日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

汗びっしょり

2005年07月16日 | インポート
昨日、午後の2時間ぐらいを「議員活動報告」を配布する時間に充てた。

配布する区域の道の、交通に支障を来たさないような場所に車を止めて、バッグに詰め込んだ「議員活動報告」を、徒歩で一軒ずつ訪ねて配布する。

昼間の時間ということで、留守のお宅が多いようだが、家に誰かがいらっしゃった場合には、趣旨を説明すると、ほとんどの人が快く受け取ってくださる。

自分が2年2ヶ月前に、愛野町の町議会議員にならせてもらった時に、心に決めていた事で、それがやっと実現できつつある。

自分の住んでいる町内会だけには、過去にも2回ほど作成して配布した事はあるが、全町域に対して配布するようにしたのは今回が初めてだ。

2年間余りの、議会本会議における一般質問の蓄積が、適度な分量になったので、全町域に配布する事を思い立ってみた。

自分が、議員として活動している状況を、きちんと自分から情報発信することをしなければ、自分が何をしているのかが分かってもらえないと思ったことと、住民の方々に関係する問題点などに対する正しい認識を持っていただくための参考資料にして頂けるようにと思ったからだ。

人口4,800人程度の小さな町だが、いざ一軒ずつ歩いて廻るとなると、簡単な事ではない。

顔だけは以前から存じていて、愛野町の人であることは分かっていても、その方がどこに住んでおられるのかは、知らない事の方が多い。

それが、今回一軒ずつ訪問させて頂いて、少しずつ分かってきた。

普段は、余り外に出ないような部屋の中の仕事をしているので、外気温が高いときに外歩きをすると、たちまち汗びっしょりになってしまう。

外廻りをしている時には、配布する事に集中していて気付かなかったが、部屋に帰ってから、鏡に映った自分の姿を見て驚いた。

半袖シャツの一部を残して、ほとんどが汗で濡れていた。

配布してしまうまでのしばらくの間は、汗びっしょりの状況が続くのだろう。

それも議員活動の一環であると認識する事にしよう。

豊田かずき


台風の発生

2005年07月15日 | インポート
台風5号が発生している。

台風による大きい被害に、わずか2週間程度の間に2回も遭った経験から、台風と聞くとその進路がとても気になる。

台風5号のアジア名は、「ハイタン」と命名されている。

気象庁のホームページで調べると、「ハイタン」は中国語名で、その意味は「野生リンゴ」だそうだ。

台風のアジア名のつけ方について、気象庁のホームページの中から以下に抜粋してみる。

台風のアジア名

 台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋領域で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国の言葉で動植物や自然現象に関係する名前)をつけることになりました。
 平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は26.7個ですので、おおむね5年で台風の名前が一巡することになります。

以上抜粋。

台風のアジア名の一覧表は、ここをクリックすれば見る事ができる。

誰しもそうだろうとは思うが、自分の住んでいる所の近くは通って欲しくはないと考えるのが一般的であると思う。

この事は、自分に関係の無いルートになる事を希望することでもあり、台風による被害が、自分たちだけには及ばないようにと望んでいるということと同じ意味を持つ。

できる事ならば、人間の住んでいない、海上だけのルートを通って消滅してくれれば理想的なのだが、そういう訳には行かないようだ。

梅雨末期の豪雨の心配の次には、台風の発生とそのルートを気にしなければならない季節がやって来る。

四季の移ろいがある、我が国の気候はすばらしいとは思う。

良い時ばかりではないが、暑い夏の後には、必ず実りの秋が巡り来る。

そのことを期待しよう。

豊田かずき



梅雨いろいろ

2005年07月14日 | インポート
九州西部のこの地方が梅雨入りしてから、しばらくの間はほとんど雨が降らず、水不足が懸念されていた。

私が住んでいる愛野町地域においては、ここのところ、まさに梅雨というような空模様が続き、雨も適度に降り、農業用水も順調に確保されている。

ところが、九州の他県では、豪雨による浸水や土砂崩れなどの災害の発生を聞く事が多い。

その一方で、長崎県の佐世保地域では、梅雨に入ってからも雨が降らず、水不足が心配され出している。

昨日の諫早地方は、ものすごい豪雨と強い風だったそうだが、そこから十数キロはなれた愛野町では、昼前に一時的に強い雨が降っただけで、午後はほとんど降らなかった。

雨雲の進行経路次第で、地域ごとの降雨量が全然違ってくる。

人間が月まで行って帰ってきたり、火星探査機が火星まで行って、その表層の様子を映し出してくれたり、彗星に探査用の装置を命中させたりと、人類は膨大な開発費と時間を費やして高度な技術を開発し、そのような事を実現している。

雨雲を拡散させて、各地域に均一に雨を降らせるような技術を開発することができたならば、豪雨による被害も起こらないだろうにと思う。

近隣国では、史上唯一の被爆国である我が国に対する配慮も無く、核実験を平気でやっているようだが、そのような余裕が有るのであれば、他国からの無償援助などは受けるべきでは無いと思う。
特に、我が国からは。

人々の日常生活にとって、有益な技術開発に力を注いでもらいたいものだ。

各地で豪雨被害があっているという話を聞くと、ついそのような事を思ってしまう。

もうしばらくすると、昭和32年の諫早大水害が起きた7月25日がやって来る。

梅雨末期の集中豪雨が無いことを祈るしかない。

豊田かずき


歩く事

2005年07月13日 | インポート
愛野町の保健福祉センターの駐車場に泊めていた車を、午前6時過ぎに歩いて取りに行った。

昨日の午後に、「愛」のつく町と言う事で、以前から子どもたちの交流事業でお世話になっている、東近江市の旧愛東町議会議員の方々が、愛野町の視察研修に来られた。

視察研修の際に、両町の議会議員の意見交換会ということで、保健福祉センターまで車で行った。

実は、そのことがあると言う事をすっかり忘れてしまっていた。
同級生のU君が、親切に私の携帯電話に何回も連絡してくれていたようだが、携帯電話を入れていた服を脱いでいたためにその事に気づかないで、開会から1時間ほどが過ぎていた。

私の携帯は、常時マナーモードにしているので、気づかないままで時間が過ぎていた。

部屋の中に戻って、着信履歴を見てみたら、同級生のU君から何回も電話が入っていた事が分かったので、早速電話を入れてみる。

すると、小さな声で「今、愛東町の議会の方が見えています。もう少ししたら干拓堤防の視察に出かけるので、速く来た方がいいですよ。」という返事だった。

それから大慌てで仕度をして、車で出掛けた次第だった。

2時10分から始まっていた意見交換会に、1時間近く遅れて加わったのだが、色々と興味深い内容の話が出ていた。

意見交換会が終わった後に、諫早湾干拓の潮受け堤防の視察に行った。

丁度、調整池の中の水を排水する時間帯に行き会えたので、調整池の水が外海に排出される様子を、初めて見る事が出来た。

私が潮受け堤防を視察したのは、今回で3回目だったが、排水の様子を見たのは初めてだった。

小潮の時の1週間程度は、外海との水位差が30cm以上にはならないので、排水は出来ないような仕組みであると言う事を確認した。

その後、愛野町内の、風力発電施設を視察して、展望台の懇親会場へという行程だった。

懇親会ではアルコールが入ったので、車は保健福祉センターの駐車場に置いたままで今朝になった。

そう言う訳で、歩いて車を取りに行ったという事になる。

ところが、保健福祉センター敷地への出入り口は、早朝のために門扉が閉められて施錠されていた。

公共的な施設の防犯管理が、しっかりなされていると言う事で、安心もした。

仕方が無いので、保健福祉センターの会館時刻以降にもう一度車を取りに行く事にして、歩いて帰った。

片道1.5km程度の道のりだが、普段あまり歩かないので、そこそこの運動にもなったし、途中で田んぼの水の見回りをしていた、同級生のI君とも会うことが出来て、配布していた「議員活動報告」の内容に対する貴重なアドバイスをしてもらう事も出来た。

歩く事もなかなかいいものだなと感じた。

豊田かずき



デマその2

2005年07月12日 | インポート
豊田さんは倒れてどこかの病院に入院していると聞いたけどと、ある人が私に言った。

誰がそんな事を言っているのですかと聞いたら、都合が悪かったらしく誰とは言わなかった。

典型的な「デマ」のたぐいで、怒る気にもなれないが、そのような事でしか戦えないような人達がいるということが哀れですらある。

しかし、残念な事にそのような「デマ」も、それが本人の知らない所で増殖していくと、それを聞いた人達はそれが真実であるかのように思い込んでしまう。

つい先日の、私が共産党の支援を受けているという「デマ」に引き続いて、私が自分の耳で聞いた二つ目の「デマ」である。

吹けば飛ぶような私に対して、なぜそのような「逆宣伝」、「中傷」をしなければならないのだろうか。

真実と違う事を創作して、最初にそれをまことしやかに広める人が必ずいるはずだが、もし神様という存在があるとすれば、きっとその一部始終を見定めておられるに違いない。

議員の本質を、きちんと間違いなく見定める住民の目が重要になってくる。

間違っても、「デマ」を流すような人達に誤魔化されない様にしなければならない。

自分たちのために、大切な間違いの無い選択をしなければならない時期が、少しずつ近づいてきている。

豊田かずき


新聞休刊日

2005年07月11日 | インポート
新聞休刊日の朝は、何か物足りない。

毎日、私が読んだ後に必ず新聞を読んでいる息子が「今日は新聞は休みか。」とつぶやいた。
日常の習慣にしている事ができないと、生活のリズムが少しだけ狂ったような気になる。

テレビのニュースを見れば、昨日の出来事はおおむね分かるが、ニュースをやっている時刻は限定されているので、その時刻を逃すと見る事ができない。

その点新聞は時刻に関係なく、自分のペースで記事を取捨選択しながら、じっくりと読む事が出来る。
繰り返して読んで、記事の内容をきちんと自分なりに咀嚼して確認する事も出来る。

息子が言った。
「宅急便なんかは年中無休でやっているのに、新聞に休刊日があると言うのはおかしいんじゃない。新聞なんだから。」

私もそのように思う。
新しい情報を、いち早く伝達する事が新聞の使命であると思っている。

毎日、締切り時刻に追われるような激務に従事している社員を、心身ともに休ませてやろうという意図は理解できなくも無いが、発刊しようと思えば方法はあるのではないだろうか。

休刊にするよりも、平常に書きためている、緊急性の無いような記事で紙面を埋めるような一日があってもいいのではないかとも思う。

1ヶ月に3,007円を払っているが、1日分だけ損をしたような気分になる。

翌々日に、事故や事件の記事を読んでも「新聞」という気がしない。

昨日の新聞で、2日分のテレビ番組欄が表示してあるページしか見ないような日は、やっぱり何か物足りない。

新聞休刊日は、どうしても納得できない。

豊田かずき



最後のバレーボール大会

2005年07月10日 | インポート
愛野町としては、最後の町内会対抗バレーボール大会だった。
私が住んでいる川端という町内会は、昨年はAランクという最も上位の部門で優勝していた。

今年も1回戦、2回戦と勝ち上がり、決勝戦まで行く事が出来た。
決勝戦は八幡という町内会に惜しくも負けたが、今年は愛野町という自治体としては最後になるバレーボール大会だったので、役場の配慮により、各町内会の選手も応援の人も含めて、町内会単位での記念写真撮影があった。
きっと、いい記念になることだろう。

中学校の体育館が会場だったが、1回戦は観戦して、1回戦終了後に、町内会で準備した昼食のおにぎりを、町内会の岩永さんと共に川端公民館から運び、中学校の体育館と校舎の2階を繋ぐ渡り廊下の所に降ろした。

降ろした以上は、その番をしておかなければならない。
時折、雨の降るような天気だったので、雨が降り込む時には、傘をさして、昼食のおにぎりが濡れないようにしなければならない。

そのような訳で、2試合目は、おにぎりのそばで過していたので、試合は見られなかったが、いろいろな人達と話をする事ができた。

川端町内会の2試合目が終わるまでの間に、原町内会がその渡り廊下で昼食をとり、その後には、八幡町内会が同じ場所で昼食をとっていた。

原町内会の、私より1歳年下で現在は小学校の先生をしている安藤さんと話す事が出来た。

彼の御先祖は、医者の家系で、江戸時代の医学書などの古い文書が残されていると言う事を知っていたので、その事に関するお話を聞いてみた。

衣装箱にナフタリンを入れて、大切に保管されていると言う事だった。
その事により、古い文書の虫食い被害は無い状態だそうだ。

国見町に高木先生という、近隣の地域の近代史の大家がおられるが、その先生が、以前に2週間ほどかけて、それらの古文書を丹念に調査されたことがあると言われた。

愛野町に残っている、数少ない貴重な文化遺産であるから、本来ならば町として、その保存対策を講じるべきであると私は思う。

安藤家に代々引き継がれてきている、町の近代史の中の貴重な史料である。

幸いにも現在は、電子媒体を使って、いろいろな物を記録する技術が進んでおり、スキャナーを使えば画像データとして記録し残す事ができる。

せめて、原本の保存状態が良い今のうちに、スキャナーによる複写を記録として残し、それらのデータを希望する研究者に公開するようにして欲しいものだ。

愛野町としては最後の町内会対抗バレーボール大会では、川端町内会の「弁当番」という、仕事をさせてもらったが、そのおかげで、思いもよらない人と話す機会を得られた。

この後は、夕方の5時から、川端公民館で恒例の懇親会が始まる。
久しぶりにビールが飲める。

豊田かずき



新聞配達

2005年07月09日 | インポート
今朝の新聞は、5時頃の配達だった。
通常は、午前4時半には事務所の郵便受けに新聞が入れられる。

たいていは、午前4時頃には起きて、事務所の中で何かの作業をしているので、その事がわかる。

今日は雨風が強かったので、新聞の集配所に新聞が届けられる時刻が遅かったのかもしれない。
あるいは、配達中に新聞が雨で濡れないように、一部ずつをビニール袋に包む作業の分、時間がかかったのかもしれないなどと、平常時と少し違う事があれば、勝手に考えてしまう。

それにしても、午前5時に新聞が届けられると、時間的にはかなりゆったりとした気持ちでじっくりと新聞を読む事ができる。
有りがたい事だと思う。

中学生の頃に、新聞配達のアルバイトをしていた。

自転車の後ろの荷台に、配達する新聞を入れる木の箱を自分で作り、雨の降る日にはそれをビニール袋で覆って、新聞が濡れないようにして配達していた。

40部程度の配達部数だったが、田舎の事で、新聞を配達する各家が散在していたために、全部配達するのに1時間半程度かかっていた。
当時もらっていたアルバイト代は、新聞1部当り、1ヶ月配って35円だったように記憶している。
38年ぐらい前の話である。

それでも1ヵ月で1,400円ぐらいのお金を得る事ができていた。

小遣い銭などもらえるような家庭ではなかったので、自分で自由に使えるお金があると言う事は、とてもうれしかった。

冬場の寒い時の早朝に起き出して配達に行く事と、雨風が強い時の配達が大変だった。

冬場の寒さ対策は、手袋をしてマフラーを首に巻き、着るものを工夫すれば何とか凌げたが、耳たぶにできた「しもやけ」は、冬の間は治る事は無かった。

雨風が強い時の配達では、新聞を濡らさない様にと細心の注意を払わなければならない。

現在のように、新聞をビニール袋で密閉するような機械も無かったので、配達する者が工夫して濡れないようにして配達するしかなかった。

体が小さかったので、サイズが合わない、母親のかすり模様のついた、ブカブカの雨合羽を羽織って配達をしていた。
恥ずかしかったが、早朝なのでほとんど人に会うことはなかった。

どのような時にでも、「新聞配達」によって必ず配達される新聞のおかげで、新しい一日を始める事ができる。

豊田かずき



道路建設の説明会

2005年07月08日 | インポート
県営ふるさと農道緊急整備事業一本松地区道路(3工区)工事説明会というのが、午後7時30分より愛野町農業研修センターで行われた。

