ごっとさんのブログ

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酵素・微生物の有機化学への利用 その2

2018-07-26 10:34:24 | その他
前回私が昔やっていた、有機化学への酵素や微生物の利用という話を書きましたが、今回はその続きです。

酵素や微生物を使うともともと持っている自然の力である立体選択性が出て、DとLの2種類のうち一方のみができる利点があることを書きました。

しかし大きな欠点として、酵素は水系の溶媒しか使えないと思い込んでいました。私がやっているような医薬品の原料のような化合物は、水に溶けるものはほとんどありません。その為に応用はかなり限定されたものでした。

ところが酵素を有機溶媒であるヘキサン中で使用しても活性が失われず、目的とする反応が進行するというロシアの大学からの論文が出たのです。早速この著者に手紙を出し、色々論文に出ていないようなことを尋ねました。その後この先生とは学会などでお会いし親しくさせていただきました。

酵素というのは有機溶媒によって活性がなくなるということが常識で、通常の酵素反応にアセトンという有機溶媒を加えて酵素反応を止めるということが一般的でした。その後酵素化学という分野が進展し、酵素というのは凍結乾燥したり固定化して固体にしても、反応に必要な水は取り込んでおり、有機溶媒中でも活性な構造が壊れないということも分かりました。

そこでDLのカルボン酸エステルというものをリパーゼという酵素(洗剤用の粉末)で加水分解したところ、見事にL体だけがカルボン酸に変換されました。当然酵素は有機溶媒にまったく溶けませんので、反応終了後ろ過するだけで酵素が回収でき、繰り返し使えることも分かりました。

この様にして有機溶媒中での酵素反応ということがほぼ確立できたわけです。ちょうどこの頃慶応大学のO先生が、簡単に入手できるパン酵母という菌体を使って、立体選択的還元をやっているという話が入ってきました。

そこで前から知り合いで合ったO先生と連絡を取り、東京工業大学のK先生(プロテアーゼを使っていました)と研究会を立ち上げることにしました。第1回の研究会は20数人の参加で、確か箱根の旅館に1泊し同じような研究をしている仲間の交流会として開催しました。

ところが関西でも同じような趣旨の会が京都大学のN先生や大阪大学のS先生を中心に行われていることを知り、3回目からは合流し「生体触媒を利用する有機合成の研究会」というベタな名前の会を作りました。

これが1989年ごろだったのですが、1990年代に入りこういった研究が世界的に広がっていきました。その後「Biocatalysis」というような国際学会まで開催されるようになり、私も大体参加していました。

こういった研究は学問的には非常に面白いのですが、企業として見た場合全く採算がとれなということがすぐに判明しました。その辺りは次回に続きます。

不思議な老人の飲み会

2018-07-25 10:23:24 | 日記
先日私が派遣社員として勤務していた時の、私の担当であった派遣会社の人から久しぶりに皆で飲みましょうという誘いがありました。

このKさんはもともと私の派遣先の会社を退職して派遣会社に移った人で、私より何歳か上ですがまだ派遣会社働いている方です。その他私の少しあとからやはり派遣社員として勤務し、一緒に働いていて昨年辞めたTさんと、現在私と同じような立場で派遣されているUさん(私はあったことがありません)とで飲み会を開くというのです。

結局私とこのKさんTさんが70代でUさんが少し若い60代というじいさんの集まりを、何を目的として集まるのかよく分かりませんでしたが、行って見ることにしました。

会場はJRの駅でしたが、これは私の住んでいる市の名前なのですが、私家からは良い公共交通機関がなく結構大変でした。車で行けば30分もかからずに行けるのですが、飲み会に車で行くわけにはいかず、タクシーももったいないということで、最寄駅からかなり遠回りして1時間以上かけて向かいました。

ちょうど改札を出たところにTさんがおり、久しぶりの挨拶などしていたらKさんから電話があり、この駅ビルの6階屋上のビアガーデンにいるということでした。

何しろこのところの猛暑なのに外は暑そうと思っていきましたが、なかなかしゃれたところでバーベキューがメインの食材でした。確かに外で暑いのですが、若干風もあり汗が出るという程ではありませんでした。やはり年寄りは集まるのが早く、すぐにUさんも見えて集合時間の30分前に乾杯ができました。

私が辞めてから3年以上たちましたので、研究所の現状などUさんから教えてもらいましたが、相変わらず人の出入りは激しく、所長を始めかなりの人が変わっているようでした。

