経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【話材 健康】  仕事に集中できる部屋の温度は?

2025-01-01 12:03:00 | 健康・環境
【話材 健康】 仕事に集中できる部屋の温度は?
 経営コンサルタントとして感じたことを、経営コンサルタントの視点で、毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。
 ユーチューブなどを通じて、映像でもお届けしています。
◇仕事に集中できる部屋の温度は?
 仕事でも、勉強でも、机に向かってする作業環境は重要です。その一つが、最適な温度設定です。環境省のホームページに省エネの観点から推奨されている『夏季28℃、冬季20℃』という温度設定は、仕事環境に最適なのでしょうか。
 集中力を高める環境づくりは、大学などの研究機関だけではなく、多くの企業が検証を行っています。集中力を維持する上で、環境づくりは大きな鍵を担っているといえます。多くの研究で、おおむね22℃から26℃の範囲にしませんと、集中力が削がれることが明らかになっているそうです。ただし、個人差も大きいそうです。
 湿度と温度とのバランスも重要です。集中度に関して、温度に比べ、湿度の研究はあまり進んでいないようです。最適湿度もまた、人により異なりますが、おおむね40~60%の範囲がよろしいようです。
 

■ 毎日複数回、ブログでつぶやいています。
 経営士ブログ https://blog.goo.ne.jp/keieishi17
 老いぼれコンサルタントの日記
■ 毎日、X(旧ツイッター)でもつぶやいています。

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■【カシャリ!ひとり旅】【庭園めぐりの旅】
 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。
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■【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月31日 ◇ハーバードビジネススクール流 ◇江戸流儀による寿司の“喰い方” 12 ◇「睦月」の語源は?

2025-01-01 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 12月31日 ◇ハーバードビジネススクール流 ◇江戸流儀による寿司の“喰い方” 12 ◇「睦月」の語源は? 

 明けましておめでとうございます。

 2023年夏より開始しました「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」ですが、お陰様で概ね好評です。

 それに甘んずることなく、このシリーズを、今年も継続して参ります。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち以下の内容は前日のことです。

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

12月31日

 ネット上では、大晦日にそばを食べる人はマイナーな存在だと、息子が言っていました。

 若い人達は、伝統にあまり固執しないのでしょう。

 そのうちに、[昔は、大晦日にそばを食べていたらしい」というような会話がなされるようになるかもしれませんね。

 紅白歌合戦を見ても、面白みを感じないどころか、騒がしくさえ思えました。

 年を重ねてきたせいか、時代の流れから脱落してきているのか・・・

 気分転換に、かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々、江戸に関する書籍を手に取ります。

◆江戸流儀による寿司の“喰い方” 12

 江戸っ子は、「食べる」という言葉より「喰う」という表現の方がぴったりします。そばと共に江戸というと江戸前寿司です。江戸も中期となると、寿司も今日と同じにぎり寿司です。

 海苔巻きも当時からありました。恵方巻に代表される上方の太巻きではなく、細巻きです。江戸っ子は、寿司を飯の代わりと言うより酒の肴としてつまんでいました。今日では海苔巻きなどの巻物は最後に頼むのが常識のようですが、江戸っ子は酒のつまみとするのですから、飲み始めから巻物を頼んでいました。

 お酒を飲む人は、刺身をつまみに一杯やってからお鮨を始めるというパターンが多いと思います。実はこれは江戸では関西風とみなされ、江戸っ子は、そんなのは野暮なことと感じていました。

 江戸っ子は、上述のようにいきなりお寿司を食べたり、ときには銀しゃり、すなわちご飯(飯ではないことを当ブログで紹介済み)を頬張ったりしました。お酒に対して生魚は主張が強すぎると感じていました。すなわち、その中間的な存在として、生魚の強さを銀しゃりがとりもって、酒の肴としてちょうど良い加減と言えるのです。

 巻物も江戸流がありました。江戸時代には鉄火巻きはありませんでした。マグロというのは、寿司飯なしで、海苔で直接巻きます。四角く切ったマグロを巻くので,マグロ巻というのは四角いのです。それに対してキュウリやかんぴょうは丸く巻いたのです。

 当ブログでも紹介しましたが、赤身の良いところだけを見繕って醤油とみりんで浸けた「ヅケ」として食べていました。マグロは「下魚」とみなされていました。今日珍重されているトロなどは見向きもされなかったと言いますからもったいない話ですね。私が江戸時代に生活していたら、わずかな食費で生活できたかも知れませんね。

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

■【今日のおすすめ】

 ■【あたりまえ経営のきょうか書】 ビジネスパーソン成功術 3-02 ハーバードビジネススクールで唱える学ぶ上で最も重要なこと

 「多様性の時代」ということで、若い人達の働く意識が変化してきていると聞きます。

 一方で、伝統的な思考の中でも、忘れてはならないこともあるはずです。

 なんでも、かんでも、「古いものはダメ」と決めつけて良いのでしょうか。

 ■【お節介焼き情報】 「すぐ行動できない人」でも意外に簡単な対処法でやる気が出る

 やらなければならないのに、なかなかやる気が起こらないというときがあります。

 それが日常茶飯な人もいます。

 良い対処法はないのでしょうか。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

  紅白歌合戦 c31

 紅白歌合戦は、ますます若手アーティストの占める割合が高くなってきましたね。

 ほとんど歌番組をテレビで見ることがない私ですが、そんな私の目にとまる歌手もいます。ところが、「あの歌手は上手だ」と思っている人が出場できていません。一方で、これがプロの歌手かと思うような人が何組も出ています。人気だけで選ぶのであれば、その種の番組があるので、それを紅白歌合戦に持ち込むのはどうでしょうか。

 紅白歌合戦のコンセプトをも一度見直し、「実力主義」を標榜してはどうでしょうか。

 バラエティ番組など素人に毛が生えた程度でテレビ出演をしている人が多く、逆に、実力を判定できる人が少ない世界のような気がします。実力判定ができないから、人気とか売上数とか、数値として見える物に頼りすぎです。実力判定という能力が退化し、ホンモノの実力を判定できなくなってしまっているのです。

 プロもどきのアマチュアに乗っ取られたテレビは、このままでは衰退するでしょう。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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◆【季節 一口情報】 1 月 睦月 その名前の由来は?

2025-01-01 07:33:00 | 【話材】 季節

【季節 一口情報】 1 月 睦月 その名前の由来は?

 

 明けましておめでとうございます。

 旧年中は、ご愛読くださりありがとうございました。

 本年は、一部公開を始めましたが、吉田兼好の徒然草をベースに、「徒然なるままに日暮パソコンにむかひて」と題して、経営の視点から徒然草を見て参りたいと思います。

 倍旧のご愛読をよろしくお願いします。

お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

「日本には四季がある」といいます。それに伴い、四季を表すいろいろな言葉もあります。二十四節気は、四季を感ずる契機となります。それらの中から、話材になるような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

  1 月

 
■ 睦月(むつき)

 正月には、親類縁者が集まり、睦まじくする月ということから1月を「睦月」というようになったと言われています。

 日本のゆかしき伝統が次第に失われて来ていますが、私に摂りましては一年の始まりという気持ちに切り替えの時と考えています。「一年の計は元旦にあり」と子供の頃川教えられ、この歳になっても、一年の計を考えるようにしています。すなわち一年のPDCAの基本づくりです。
  
 ■ 英名の由来

  1月は、英語で「January」です。
 ローマ神話に出てくる、出入り口と扉の神でありますヤーヌス(ヤヌスとも記述する Janus)に因んで、名付けられたといわれています。
 ヤーヌスは、前後または左右に顔を持っています。一年の終わりと始まりの境界に位置していることから、1月を司る神としても知られています。入り口の神ということから、物事の始まりの神でもあります。
 過去と未来の間に立つ神様という伝承もあります。日本の神道に、「年神(としがみ)」がいますが、似たような働きの神様なのでしょうか。 (【Wikipedia】を参照して作成)

  
 ■ 1月の異名 【Wikipedia】

いわいづき・いはひづき(祝月)、かげつ(嘉月)、かすみそめづき(霞染月)、たんげつ(端月)、しょげつ(初月)、しょうがつ(正月)、けんいんづき(建寅月)、げんげつ(元月)、たいげつ(泰月)、たろうづき(太郎月)、さみどりづき(早緑月)、としはつき(年端月、年初月)、はつはる(初春)、むつき(睦月)