野井地域幹線道路新設促進期成会の役員ということになっているので、案内が来ていた。
今回の説明会は、全長1,860mの中の1,000m区間である3工区に関してのものだった。

車道幅員5.5m、路肩1.5m、歩道部2.0mの総幅員9.0mで計画されている、地域にとっては待ち望んだ幹線道路だ。

県の担当者氏の説明によれば、側溝の敷設は、5年に一度程度の確率でおきる最大降水量でその側溝の通水断面(大きさ)を決定していると言う事だった。

だから、5年に一度発生するような降雨量以上の雨だと、計画された側溝からは、側溝に流下してきた雨水が溢れ出す事も想定していると言う。

以前に、愛野町内の畑の中の側溝の無い道路で、豪雨の時に川のようになった道路に遭遇した事がある。
水は谷筋を流れるものだという認識を持っていたが、行き場が無くなった水は、尾根筋状の道路からでも川のようになって流下するものだと言う事を知った。

平穏な時には、無くても良いような側溝ではあるが、大雨が降り出すと重要な役割を担うことになる。
道路を川にしないためにも、通水量にある程度の余裕を持った断面の側溝の敷設が望まれる。

道路面が、現行の畑面よりかなり高くなるので、道路から畑への降り口に関しては、工事の中で作るようにするという説明で、最大3mの幅のものを作るということだった。

道路として買収される区域に赤土を客土している場合には、その赤土は本来の畑として残る区域に、工事の際に移動させるような処置をしてくれると言う事だった。

集まった地権者の方々からは、1/500の計画図を見ながら、色々な提案や質問が出ていた。
県(島原振興局)からも、たくさんの職員の方が来ており、そのような色々な質問に丁寧に答えていた。

集まった地権者の方々は納得されて、今後の事業予定に賛同されていた。
役場や振興局の職員の方たちの誠意ある説明会の進行のやり方が、心地よかった。

あとは、用地買収交渉が順調に進み、10月頃からの工事着手に向かって粛々と進んで欲しいと思う。

地域の発展の要となるような道路であるから。

豊田かずき



歴史的資料

2005年07月08日 | インポート
愛野町郷土誌編纂事務局から依頼されていた資料をまとめてみた。
その原稿の書式は、25文字の17行で縦書きでという指示だった。

縦書きの原稿などはほとんど書かないので、少し違和感があったが、他の人の研究成果からの抜粋と簡単な説明文を付けるだけの内容だったので、4時間ほどで完了した。

最初に言われていた「納期」を1週間ほど過ぎてしまっているが、諸般の雑用に追われてなかなか手がつけられなかったと言う事にしておこう。

日本国の形状を、正確な実測により明らかにしたことで有名な、伊能忠敬大先輩(私も測量士のはしくれなのでこのように呼ばせてもらっている)が、およそ200年前に、わが町の周辺を測量して廻られた頃の記録が、「測量日記」の中に残されている。

長崎市に在住の、伊能忠敬研究会会員の入江正利氏が、それを現代文表記に直して、西暦年や時刻などを書き込んだ詳細な研究成果を、御自分のパソコンで編集・製本して、長崎県立図書館に寄贈されている。

「測量日記編」と「地図編」の2冊からなるものだが、長崎県全域の分が網羅されているすばらしい研究成果である。

その研究成果の中から、愛野町に関係する部分の日付の所を抜粋して、説明文を書くだけの作業だが、6ページ分の分量になった。

伊能忠敬大先輩が、そのような日記を残してくれていたおかげで、およそ200年前の近隣地域の地名を知る事が出来、その測量成果により当時の海岸線の位置を知る事ができる。

特に、愛野町周辺の低平地域は、古来よりの干拓によって造成されてきた土地であるから、その当時の海岸線と現在の地図の海岸線とを比較してみるとおもしろい。

日本国のほとんど全ての海岸線と主要な街道を、徒歩で移動しながら測量作業を実施された先人の業績に対して、深甚な敬意を表さずにはいられない。

そのような業績の一部を、愛野町郷土誌の中の資料のひとつとして残せることは、測量を生業としている者にとってはとても喜ばしいことでもある。

豊田かずき



水漏れ注意

2005年07月07日 | インポート
2級河川千鳥川左岸の根固め工事が、平成15年度と平成16年度にかけて実施された。
民家のすぐ裏の河川護岸工下部が、長年の水流による洗堀によって、大きくえぐり取られていた。

