台湾問題とアメリカ、日韓関係、ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の弾道ミサイル・・・ こんな動きを見ていると、将来の日本の国防が心配になる。
で思い出したのが、5年前にブログに書いた日本国憲法前文の話。
以下はそのコピぺ。
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今日は久しぶりに日本国憲法の前文を読んでみた。
前文には気に入らない部分がある。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し・・・」
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
これが交戦権放棄の前提となっている。
国民の安全と生存は、自国の政府に守らせるのではなく、他国の善意を信じることで守るというのである。
今どき、北朝鮮や某国の公正と信義に、国民の安全を託そうと考える人は居ないだろう。
そもそも国民の生命財産は、国が守るべきものである。
日本軍国主義を再起不能にしてしまえという、当時の米国の狙いはわかるが、70年経った今になっても、この憲法は変わっていない。
国民が関われない占領下に憲法が制定され、以来70年間に一度も国民の意思を反映させたことが無いというのは、明らかに異常なことである。
国別の憲法改正回数は、スイス140回、インド91回、ドイツ59回、フランス27回、イタリア16回、韓国10回、アメリカ6回、中国3回、日本0回。
日本国憲法は世界最古の憲法になってしまった。
思うに、現行憲法の信認投票でも構わないから、早いうちに、国民は「投票行動を通じて憲法に関わった」という経験を持ったほうが良い。
そうでないと、いつまで経っても「国民の憲法」にはならない。
昔から「隣の国は弱いほうが良い」という。
これは今の世界でも真理である。
憲法改正がこれだけ困難なのは、日本を腰抜けのままにしておきたい反日国家の勢力が、日本社会の隅々に浸透しているせいではないかと、考えたくなる。
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