糸魚川の大火の映像を見て、子供時代の体験を思い出した。
ボクが育った能代市は、かつては異常なほどに火事が多かった。
100戸以上焼失した大火だけでも、江戸時代に8回あって、それ以降は昭和20年までに19回も発生している。
ボクが生まれてからは2度の大火があり、昭和24年に2238戸、昭和31年に1575戸が焼けている。
2度目の大火ははっきりと記憶に残っている。
火がこちらに向かっているからと、小学生のボクはランドセルを背負って、手には柱時計を持たされ、近くの親戚へ避難した。
逃げる人々の流れに混じって、ゆるやかな坂道を上りながら、足を止めて自宅方向を振り返ると、空は一面に真っ赤。大規模な火災だから、火事とは反対側の空までが赤く染まっていた。
火災現場までは距離があって、炎や火の粉は見えなかったが、遠くの空を「火鳥」が飛ぶのが見えた。
能代では、細かな火の粉を「火ぼこり」と言い、もっと大きな、板切れなどが燃えながら飛ぶのを「火鳥」と呼んでいて、大人たちから「火鳥が飛べば大火になる」と聞かされていた。
幸いに、火はボクの家を避けて通った。
大火の数日後から、広々とした焼け野原がボクらの遊び場になった。
屑鉄を拾い集めたり、銭湯のきれいなタイルを剥がしたり、駄菓子屋の店先を発掘してラムネビンのガラス玉を探した。大火の焼け跡は整然としてきれいなもので、ラムネが並んでいた場所をかき回せば、細かなひび割れの入ったビー玉がすぐに見つかったことを覚えている。
小さな町なのに、毎年冬の季節風が吹きはじめると、頻繁に火事が起きた。
火事見物が大好きという人が多かった。
地元の小新聞に「筒先をとらないでください」という見出しが出たことがある。
火事場で消防士が放水していると、「お前は下手だから」と、筒先を横取りする野次馬が居るのだと言う。
今ではちょっと信じられない、本当の話である。
ボクが育った能代市は、かつては異常なほどに火事が多かった。
100戸以上焼失した大火だけでも、江戸時代に8回あって、それ以降は昭和20年までに19回も発生している。
ボクが生まれてからは2度の大火があり、昭和24年に2238戸、昭和31年に1575戸が焼けている。
2度目の大火ははっきりと記憶に残っている。
火がこちらに向かっているからと、小学生のボクはランドセルを背負って、手には柱時計を持たされ、近くの親戚へ避難した。
逃げる人々の流れに混じって、ゆるやかな坂道を上りながら、足を止めて自宅方向を振り返ると、空は一面に真っ赤。大規模な火災だから、火事とは反対側の空までが赤く染まっていた。
火災現場までは距離があって、炎や火の粉は見えなかったが、遠くの空を「火鳥」が飛ぶのが見えた。
能代では、細かな火の粉を「火ぼこり」と言い、もっと大きな、板切れなどが燃えながら飛ぶのを「火鳥」と呼んでいて、大人たちから「火鳥が飛べば大火になる」と聞かされていた。
幸いに、火はボクの家を避けて通った。
大火の数日後から、広々とした焼け野原がボクらの遊び場になった。
屑鉄を拾い集めたり、銭湯のきれいなタイルを剥がしたり、駄菓子屋の店先を発掘してラムネビンのガラス玉を探した。大火の焼け跡は整然としてきれいなもので、ラムネが並んでいた場所をかき回せば、細かなひび割れの入ったビー玉がすぐに見つかったことを覚えている。
小さな町なのに、毎年冬の季節風が吹きはじめると、頻繁に火事が起きた。
火事見物が大好きという人が多かった。
地元の小新聞に「筒先をとらないでください」という見出しが出たことがある。
火事場で消防士が放水していると、「お前は下手だから」と、筒先を横取りする野次馬が居るのだと言う。
今ではちょっと信じられない、本当の話である。