec52687cc1a575d12635036302

曇りb3

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする