経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【経営コンサルタントへの道】 5. 信頼できる経営コンサルタントとは 4 有能な経営コンサルタントは本を書いている?

2025-01-05 12:03:00 | 【専門業】 経営コンサルタント成功法

  ■【経営コンサルタントへの道】 5. 信頼できる経営コンサルタントとは 4 有能な経営コンサルタントは本を書いている?    

 私は1970年代から半世紀にわたり、「経営コンサルタントとはお節介焼き」「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」「現場を重視」「管理とは温かいもの」をモットーとして経営コンサルタントという職業に就いてきました。
 経営コンサルタントになってから、いろいろな人から「なぜ経営コンサルタントになったの?」「経営コンサルタントになるにはどうするの」あるいはすでに経営コンサルタントになっている人からは「経営コンサルタントとして成功するこつは」などと聞かれてきました。
 経営コンサルタントを目指す人の大半が、世の中に漂う“常識”的な方向定めと方法で準備を開始しています。しかし、経営コンサルタントへの道は厳しいですが、成功法による近道もあります。
 経営コンサルタントを目指す人が一度は辿るこの道に、正しい回答になるかどうか、お役に立つかどうかはわかりませんが、独断と偏見をお許しいただき、以下のようにまとめてみました。ご参考にされ、皆様の自己責任でもって判断し、行動して下さい。
■5. 信頼できる経営コンサルタントとは 
 たとえ経営コンサルタント資格取得ができたからといって、それで経営コンサルタントとして認められるわけではありません。経営コンサルタントは経営者から信頼されなければ仕事をいただくことができません。
 では、どのような経営コンサルタントが信頼され、仕事の依頼がくるのでしょうか?
有能な経営コンサルタントは本を書いている?  

 有能な経営コンサルタントは、難しいいろいろな本をたくさん書いているだろうとお考えの人が多いようです。「本を書いていないような経営コンサルタントは無能なコンサルタントだ」と信じている経営者・管理職が多いのです。
 私ども経営コンサルタントが企業を訪問すると「先生は、どのような本をお書きですか」という質問をしばしば受けます。しかし、経営コンサルタントとしての仕事が多忙であると本を書いている暇などあまりできないはずです。本を書くとしてもせいぜい短期間にまとめられる本を書くのが関の山でしょう。もちろん、有能な経営コンサルタントで、細切れの時間を利用して本を書いている人もたくさんいます。
 有能な経営コンサルタントは、いろいろな企業を深く見ていますし、時代の先を読むために先進的な情報を常に仕入れています。ですから、本を書く材料は頭の中や資料として充分持っているでしょう。それらをベースに、自分の考え方をまとめるために、どんなに多忙であっても研究論文には取り組んでいるはずです。
 有能な経営コンサルタントは必ずしも本を書いているわけではありません。同様に、有能な経営コンサルタントはそのように時間に追われていますので、講演などもあまり多くなく、テレビなどマスコミに出演することも少ないでしょう。従って有能な経営コンサルタントは必ずしも有名とは言えないのです。
■【経営コンサルタントへの道】 バックナンバー

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■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 1月4日 ◇ビジネスパーソン成功術 ◇元気な会社 天才に依存せず、価値ある発明を安定的・大量に生みだしたい 2525-4104

2025-01-05 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 1月4日 ◇ビジネスパーソン成功術 ◇元気な会社 天才に依存せず、価値ある発明を安定的・大量に生みだしたい 2525-4104 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

1月4日

 かねてより、鉄道の自動運転を提唱してきましたが、ようやくJRもその方向で動き始めています。

 まだJR九州の一路線にすぎませんが、人手不足や運転コスト削減などにメリットが大きいと思います。

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

 私は、創業まもなくの頃、ベンチャー企業に重点をおいて顧問先開拓をしてきました。「日経ベンチャー」誌が創刊間もない頃でしたので、広告掲載料も私の手の届く範囲だったこともあり、隔月で広告を掲載し続けました。

 ベンチャー企業の大半が、コンサルタントを雇うための経済的ゆとりはありません。無理をしてでも、コンサルタントの力を借りたいという経営者もいましたので、その心意気に感じて、彼等の支援をしました。

 竹根の部下が紹介してくれたのが、都内のベンチャー企業なので、早速飛んで行きました。

◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 天才に依存せず、価値ある発明を安定的・大量に生みだしたい 2525-4104

 天才とは1%のひらめきと99%の努力である―。いわずと知れた「発明王」トーマス・エジソン氏の名言である。どんな発明にも多大な努力が必要であるとして、地道な努力の大切さを指摘したものと流布している。しかし、これは誤解であり、「99%の努力」ではなく「1%のひらめき」の方を強調したものだと本人が語っているという。

 さまざまな資料で明らかにされていることだが、エジソン氏は晩年、くだんの名言についてこう述べている。「私は、1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言った。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」。どんなに努力しても、ひらめきがなければ天才的な発明は生まれてこなかった、というのが真意のようだ。