私が、愛野町議会での一般質問で取り上げた事を契機として、役場が、県の島原振興局に河川工事の要望書を提出して予算化してもらい、2年度にまたがって工事は完了した。

これで大雨が降っても、護岸が決壊する心配をしなくて済む様になったと、関係住民はとても喜んでいる。

梅雨に入ってから、これも最近架け替えられた「龍宮上橋」の上から、その平成15年度に完了した区域の護岸根固め工を見てみたら、その一部から水が流れ出していた。

橋の上から、他の近所の人達もその様子を見て、とても気にされていた。

宅地に浸透した雨水が、流れ出しているのだろうと言う事は、誰が見ても推定できる。

昨日の夕方も、雨上がりのためか、水が流れ出していたので、役場に電話して現場の確認をして頂いた。
すると早速、きょうの午後に島原振興局の方が、現場を見に来てくれたらしくて、その報告に、昨日現場を見に来てくれた役場の若い二人の職員が、私のところにわざわざその結果を報告に来てくれた。

振興局の河川防災班長氏いわく、「たいしたことはないからそのままでよい。穴が開いている方が水抜きになってよい。」と申されたということの報告だった。

その一帯のコンクリート護岸工には、水抜き用の穴など一箇所も開いてないのだが、面白い事をおっしゃったものだなと思ってしまった。
工事の設計仕様では、水抜き穴など計画はされてはいないはずなのに、何のための現場視察だったのだろうかと思ってしまう。

その一帯の護岸工下部が、水流により洗堀されて、その範囲が大きくなったのも、最初はわずかな部分の損傷からだったはずであろうと考えるのが自然ではないだろうか。

穴が開いて水抜きになっていると言う事は、その内部の土が、流れ出る水と共に流出して、だんだんと内部の空隙が広がり、その部分の強度が弱まって、いずれは河川の流下水量が増えた時の水勢により、護岸が破壊されると言う事になるのではないのかと思ってしまう。

最初の端緒は、なんでも小さいものだ。
初期の段階で手を打っておけば、それが大きく広がらないで、後で多額の経費をかけなくて済む。

「水漏れ注意」を肝に銘ずるべきであろう。

豊田かずき



郵政法案と郵便局

2005年07月06日 | インポート
昨日の午後に行われた衆院本会議で、郵政民営化6法案の採決が行われ、賛成233、反対228、欠席・棄権16で可決された。

その結果が出た時刻には、県下町村議会議員研修会に参加して、講演を聴いていた。
講師の小林良彰氏の講演の冒頭で、小林氏が、研修会の参加者に対してその結果を話された。

会場が、一瞬どよめいた。

ほとんどの町村議会が、その案件には「反対」の意思表示を行っていたのに、賛成した国会議員の「先生方」は聞く耳を持たなかったようだ。

何でも民営化して、費用対効果がよければ良いというものでもないと思う。
一般論として、一般人は住む場所を簡単に変えることが出来ない。

我が国においては、どのような辺ぴな所に行ってでも、必ず郵便局があり、手紙やはがきの投函ができ、またそれらの配達がされ、さらに現金の預け入れや引き出しができる、地域住民にとってはとても有益な施設であると言える。
郵便局の職員の方は、非常に熱心に働いておられる。

世襲で国会議員になっているような人達に、辺ぴな田舎の事情がわかろうはずも無いが、せめて国民の代表であるのならば、国民にとってどのようにしたら納得してもらえるのかぐらいは把握して、物事の決断は下して欲しい。

住んでいる地域に関係なく、国民のためになるような施策を講ずるのが国家のあるべき姿ではないのか。

民営化してしまえば、いずれ経営効率の悪い田舎の郵便局は閉鎖される事になるだろう。
結果として、人口の少ない地域の人々には、不便な思いを強いる事になる。
不便になれば、次の世代の人達はその地域に住みたくなくなるのではないか。