■ 1月の季語 【Wikipedia】

新年、元旦、元朝、初鶏、初鴉、初雀、初明かり、初日、初空、初富士、初凪、若水、初手水、 御降(おさがり:元旦に降る雨)、乗初、白朮詣(おけらまいり)、初詣、破魔弓、歳徳神、恵方詣、七福神詣、 延寿祭、年賀、御慶、礼者、礼受、名刺受、礼帳、年玉、賀状、初便、初暦、初刷、初竈、大服、 屠蘇(とそ)、年酒、雑煮、太箸、歯固(鏡餅を供え、食い祝う事)、食積、ごまめ、数の子、切山椒、門松、 飾、注連飾(しめかざり)、飾臼、新月、鏡餅、蓬莢、初化粧、初諷経(声を出し経文を読誦する事)、歯朶(しだ)、 楪(ゆづりは)、野老、穂俵、福寿草、福藁(ふくわら)、春著、手毬、独楽、追羽子、羽子板、羽子、福引、 歌留多、双六、絵双六、十六むさし、投扇興、万歳、猿廻し、獅子舞、傀儡師、笑初、泣初、 嫁が君(新年のねずみの事)、二日、掃初、書初、読初、仕事始、山始、鍬始、織初、縫初、初商、売初、 買初、初荷、飾馬、初湯、梳き初、 結い初、初髪、初鏡、稽古始、謡初、弾初、舞初、初句会、初芝居、 宝船、初夢、三日、松囃子、福沸、三ヶ日、御用始、帳綴、女礼者、騎初、弓始、出初、寒の入、 小寒、 寒の内、寒の水、寒造、寒餅、寒紅、寒詣、寒垢離(水を浴びて祈願する事)、 寒念仏、寒施行、寒灸、 寒稽古、寒復習、寒弾、寒声、寒見舞、寒卵、寒鯉、寒鮒、 寒釣、七種、若菜、薺(なずな)、薺打つ、 七種粥、粥柱、寝正月、三寒四温、悴かむ、 胼、鷽替(1月7日筑前の太宰府天満宮で行われる神事)、小松引、 初寅、初卯、初薬師、初金比羅、十日戎、宝恵駕(1月10日大阪今宮戎神社の祭礼)、初場所、餅花、土竜打、綱曳、松の内、松納、飾納、注連貰、左義長(新年の飾りを取り除いて燃やす事)、鳥総松、松過、小豆粥、 成人の日、薮入、凍る、冴ゆる、皸、霜焼、霰、風花、雪起し、雪、雪見、雪掻、雪卸、雪踏、雪まろげ、 雪合戦、雪礫、雪達磨、竹馬、スキー、雪車、雪沓、かんじき、しまき、凍死、雪眼、雪女郎、雪折、雪晴、 氷、氷柱、氷柱、採氷、砕氷船、氷下魚、スケート、避寒、寒月、寒の雨、薮柑子、青木の実、寒牡丹、 葉牡丹、寒菊、水仙、冬薔薇(ふゆさうび)、冬の草、竜の玉 、寒竹の子、冬苺、麦の芽、寒肥、初大師、 大寒、厳寒、初天神、日脚伸びる、早梅、臘梅(らふばい)、寒梅、探梅、冬桜、寒椿、侘助、寒木瓜、室咲、 春待つ、春隣、節分、柊挿す、追儺(ついな:なやらひ、鬼やらひという)、豆撒、厄落、厄払、厄塚、 懸想文

◆【季節 一口情報】バックナンバー ←クリック


【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
 
 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 詳しくは、サイトでご覧下さい。 
 
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 日本最古の経営コンサルタント団体・日本経営士協会とは
 資格取得についてや入会の手続等
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■【きょうの人】 0101 ■聖徳太子 ■ 鉄眼道光 ■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及

2025-01-01 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0101 ■聖徳太子 ■ 鉄眼道光 ■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 聖徳太子 


 しょうとくたいし
 敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))


「聖徳太子」は、後世の諡号で、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)といい、飛鳥時代の皇族・政治家です。用明天皇の第二皇子として生まれ、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女です。

 推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を積極的に取り入れました。

 冠位十二階や「和をもって貴しとなす」ではじまる十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立に功績があったといえます。また、仏教を取り入れ、神道とともに厚く信仰し興隆につとめました。

 大阪の四天王寺を建立し、療病院施薬院、悲田院を設け、社会事業の鏑矢をなしたことは注視すべきことです。

 聖徳太子は、天皇にならなかった著名な皇族の一人です。

 毎月22日は、処々で大師会とか太子講と称して法会が営まれます。4月15日は「聖徳太子祭」として、わが国の「文化の祖」と言われる聖徳太子を奉賛する祭日です。


 聖徳太子は、一度に十人の人の言葉を聞き分けたという伝説があります。その真偽は別として、ビジネスパーソンには「複々線思考・行動」が必要と考えます。

 私達の多くは、毎日、複数の業務や作業などを並列的に進めて行かなければなりません。列車が単線上を、並んだ順に走るのではなく、複線や複々線上に異なった列車という業務等に取り組まなければなりません。

 優先順位が高い業務は、専用線上を走らせたり、他の業務を停車させたり、それを追い越していくこともあります。

 聖徳太子のように一時に多数の業務をすることができなくても、PDCAをキチンと回すことにより複々線思考・行動をすることは可能ですし、それが求められています。

 

【経営コンサルタントのつぶやき】 聖徳太子が消える???