Uさんは週2回顧問のような形でしたが、家が東京のかなり遠いところのようで、2時間以上かかるとかなり大変そうでした。この会社は金属の表面処理という点では、ほぼ独占企業のようなものですので、いろいろ問題はあるようですが相変わらず好調で昨年は設立以来の好業績を出したようです。

しかし研究所は相変わらずで、5年先を目指した研究が2年もたたないうちに見直しになる等、あまり研究所としては機能していないようでした。こういった会社や研究所の体質といったものはそれほど変わるものではなく、私がいたころと本質的には同じような感じでした。

こういった話をしながら2時間半ほど飲み、食事もなかなかおいしく過ごし、結局Kさんの派遣会社のおごりということで終わりましたが、最後まで何のために集まったのかよく分かりませんでした。

体感的にはそれほど暑くはなかったのですが、たぶん30℃近い中で飲んでいましたので、かなり疲れた感じがしました。

酵素・微生物の有機化学への利用

2018-07-24 09:57:14 | 化学
私の専門の有機合成化学に酵素や微生物を利用し、有機化学では作るのが難しいような化合物をつくりだすという仕事を10年ほどやっていました。

ここでこの仕事について書いてみますが、分かりやすく書けるかどうかあまり自信がありません。

私は若いころから酵素反応などに興味を持っていました。特に立体特異的に反応が進むという点で、何とか利用できないかと漠然と考えていました。この立体化学というのは例えばアミノ酸のDとLという問題ですが、多くの化合物は平面的に書くと全く同じですが、立体的には重ね合わせることができない立体異性体というものを持っています。

よく右手と左手にたとえられますが、鏡に映したような関係(鏡像体という言い方もあります)でよく似ているのですが、上下に重ね合わすことができない状態です。

実際の有機反応の場合は、反応点に表から攻撃するか裏からくるかは50%の確率で起きてしまいます。これを裏をブロックして表からだけ攻撃するようにすると立体特異的となるわけですが、通常の有機反応では全く区別することができませんので、確率通りDとLが1:1でできてしまうわけです。これをDL体とかラセミ体と呼んでいます。

薬の受容体というのはいわば手袋のようなもので、右手だけしか入りません。私が研究していた以前は、ラセミ体であっても半分効果のある薬物が入っているということで認められていました。しかしこれも半分不純物が入っているという見方に変わり、DまたはLの片方だけを作ることを要求されるようになってきたのです。

その点酵素というのはタンパク質の穴の中での反応ですので、もともと一方しかできない構造になっています。また酵素の種類は多く、かなりの有機反応がカバーできる可能性がありました。

しかし酵素は非常に高価なもので、簡単に手に入れることは難しいものでした。ところが30年ぐらい前から洗剤などに酵素入れるという動きが出始めました。油脂やタンパク質の汚れを落とすための酵素が大量精製され、かなり安価に入手できるようになってきたのです。

そこで酵素メーカーともいろいろ相談し、酵素をセライト(珪藻土)等に固定化したようなもの含め、色々と酵素を集めてみました。

この時期にロシアの研究者から画期的な論文が発表されました。酵素というものは当然水の中で機能を発揮し、有機溶媒などと触れると活性が無くなってしまうというのが当時の常識でした。

この論文は、その酵素を有機溶剤の一種であるヘキサン中で使用してもしっかり機能するというものでした。長くなりましたので次回に続きます。

古くて新しい「結核」

2018-07-23 10:42:15 | 健康・医療
昔は死の病として恐れられた結核も治る病気になりましたが、今でも国内では年間約1万8千人が発症し、2千人近くが亡くなっています。

結核は「結核菌」という細長い細菌による感染症で、2016年に国内で結核を発症した患者数は1万7625人で、3分の2は65歳以上の高齢者が多く、性別では男性が6割を占めています。地域別では大都市やその周辺部で多く、西日本の方が発症率が高い傾向にあります。

戦後の1950年までは年間10万人以上が結核で亡くなりました。私の父も私が2歳の時に結核で亡くなっていますので、ちょうどこのころに当たります。私の父の兄(伯父さん)も小学生のころやはり結核で亡くなり、私の家系は結核になりやすいのかと心配していた記憶があります。