 いずれにしても、エジソン氏が稀代の天才発明家であることに違いはない。そして、エジソン氏を含め、数少ない天才たちが世に送り出した画期的な発明により人類の文明は発展してきた。ただ、こうした天才が常に登場するわけではなく、人類は天才による発明をいつの時代にも享受できるものでもない。ならば天才に依存せず、AI(人工知能)によって価値ある発明を安定的かつ大量に生みだそうと取り組んでいるのがS社(東京都新宿区)である。

 その第一歩として同社が手掛けているのが創薬。2018年の創業からまだ間もないが、すでに製薬会社と新型コロナ治療薬の創出で提携しているほか、炎症・中枢神経疾患に対するキナーゼ阻害薬の共同研究契約を医療ベンチャー企業と結ぶなど、早くも実績を上げつつある。同社の取り組みは高く評価され、代表取締役CEOのS氏は、中小機構主催の「第21回Japan Venture Awards」で中小企業庁長官賞を受賞した。

 AIによる創薬は費用の大幅削減も可能とした。新薬開発の1プロセスだが、前臨床候補化合物として有望な化合物を作り出すのに通常20億円もの費用がかかるが、同社のシステムにより、費用を50分の1~100分の1に圧縮できるという。「今ある難病の中には、莫大な開発費用のため薬を創ることがネグレクトされているものもある。AIの力で費用を抑え、薬を創出できれば、そうした難病に苦しむ人々にとって助けとなりうる」とS氏。天才の出現を待たずして多くの人々の命を救える日が訪れそうである。
 

   出典: e-中小企業ネットマガジン

■【今日のおすすめ】

 【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】  日本の宇宙ビジネスのすそ野を広げる 3531-4b12

 宇宙ビジネスといえば、政府とか大企業の事業分野と考えます。しかし、中小企業でこの分野に果敢に挑戦しているところがあります。

 経営者の心意気を感じてください。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

   ■【今日は何の日】 1月5日 囲碁の日 【今日の写真】伝通院

■【知り得情報】
 「経営とは、環境対応業である」という名言は、私の先輩コンサルタントが残してくれた言葉です。
 その経営環境は、めまぐるしく変化します。政府や自治体も、その変化に対応できるように中小企業向けの各種施策を提供しています。ところが、その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去には焼け石に水かも知れませんが、仕入れた情報をときどきご紹介します。
 重複してお届けすることもありますが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

◇《公募情報》2025大阪・関西万博に向け「未来への挑戦メッセージ」募集
  ~中小企業の「未来社会への挑戦」を伝えられます。
 (独)中小企業基盤整備機構と中小企業庁は、2025大阪・関西万博にて、日本の中小企業・小規模事業者を「未来社会をつくる挑戦者たち」として、展示会場や特設サイトで公開するメッセージを募集しています。
[募集期間]2024/10/24(木)~2025/ 1/6(月)
[掲示期間]2025/10/ 3(金)~2025/10/7(火) 5日間
[掲出場所]1. 大阪・関西万博EXPOメッセ「WASSE」
          《South》(大阪夢洲)
      2. 中小機構万博特設サイト
[参加費] 無料
 詳しくは以下のサイトをご覧下さい
 https://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/chiiki/2024/241024expo.html
 https://expo2025.smrj.go.jp/
  出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

◆ 江戸っ子は甘口の酒を飲んでいた? 104

 江戸時代といいますと、上方からの物資がたくさん流入していました。

 お酒はどうかと言いますと、「灘の生一本」と灘のお酒が好まれていました。

 辛口のはずの灘のお酒が、江戸では甘口の酒として売られていたのです。

 なぜ、江戸の灘は甘口なのでしょうか?

 灘の清酒メーカーが江戸でマーケティング・リサーチをした結果、江戸っ子は甘口の酒が好まれるとわかって、江戸向けの酒は甘口にして出荷していたのでしょうか?

 どうも、そうではなさそうです。

 正解は?

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/79d115beb93bdc8a7b0a558c22127d61

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

  >> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db  


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■【季節 一口情報】 二十四節気 106 小寒(しょうかん)  芹がよく生育する頃  

2025-01-05 07:03:00 | 【話材】 季節

【季節 一口情報】 二十四節気 106 小寒(しょうかん)  芹がよく生育する頃  

お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

「日本には四季がある」といいます。それに伴い、四季を表すいろいろな言葉もあります。二十四節気は、四季を感ずる契機となります。それらの中から、話材になるような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

■106 小寒(しょうかん)  芹がよく生育する頃  (年により異なる)


 二十四節気の一つの小寒は「寒の入り」とも言います。二十四節気の冬至と大寒の中間にあり、寒気が厳しさを増す頃という時期です。今日から節分までを「寒の内」と呼ばれるのはよく知られています。

