【きょうの人】 0918 ■ 田中久重 東洋のエジソン ■ 芹沢 鴨 新撰組初代筆頭局長
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 田中 久重 「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」、東芝の創業者
たなか ひさしげ
寛政11年9月18日(1799年10月16日)-明治14年(1881年)11月7日
江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれました。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。
江戸末期・寛政の頃、久留米の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれ、幼名は儀右衛門でした。
幼い頃から才能を発揮し、五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになりました。
「弓曳童子」と「文字書き人形」は、その代表作で、からくり人形の最高傑作といわれています。折りたたみ式の「懐中燭台」、圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などは、既述のからくり人形と共に、二十歳代の作品です。
天文、蘭学などを学ぶうちに、季節によって昼夜における時間の長さの違う不定時法に対応した万年時計こと万年自鳴鐘(和時計)を製作したことは、彼の非凡さを語る最大のものといえます。
日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型製造、反射炉の設計(改築)、大砲製造など、広範囲にわたる功績は、今日の東芝の起業に繋がったようです。
発明の数だけではなく、広範囲さから「東洋のエジソン」といわれるのは、至極当然といえます。
■ 芹沢 鴨 新撰組初代筆頭局長
せりざわ かも、芹澤 鴨
天保3年(1832年)? - 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)
幕末の水戸藩浪士で壬生浪士、すなわち新選組の初代筆頭局長です。
前名は、下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)といわれています。諱は、光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされていますが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていません。
江戸で結成された浪士組に新見錦・平山五郎・野口健司・平間重助等を伴い参加し、六番組小頭に任命されました。
芹沢らは、八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)、この前後より「壬生浪士」と称され始めました。
その際、内部抗争が起き、暗殺され、仲間も離脱しますと、壬生浪士は、芹沢派と近藤派が牛耳ることになりました。
内部抗争が激化し、大坂町奉行所与力・内山彦次郎がこれを問題にして近藤を怒らせ、のちに新選組により暗殺されました。
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【 注 】
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