日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

通行止めからの思い出

2005年07月29日 | インポート
家の近くで、アパートの建築工事がされている。

その土地の前の道路を掘り起こして、水道管と下水道管の敷設工事をするために、今日は朝から夕方まで、その方面へは通行止めだった。

2日ほど前に、その工事をする業者の社員が、地図入りの通行止めの通知を持って来て、29日は通行止めになる旨を説明していた。

車で出かける用事があったので、別のルートを通ってみた。

愛野町の中でも古い町並みで、舟津という町内会名で、小字も舟津という地域を通って国道に出るルートだが、私が子どもの頃には路線バスが通っていた道路だ。

まだ道路面の舗装もしてなかった頃で、鼻先の長いバスが、土ぼこりを上げながら走っていて、川向こうの所商店の前も停留所のひとつだったと思う。

その頃の、その路線の路線バスには乗った記憶は無いが、土ぼこりを上げながら走っていた鼻先の長いバスの姿だけは記憶にある。

松本医院前というバス停留所もあったように思う。
当時は、松本医院も隣の新崎という集落にあったが、現在はその医院も町の中央部に移転してしまっている。

その医院の娘のM子ちゃんとは同級生で、幼稚園・小学校と同じだったが、中学生になった時からM子ちゃんは長崎市内の中学校に入った。

医師になるための勉強をするためだったと思うが、中学生になった時点で、自分の人生の進路に向かって歩み始めたM子ちゃんは、現在では腕のいい産婦人科医として、皮膚科を専門としているお兄さんと共に実家の医院を継いでいる。

年に数回その医院に行くことがあり、何度かM子先生の姿を見かけた事はあるが、向こうはこちらに気付いてはいないようだった。

40年近く経った事による、こちらの肉体的な変貌振りからすれば、気付いてもらえないのが当然のことではある。

小学生の時には、身長が学年で一番低かったのだが、現在ではそこそこに身長も伸びて、体重に至っては85kgにまでになって、まさに中年のおじさんになっている。

数年前に中学校の同窓会をした時に、遠方から参加した同級生からは、自分が名乗らなければ、誰だか分かってもらえなかった。

通行止めからの思い出だ。

豊田かずき