 寺社廻りをしていますと、「大師堂」とともに「太子堂」という堂于をしばしば目にします。
 前者は、「弘法大師」すなわち空海を祀る堂于です。
 それに対して、後者は、聖徳太子を祀っています。

 聖徳太子というのは、お札の肖像にもなりましたが、私達の身近にいらっしゃるということですね。
 ところが、その聖徳太子が教科書から消えてしまうという話題が一時さかんになりました。
 聖徳太子という人はいなかったとか、聖徳太子は、ひとりではなく、複数いらっしゃったとか、いろいろな説が流布されたからです。
 その背景には、聖徳太子の実在を示す物が少なく、はっきりしている「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」とすべきだという説が有力であるからでもありそうです。
 お札の肖像画も、実際の聖徳太子のものかどうかもわからないのでしょう。

 お札で親しんできたこともあり、消えて欲しくはないですね。

 

■ 鉄眼道光


 正字: 鐵眼道光(てつげん どうこう)
 寛永7年1月1日(1630年2月12日) - 天和2年3月22日(20日説あり)(1682年4月27日)


 江戸時代前期の黄檗宗の禅僧、諡号は宝蔵国師。

 肥後国益城郡守山村(現・熊本県宇城市)に生まれ、13歳で出家しました。明暦元年、隠元や木菴に学びました。

 大蔵経の観光のために全国行脚を行い、1678年(延宝6年)に完成しました。宇治黄檗山に法増員を立てて、その木版を貯蔵しました。

 その後、金禅寺(大阪府)、海蔵寺(東京都)など7か寺を開くなどの功績もあります。

 

■ 一向上人(一向 俊聖) 踊り念仏の普及


 いっこう しゅんしょう
 暦仁2年1月1日(1239年2月6日)- 弘安10年11月18日(1287年12月24日)


 鎌倉時代の僧侶で、伝記に謎が多く、生没日も定かでなく、実在すらが疑問視されていましたが、考古遺物により、存在が証明されました。

 伝承によりますと、筑後国西好田(福岡県久留米市か)の鎮西御家人草野氏の草野永泰の第二子に生まれたとあります。

 俊聖(一向上人)は、寛元3年(1245年)に、播磨国の書写山にある圓教寺に入寺して天台教学を修めることとなり、建長5年(1253年)に剃髪受戒して名を俊聖としました。

 翌年夏には書写山を下り、奈良の興福寺、鎌倉の蓮華寺(光明寺)をはじめ各地を遊行回国し、踊り念仏(踊躍念佛)、天道念仏を修し、道場を設けるまでに至りました。

 一遍と並んで浄土系遊行聖となり、各地を回り踊り念仏を広めました。

 弘安七年、近江蓮華寺を立てて開基となりました。49歳で同寺で最期を迎えたといわれています。


■ 慈昌 (源誉存応)


 じしょう
 天文13年1月10日(1544年2月2日)- 元和6年11月2日(1620年11月25日)


 安土桃山時代から江戸時代にかけての浄土宗の僧でえ、号は貞蓮社源誉存応、武蔵国多摩郡由木の出身です。

 初め武蔵国新座郡の時宗大平山法台寺の蓮阿に師事して出家、一遍の法流を伝えました。

 1561年(永禄4年)岩瀬大長寺の存貞に従って浄土宗に改宗し、その後武蔵国川越蓮馨寺をへて、1574年(天正2年)与野長伝寺を開創し、1584年(天正12年)には江戸増上寺の12世となりました。

 1590年(天正18年)徳川家康の関東入部にともない師檀の関係を持ち、増上寺は徳川家の菩提寺となりました。

 1598年(慶長3年)増上寺の寺地を現在の芝(東京都港区)に移して、家康の手厚い保護のもと京都知恩院とともに浄土宗の名刹となりました。

 浄土宗法度や浄土宗関東十八檀林制度の議に参加し、また紫衣の綸旨を賜っています。また、「普光観智国師」の号を贈られました。

 現在、増上寺山内塔頭に「観智院」があります。

 

