【きょうの人】 0801 徳川 夢声 無声映画時代の弁士であり、漫談家、作家、俳優 ■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 徳川 夢声 無声映画時代の弁士であり、漫談家、作家、俳優
とくがわ むせい
1894年4月13日 - 1971年8月1日
無声映画時代の弁士であり、漫談家、作家、俳優で、本名は、福原駿雄(ふくはら とお)です。
ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物です。
好きな男性のことを「彼氏」という表現を造語し、「恐妻家」もその一つです。
日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長で、いわゆる「3つの袋」と言われます。
結婚式のスピーチの定番ともいえますスピーチという行為やそこでの言葉や表現を作った人とも言われているほど、結婚式でのスピーチも多く、多くの表現を使っています。
何気なく使っている、私たちの言葉も、彼が造語したり、口癖にしたりしている言葉かもしれません。
■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家
あいづ やいち、會津 八一
1881年〈明治14年〉8月1日-1956年〈昭和31年〉11月21日)
日本の歌人・美術史家・書家で、雅号は、秋艸道人、渾斎です。
歌碑が、奈良・薬師寺の西塔のふもとに建っています。
新潟県に生まれ、中学生の頃より『万葉集』や良寛の歌に親しみました。東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、その影響も受けたようです。
この頃すでに「東北日報」の俳句選者となり、卒業論文にはキーツをとりあげ、英文科卒業しました。卒業後は、私立有恒学舎(現:新潟県立有恒高等学校)の英語教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論を残しました。
1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなりました。
坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の英語教員となり上京、早稲田カンレンの教育者として、英語だけではなく美術史関連の講義もおこないました。
研究のためにしばしば奈良へ旅行し、1933年に仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫)が刊行され、この論文で文学博士の学位を受けました。
妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られ、津田事件に巻き込まれたりもしています。
同僚であり歌人でもある窪田空穂とは二十数年にわたって親交を結ぶ友でした。
終戦後新潟に戻り、1951年に新潟市名誉市民となりました。
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【 注 】
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