集まったお金の使い方は、監視する機構を設置して、正当な使い方をするようにすれば済む事ではないのか。

郵政民営化ではなく、他に改革すべき無駄使いは山ほどあるだろう。
社会保険庁の問題などは、早急に解決すべき最優先課題ではないのだろうか。

小泉首相の靖国神社参拝は、日本国民のひとりとして理解できるが、郵政民営化はとても賛同できるものではない。

自民党の中にも、きちんと反対の意思表示をされた国会議員がいた事は評価したい。
党内での数の調整をしたのでなければの条件付では有るが。
本来、議員は独立した人格であるから、当然のことではあるのだが。

衆議院で可決された事は残念な事だが、今後の推移を見守るしかない。

豊田かずき



県下町村議会議員研修会

2005年07月05日 | インポート
私の人生の中で、最後の「県下町村議会議員研修会」が、諫早市の諫早文化会館で、午後1時から行われ、それに参加してきた。

長崎県内の、昨年の同じぐらいの時期に行われた「県下町村議会議員研修会」には、71自治体からの参加だったそうだが、市町村合併により今年の参加自治体数は34自治体に減っていた。

さらに、平成18年4月には、10町になるそうだ。

同様の研修会に、平成15年・平成16年と過去に2回参加したが、今回が一番有益だったと思う。

講師は、成蹊大学名誉教授であり、全国町村議会議長会第2次地方(町村)議会活性化研究会委員長でもある、佐藤 竺(あつし)氏と、慶應義塾大学法学部教授でテレビでもお馴染みの、小林良彰氏だった。

佐藤氏の講演内容では、国が地方交付税の切りつめをしてくるのであれば、地方自治体は法定受託事務を、国・県に返上すればよいという「独り言」を言われたのが印象に残った。
実際にそのような事を実施している自治体もあるということのようだ。
また、地方の人口の少ない自治体の切り捨てに繋がる、「西尾試案」に対して、痛烈な批判をされた事には、感銘を受けた。

本質的な税源の移譲を地方自治体にしないままで、地方交付税を削減するのであれば、地方自治体が取れる対処方針としては、そのような法定受託事務の返上しか無いのではないかと思う。
さもなければ、従来行われていた住民サービス的施策の大幅な削減ということを実施するしか無いのではないだろうか。

小林氏の講演内容で印象に残った事は、道州制に対する矛盾のことだった。
道州制は、都市部の関東州や関西州にとっては、財政的には非常に有利な状況となるが、北海道・四国州・九州にとっては、とんでもない財政状況となるということの数字をあげて説明された。

自治体の経費削減のためには、道州制の実施しか方策は無いという論を唱えている人達がいるが、都市部以外に生活している者にとっては、とんでもない方策であるという事を知り、いったい国は国民の日常生活をどのような方向に持って行こうとしているのかと思うと、腹立たしくもなった。

我が国の財政再建の手法としては、「米国型解決法」として、増収による方法の模索を進めるべきであると言われた。
20年ほど前に、米国の財政状況がどん底だった頃、他の国がやっていない、IT産業やバイオ産業に力を注ぎ、それが増収に繋がり財政再建を成し遂げたという事だ。

経済特区を設定して規制緩和をし、その地域にしか出来ないような特殊な産業を発展させて、地域の増収につなげて行くと言う手法が、一番望ましいという事だった。

他がやっている事を、そのまま真似ても、その方法が飽和状態になったならば効果が薄くなるということで、それぞれの独自性を持つ事が重要であるということは、他のいろいろな事にも言えるようだ。

独自性を心がけた行動をするべきである、という思いを強くした。

豊田かずき



疑義

2005年07月04日 | インポート
南高来郡深江町議会が動いている。

今朝の毎日新聞の記事で、「職員採用巡り調査特別委設置」という見出しがあった。
以下にその全文を抜粋する。

深江町議会は、昨年度実施された職員採用試験に疑義があるとして、調査のための特別委員会を設置した。
 町の説明では、従来は入庁時点で「24歳まで」という年齢制限が設けられていたが、昨年度は「40歳まで」に引き上げられ、今春採用の8人のうち2人が25歳以上だった。また、2人が筆記試験を経ずに採用されていた。