 ちなみに喪中などで年賀を欠礼した人に寒中見舞いを出すのも寒の内にするのが礼儀だそうです。

 今日は、コンクラーヴェ、といいましても、「根比べ」でもなければローマ教皇の選挙でもありません。私のコンクラーヴェは、教皇選挙が外部を遮断して、おこもりをすることから、私の「おこもり日」です。

 予定していたスケジュールがキャンセルとなり、自室に閉じこもって、コンサルティングに関する研究に没頭できる贅沢な一日です。コンクラーヴェの間は、メールも送受信せず、もちろん電話も出ません。

 そうはいっても今日、メールを無視することはできませんので、おこもりに入る前やティータイム、食事の時間に処理することにしています。ところが、このような日に限って面倒なメールが複数来るのですね。神様は、私のコンクラーヴェという贅沢をお許しにならないのでしょうか。

 

小寒 初候 芹乃栄(せりすなわちさかう) 芹がよく生育する

    次候 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 地中で凍った泉が動き始める

    末候 雉始雊(きじはじめてなく)雄の雉が鳴き始める

 

 

◆【季節 一口情報】バックナンバー ←クリック


【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会
 
 日本経営士協会は、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 詳しくは、サイトでご覧下さい。 
   https://www.jmca.or.jp/
 
 
 

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■【きょうの人】 0105 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力 ■ 幡随意上人 徳川家康が浄土宗法論奉行役を命ず ■ ジャン・バティスト・セイ 経済学「セイの法則」

2025-01-05 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0105 ■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力 ■ 幡随意上人 徳川家康が浄土宗法論奉行役を命ず ■ ジャン・バティスト・セイ 経済学「セイの法則」

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ ジャン・バティスト・セイ 経済学「セイの法則」

 1767年1月5日は、フランス人 ジャン・バティスト・セイの誕生日です。経済学者で「セイの法則」が良く知られています。

【Wikipedia】ジャン・バティスト・セイ

 ジャン=バティスト・セイ(Jean-Baptiste Say、1767年1月5日 - 1832年11月15日)はフランスの経済学者、実業家。彼は自由主義的見解を持っており、競争、自由貿易、および事業上の制約の引き上げに賛成する主張を行った。「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られる。

 

■ 幡随意上人 徳川家康が浄土宗法論奉行役を命ず


 ばんずいい
 天文11年10月15日(1542年11月21日)- 慶長20年1月5日(1615年2月2日))


 戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧で、紀伊(相模国という説もあり)の出身です。号は「白道演蓮社智誉(向阿)」

 9歳の頃から出家の志があり、11歳の歳には玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号しました。

 その後、鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学びました。

 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となります。

 慶長8年1603年には、ふたたび家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創しました。後に上州館林に善導寺を開き、中興開山となりました。

 慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くしました。和歌山の万性寺を開創後、慶長20年に入寂、74歳でした。(【Wikipedia】を基に作成)

 

■ 夏目漱石 (なつめ そうせき)


 1867年2月9日(慶応3年1月5日)- 1916年(大正5年)12月9日)

 日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏

 江戸時代末期、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)の出身で、大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びました。

 帝国大学(現在の東京大学)英文科を卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めました。

 イギリスへの留学はその後のことです。精神的な病気にかかったといわれますが、研究に没頭している様を見た人が、その生活態度を見て、「夏目発狂」という噂を流したとも言われています。

 帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』など、次々と傑作を書いて行きます。

 その後、朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載したりしています。晩年は、胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となりました。

。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。

 新宿の生まれた場所と言われるところには、現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。

 

■ 李 鴻章 清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力


 り こうしょう
 1823年2月15日(道光3年1月5日)-- 1901年11月7日(光緒27年9月27日)


 中国清代の政治家で、字は少荃(しょうせん)。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力しました。

 日清戦争の講和条約である下関条約で、清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことで知られています。

清朝末期に起こった反乱・太平天国の欄で、政府軍に降伏した敵軍を吸収しながら、西洋式軍事訓練も施して、自軍強化に努め、蘇州・常州を奪回するなど、活躍しました。

 李鴻章は、その手腕を買われ、清朝の重臣筆頭となり、さらに同治帝の母・西太后の厚い信任を得ました。

 日本の朝鮮出兵などの動きに驚異を感じ、日本との関係を模索しました。同治9年9月、清を訪れた柳原前光ら日本使節団と天津で会談、日本との提携を記した草案の作成を担当し、伊達宗城・柳原前光ら使節団と日清修好条規を結びました。

 大久保利通他とも交流を持ち、西欧やロシアの圧力に対抗を試みるなど政治的手腕を発揮しました。しかし、日本は、日清戦争に走ります。日本側は列国の干渉をおそれ、休戦条約を調印し、日清講和条約(下関条約)の調印を行います。

 この条約で朝鮮・台湾・遼東半島などの喪失と賠償金支払いなどで、清の威信は大きく低下し、李鴻章は失脚します。しかし、西太后の意もあり、復権します。

 波乱の人生でしたが、李鴻章の意志は、袁世凱に引き継がれます。

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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