■ 高田屋 嘉兵衛 江戸時代後期の廻船問屋でロシアに抑留


 たかたや かへえ
 明和6年1月1日(1769年2月7日)- 文政10年4月5日(1827年4月30日)


 江戸時代後期の廻船業者、海商で、ロシアに抑留されるも、ゴローニン事件を日ロ交渉の仲立ちをして解決に導く功績があります。

 淡路島で生まれ、幼名は菊弥です。兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出します。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献しました。

 ゴローニン事件とは、当時、日本の対ロシア感情は極めて悪化していたことに起因しています。

 文化8年(1811年)、ロシアの軍艦ディアナ号が千島列島の測量を行っていました。その首領がヴァーシリー・ゴローニンです。国後島の泊に入港した際、厳戒態勢下にありました国後陣屋の役人が捕えらえ、松前で幽閉した事件です。

 函館山の麓、高田屋屋敷跡を通る高田屋通(護国神社坂)のグリーンベルトに嘉平の銅像が建っています。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【ご挨拶】 新年を迎えて 「枕草子に登場する『まねぶ』は実力養成の第一歩」を貫く

2025-01-01 00:00:00 | ご挨拶

【ご挨拶】 新年を迎えて 「枕草子に登場する『まねぶ』は実力養成の第一歩」を貫く 

 明けましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。

 今年は、巳年です。年を表す時の別名は「大荒落(大荒駱、大芒落、大芒駱)」といってあまり良い年ではないと言われています。
 蛇といいますと、その特徴は、足もないのにスルスルと移動できることです。
 蛇は、足のないことを嘆くのではなく、その欠点を補い、活かし、水陸両用の移動をするような進化を遂げました。私達人間は、得意不得意があります。それを活かしていくことで、生きやすくなることを蛇は教えてくれているのかも知れません。
 蛇は、その独特な生態と行動から、多くの文化や神話において重要な存在とされています。興味深い生物ですね。
 本年は、その蛇にあやかり、「欠点も使い方によっては武器にすることができる」の教えを受けて、今年も「しゃべり(書く)まくり」ます。

■「枕草子に登場する『まねぶ』は実力養成の第一歩」を貫く
 「まねぶ」は、「まねる」と「まなぶ」の合成語として紹介しています。
 私自身が、経営コンサルタントになりたての頃、「コンサルティングはどのようにするの」「コンサルタントとしてなにをやるのだろうか」と考えたときに、先輩から学ぼうとしました。ところが、コンサルティングというのは、先生それぞれがノウハウを持ち、それを武器に仕事をしていますので、30才そこそこの若造の私には、それを開示してくれるわけはありません。
 私は、自分で受注したコンサルティングの仕事を先輩の鞄持ちをしながら盗み取ることにしました。コンサルティング受注は、1970年代の当時でも難しかったですから、先輩にとっても、私にとってもメリットがあるウィン・ウィンのことだったのです。
 先輩のなさることを全て吸収しようと、必死で学び、それをもとにまねるようにしました。その体験から、冒頭にありますように「まねる+まなぶ=まねぶ」という言葉にしたのです。

 1990年代に入りますと、パソコン通信から、インターネットへと利用手段が変化してきますと、経営コンサルタントとしての差異化(差別化)を図るためにFAXを通じた情報発信からメーリングリストへ、メーリングリストからSNSへと変化して来ました。
 その過程で、日本語の難しさを痛感し、古典を読み返したり、現代国語文法を学び直したり、聴き手の理解を得るための表現力を養成したりということを始めました。やがて、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれるようになり、偉そうに「実力養成の第一歩は〃まねぶ〃である」というようなことを書いたり、話したりする機会が多くなってきました。
 ところが、枕草子を読み返していたあるときに、「まねぶ」という言葉を発見して多きなるショックを受けました。自分が作った合成語だと思っていたら、純然たる日本語として「まねぶ」が存在していたのです。それも枕草子の時代ですから平安時代にはすでに、この言葉が日常使われていたと考えられます。
 それを知ったときにはショックでしたが、私が作った合成語とは語源も意味合いも異なりますので、いまだに「まねぶ」の話を続けています。
 ちなみに、古語辞典(学研全訳古語辞典)によりますと、「まねぶ」は次のような意味合いを持った言葉であるそうです。
  ①まねる。まねて言う。
  ②そのまま伝える。
  ③勉強する。教えてもらって身につける。
 私の言っている「まねぶ」と通じることがあるのですから、私の合成語も悪くはないとニンマリとしました。


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