この頃は発症者も年間50万人以上いましたが、結核予防法の改定や治療薬の普及などで発症者は毎年1割ほどのペースで減少しました。しかし1980年代に入ると減り方が鈍くなってきました。結核が流行していた若い時に感染した世代が高齢になり、免疫の低下で発症することなどが影響しているようです。

世界では年間約1千万人が結核を発症し、死者は170万人で、うち95%は低・中所得国となっています。日本の人口10万人当たりの発症者は13.9人で、欧米諸国より多いのが現状です。

最も少ないのがアメリカで2.7人、逆に多いのはフィリピンで322人となっています。2020年までに、世界保健機構(WHO)が「低蔓延国」と分類する10人以下の実現を目指していますが、数年遅れる見通しのようです。

国内患者の8割は肺結核で、結核菌が肺で増殖し炎症を起こします。最初は風邪のような症状で、咳やタン、発熱が長引くのが特徴です。重症化すると血の混じるタンが出たり、血を吐いたりし呼吸困難で亡くなることもあります。

感染した人が必ず発症するわけではなく、発症リスクは1~3割といわれ、それ以外が潜在性結核感染症となります。また発症する場合は2年以内が大半ですが、数十年経って発症する人もいるようです。

治療は、最初に4種類の抗結核薬を、その後減らして2種類を毎日服用するのが一般的です。半年ほどきちんと飲み続けるとほぼ治りますが、勝手に薬を止めたりすると、治療が長引き結核菌が耐性を獲得して薬が効かなくなる恐れがあるようです。

課題として受診の遅れも指摘されています。16年の発症者のうち2割の人が、受診まで2か月以上かかりました。この様に結核は恐ろしい病気ではなくなりましたが、結核菌がいなくなったわけではなく、2週間以上咳や微熱が続く場合は結核を疑ってみる必要がありそうです。

「耐性菌」私の独断と偏見

2018-07-22 08:21:53 | 自然
先日家猫のコブンが何か調子が悪いのか元気がないし、体を触るとやや熱い感じがしたので熱を測ってみたところ39.5℃ありました。ネコの平熱は38.5程度といわれていますのでやや高いようでした。

ネコは調子が悪くなると何も食べずにじっとして、自分で直してしまうものですがかみさんが獣医に行こうというので連れていきました。

コブンを診察してもらったところやや熱が高い以外は異常なところはなく、血液検査も問題ありませんでした。結局感染症だろうということで、皮下点滴をして抗生物質の注射を打ち、抗生物質をもらって帰ってきました。

その折、抗生物質を出すと耐性菌が増えるということがあるという話になりましたが、忙しい病院ですのでそのまま帰ってきました。

さて耐性菌の話です。耐性菌というのは通常抗生物質を分解する酵素を持っており、抗生物質で殺せなくなる菌を指します。なぜ耐性菌が出現するかというと、あくまで菌の突然変異によるものです。

例えばペニシリンなどを分解する酵素をβ-ラクタマーゼと呼んでいますが、これは別にペニシリンを分解するために作られたわけではありません。菌がタンパク質を分解するためにもともと持っていた酵素の遺伝子の一部が偶然変異し、酵素の基質特異性が変わってペニシリンにも作用するようになったものです。

抗生物質があると耐性菌が出現するという言い方をしますが、突然変異というのは名前の通り遺伝子の一部が変異するだけのものですので、目的をもって変異するなどと言うことはありません。

抗生物質があるから、それを分解するように変異するなどと言うことは、理論的にあり得ないのです。つまりペニシリンがあろうがなかろうが、突然変異は起こりβ-ラクタマーゼができることもあるということになります。

極端な言い方をすると、人間が抗生物質発見するはるか前から耐性菌(当然そんな名前はつきませんが)は存在していたことになります。

またタンパク質分解酵素の基質特異性が変わってしまったような菌は、本来の働きが弱まるため自然界の中では生存しにくい菌となり、大量に発生することはないと思われます。

ただし何かの病原菌によって発病し、抗生物質で治療を受けたりすると、ほとんどの菌は死滅します。その中にもともと耐性菌がいた場合は、競合する菌がいなくなりますのでその耐性菌が増殖することはあります。

しかしこういった菌は弱毒性ですので、通常は何の症状も起こさないのですが、入院して弱っており免疫機能が低下しているような人は、何らかの症状が出てしまうことになります。

以上が私の考える耐性菌の話ですが、基本的には耐性菌を問題にする必要はないと思っています。