住んでいる川端町内会で、48回目の川祭りの行事があった。
昭和32年の諫早大水害の翌年から毎年、川の神様に対する畏敬の念を示すためと、2度とそのような災害が起きないようにという祈りを込めて、千鳥川の除草・清掃作業と合わせて、各住宅の害虫駆除消毒を実施している。
夕方からは、ご婦人方が作った手料理での懇親会となる。
従来は、その災害が起こった7月25日に行っていたが、最近は専業農家の数が少なくなり、外に勤める人の数が増えてきたので、7月25日に近い日曜日に実施する事になった。
朝8時から、川や道路の除草班と害虫駆除班に分かれて作業を実施し、昼前には作業は終了する。
作業が終了したら、酒屋さんの前のせんだんの木の下の木陰で休憩をして歓談する。
スイカを食べ、缶ビールを飲み、先輩方から昭和32年の大水害の様子などが話される。
当時3歳だったが、水害後の様子は記憶に残っている。
先輩のYさんが話されていたが、1階の鴨居のところまで浸水したということで、自分たちは2階に避難していたということだった。
水が引いた翌日は、集落の廻り中に泥が堆積していて、そのほとんどを人力で片付けた当時の親たちの精神力と勤勉さは、すごいものだとY先輩が話されていた。
30cm程度に生育していた稲も、そのほとんどが泥に埋もれていたそうだが、その泥を人力で取り除き、苗をどこかから分けてもらって植えなおしたそうだ。
ほとんどの家庭が農家だった頃だから、米を収穫できなければ生活が成り立たないので、必死の思いであちこちから苗を見つけて来て植えたのだろう。
私たちの親たちの世代の生活力のすごさがうかがえる。
果たして今の私たちに、そのような事ができるものだろうかと考えてしまった。
豊田かずき
昭和32年の諫早大水害の翌年から毎年、川の神様に対する畏敬の念を示すためと、2度とそのような災害が起きないようにという祈りを込めて、千鳥川の除草・清掃作業と合わせて、各住宅の害虫駆除消毒を実施している。
夕方からは、ご婦人方が作った手料理での懇親会となる。
従来は、その災害が起こった7月25日に行っていたが、最近は専業農家の数が少なくなり、外に勤める人の数が増えてきたので、7月25日に近い日曜日に実施する事になった。
朝8時から、川や道路の除草班と害虫駆除班に分かれて作業を実施し、昼前には作業は終了する。
作業が終了したら、酒屋さんの前のせんだんの木の下の木陰で休憩をして歓談する。
スイカを食べ、缶ビールを飲み、先輩方から昭和32年の大水害の様子などが話される。
当時3歳だったが、水害後の様子は記憶に残っている。
先輩のYさんが話されていたが、1階の鴨居のところまで浸水したということで、自分たちは2階に避難していたということだった。
水が引いた翌日は、集落の廻り中に泥が堆積していて、そのほとんどを人力で片付けた当時の親たちの精神力と勤勉さは、すごいものだとY先輩が話されていた。
30cm程度に生育していた稲も、そのほとんどが泥に埋もれていたそうだが、その泥を人力で取り除き、苗をどこかから分けてもらって植えなおしたそうだ。
ほとんどの家庭が農家だった頃だから、米を収穫できなければ生活が成り立たないので、必死の思いであちこちから苗を見つけて来て植えたのだろう。
私たちの親たちの世代の生活力のすごさがうかがえる。
果たして今の私たちに、そのような事ができるものだろうかと考えてしまった。
豊田かずき