以上抜粋。

いろいろと考えさせられる記事である。

つい最近に実施された、深江町議会議員選挙で当選した、新人議員の人達が頑張っているのだなという印象を持った。
新聞記事のような事実があったとすれば、新人議員以外の従来からの議員は、その事を指摘していなかった事になる。

ただ、入庁時の年齢制限を引き上げた事に対しては、私は否定しない。
一般社会での、技術的な熟練者が入庁して、各種の実務に就く様なことがあるならば、経費節減策の一環としても有益であるという見方も出来るからだ。
さらに、町外からのUターン者の受け口としての意味合いからすれば、あえて入庁時の年齢を、24歳までに限定する必要も無いのではないかと私は思う。

2人が筆記試験を経ずに採用されていた、ということに対しては、やはり疑義がある。
町職員採用の一次試験は、県の町村会が統一して実施してくれているという事のようだが、入庁の時期によっては、そのような統一試験を受けそびれるような人も出てくるのではないだろうか。

話は少し違うかもしれないが、いろいろな国家試験の中には、受験科目の中の一部免除という制度がある。
指定された国家資格を保有していたり、大学等で所定の学科の単位を取得していたりする場合に、受験科目の中の一部を免除されるというものだ。

深江町の、その筆記試験を経ずに採用された2人は、そのような役場の業務に関連するような、特殊な国家資格の保有者ではないのだろうかと思ってしまう。

もしそうだとすれば、筆記試験を経ずに採用されていたとしても、私としては納得する事が出来るが、そうでないとすれば、大きな疑義が生じる。

そのような疑義を、きちんとした場で調査して明らかにするという事は、議会のあり方としては当然の事である。

そのような見地からすれば、新生深江町議会はきちんと機能していると思うのだが、旧深江町議会が解散させられた理由は、「住民投票で合併の方針を確認せよ」ということを議会が無視したからではなかったのか。

新しい、住民の関心がありそうな話題を導入して、本質的な事柄からの住民の関心をそらすというような手法は、国政の場でも良く使われているようだ。

議員の本質を見極める、賢い住民の目が必要となってくる。

豊田かずき



デマ

2005年07月04日 | インポート
ドイツ語のデマゴギイ(demagogie)の略で、デマらしい。
辞書での意味は、(1)(民衆)扇動。(2)逆宣伝。中傷。デマ。となっている。

昨日、「豊田かずきの議員活動報告」という、手作りの印刷物を届けに行ったお宅での事である。

それをお渡しして、帰り際に「ちょっと。」と呼び止められて、「共産党の支援を受けているというような話を、ちらっと耳にしたんだけどどうなの。」と聞かれた。

まさに、寝耳に水だった。

私の町議会議員としての基本姿勢は、案件ごとに自分自身で資料を集めて、それを自分なりに咀嚼し、色々と解析してから自分の対処方針を決める事にしている。

一般質問も、全て自分で見聞きした事柄について、自分なりの視点や考えで構築しておこなってきた。
当然の事である。

地方議員の中には、特定の政党への会費を払っているような人でも、選挙の時の支持政党や所属政党は、無所属という人達が多いようだ。

私の場合には、特定の政党に所属した事もなく、特定の政党に迎合するような活動をしたこともない、まさに正真正銘の「地域の住民の声の代弁者」としての無所属議員である。

それなのにそのような「うわさ」が、まことしやかに広まっているという事は、悪意を持った誰かが、私に対する逆宣伝、中傷のために、意図的にやっているとしか思えない。

そのようなことをして、何になるのだろうか。
そのような「うわさ」の出元を作ることに長けているような人を、思い当たらない事も無い。

議員活動をしている事に関しては、正当な評価をして頂きたいものだが、悪意を持ってそのような事をする人達がいるとすれば、そのような人達に対しては自分の行動を示して断固戦うしかない。

周辺が10月11日以降に向けて、そろそろせわしくなって来たようだ。

豊田かずき