日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

道路建設の説明会

2005年07月08日 | インポート
県営ふるさと農道緊急整備事業一本松地区道路(3工区)工事説明会というのが、午後7時30分より愛野町農業研修センターで行われた。

野井地域幹線道路新設促進期成会の役員ということになっているので、案内が来ていた。
今回の説明会は、全長1,860mの中の1,000m区間である3工区に関してのものだった。

車道幅員5.5m、路肩1.5m、歩道部2.0mの総幅員9.0mで計画されている、地域にとっては待ち望んだ幹線道路だ。

県の担当者氏の説明によれば、側溝の敷設は、5年に一度程度の確率でおきる最大降水量でその側溝の通水断面(大きさ)を決定していると言う事だった。

だから、5年に一度発生するような降雨量以上の雨だと、計画された側溝からは、側溝に流下してきた雨水が溢れ出す事も想定していると言う。

以前に、愛野町内の畑の中の側溝の無い道路で、豪雨の時に川のようになった道路に遭遇した事がある。
水は谷筋を流れるものだという認識を持っていたが、行き場が無くなった水は、尾根筋状の道路からでも川のようになって流下するものだと言う事を知った。

平穏な時には、無くても良いような側溝ではあるが、大雨が降り出すと重要な役割を担うことになる。
道路を川にしないためにも、通水量にある程度の余裕を持った断面の側溝の敷設が望まれる。

道路面が、現行の畑面よりかなり高くなるので、道路から畑への降り口に関しては、工事の中で作るようにするという説明で、最大3mの幅のものを作るということだった。

道路として買収される区域に赤土を客土している場合には、その赤土は本来の畑として残る区域に、工事の際に移動させるような処置をしてくれると言う事だった。

集まった地権者の方々からは、1/500の計画図を見ながら、色々な提案や質問が出ていた。
県(島原振興局)からも、たくさんの職員の方が来ており、そのような色々な質問に丁寧に答えていた。

集まった地権者の方々は納得されて、今後の事業予定に賛同されていた。
役場や振興局の職員の方たちの誠意ある説明会の進行のやり方が、心地よかった。

あとは、用地買収交渉が順調に進み、10月頃からの工事着手に向かって粛々と進んで欲しいと思う。

地域の発展の要となるような道路であるから。

豊田かずき



歴史的資料

2005年07月08日 | インポート
愛野町郷土誌編纂事務局から依頼されていた資料をまとめてみた。
その原稿の書式は、25文字の17行で縦書きでという指示だった。

縦書きの原稿などはほとんど書かないので、少し違和感があったが、他の人の研究成果からの抜粋と簡単な説明文を付けるだけの内容だったので、4時間ほどで完了した。

最初に言われていた「納期」を1週間ほど過ぎてしまっているが、諸般の雑用に追われてなかなか手がつけられなかったと言う事にしておこう。

日本国の形状を、正確な実測により明らかにしたことで有名な、伊能忠敬大先輩(私も測量士のはしくれなのでこのように呼ばせてもらっている)が、およそ200年前に、わが町の周辺を測量して廻られた頃の記録が、「測量日記」の中に残されている。

長崎市に在住の、伊能忠敬研究会会員の入江正利氏が、それを現代文表記に直して、西暦年や時刻などを書き込んだ詳細な研究成果を、御自分のパソコンで編集・製本して、長崎県立図書館に寄贈されている。

「測量日記編」と「地図編」の2冊からなるものだが、長崎県全域の分が網羅されているすばらしい研究成果である。

その研究成果の中から、愛野町に関係する部分の日付の所を抜粋して、説明文を書くだけの作業だが、6ページ分の分量になった。

伊能忠敬大先輩が、そのような日記を残してくれていたおかげで、およそ200年前の近隣地域の地名を知る事が出来、その測量成果により当時の海岸線の位置を知る事ができる。

特に、愛野町周辺の低平地域は、古来よりの干拓によって造成されてきた土地であるから、その当時の海岸線と現在の地図の海岸線とを比較してみるとおもしろい。

日本国のほとんど全ての海岸線と主要な街道を、徒歩で移動しながら測量作業を実施された先人の業績に対して、深甚な敬意を表さずにはいられない。

そのような業績の一部を、愛野町郷土誌の中の資料のひとつとして残せることは、測量を生業としている者にとってはとても喜ばしいことでもある。

豊田かずき