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気ままにお城巡り7 江戸城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 最期はやはり将軍様のお膝元・江戸城です。無料で開放された都会のど真ん中の公園です。で「松の廊下」址などの看板がありますが、実際に建物がないのは寂しいですね。
 お堀や門からもその壮大さは忍ばれます。
 余談ですが、自分が退出したのが「平川門」。別名「不浄門」だそうで、先の絵島もここから大奥を追放されています。なぜに、また、よりにもよって? 自分が…。
 確かにほかの門のように出入りが平たんではなく、険しい階段を上り下りして、見劣りする門ではありました。そこがまた、手つかずの感じを残しています。
 

気ままにお城巡り6 宇都宮城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 信州から一気に北関東に入り、あの新撰組副長・土方歳三が2日で新政府軍から奪い取った「宇都宮城址」へ。こちらは近年、見張り台などが建造されていますが、もはや城址公園として、市民の方の憩いの場になっています。特に見所はありませんが、「新撰組がここでも戦ったのか」といった視線で見ると、町も新鮮に写ります。

気ままにお城巡り5 高島城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 「浮き城」の異名に心引かれ、思わず途中下車。こちらも駅から歩ける範囲で、復元天守閣は小さく、全体の規模も小さいのですが、昔はこの城から諏訪湖まで水で繋がっていたと聞くとロマンを感じます。
 こちらの城もあまり馴染みはないのですが、なんと元禄年間の大事件「赤穂浪士の討ち入り」で奇襲を受けた吉良方の頭首・吉良義周(吉良上野介の孫)が奇襲されて家督失ったばかりか、なぜか罰せられ、流されて幽閉されたのがこの城です。義周は不自由な日常の中で早世してしまいます。
 お城には必ず、こんな悲しい話がありますよね。

気ままにお城巡り4 松本城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 気ままに巡るお城も「松本城」ともなれば襟を正します。これまでは、ほかに環境客の姿もほとんどなく、勝手に歩けましたが、これだけメジャーなお城になれば、天守閣までの階段は順番待ち。あちこちで人と接触するのも致し方ないこと。
 以前は「深志城」と呼ばれていましたが、通称はその外観から「烏城」です。黒塗りの木の天守閣は戦国時代の様式ですね。
 内堀に囲まれ、二つの天守閣を持つ立派なお城です。
 何よりびっくりしたのが、あまり知られてはいませんが一時、上杉景勝が入場したといった史実でした。城内の展示物で知りましたが、戦国武将で景勝が一番好きな自分は、勝手にご縁を感じ入りました。
 町中にあることから観光にも便利。

気ままにお城巡り3 高遠城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 名古屋から長距離バスで一気に信州へ。その音から是非とも訪れたかった「高遠城」へ。見頃は桜の季節なので、それ以外は無料で開放された公園。
 ただし、残念ながら、天守も建物も現存せず、お花見ツアーで有名なあの橋と門があるのみです。
 ですが、小高い山の斜面を利用しての縄張りは、復元されれば見事なことを伺わせます。敷地内にはこちらは保存された藩校が当時の姿で現存。
 このお城は、徳川二代将軍・秀正のご烙印であり三代・家光の弟。後の会津若松城主となる、保科正之が養子となり養育をされた所。保科家の後は内藤家が城主となりますが、大奥最大のスキャンダルとされる、江戸中期の「江島生島事件」の大奥年寄りの絵島が流され実に四十年近くも幽閉されたのがこの高遠の地です。
 現在も「江島囲み屋敷」は、博物館庭で展示されています。幕府から下された厳しい条件なども一読できます。因に大奥での絵島は罪人として流されてから江島と改名しています。
 なんとも、悲しい話ではありますが、近隣の寺や山間の民家など、派手さはありませんが風光明媚な土地です。
 戦国時代は、武田勝頼も入場しました。勝頼の母(信玄の側室)諏訪姫の墓所も近くにあります。

気ままにお城巡り2 浜松城

2011年01月17日 | 国内の名所・旧跡
 東海道新幹線を浜松で降りて、ローカル線で十五分程の公園内にある小さなお城が、「出世城」の異名を持つ「浜松城」。こちらは歴代城主が出世したことで知られますが、中でも徳川家康がその筆頭。武田の軍勢に押され馬上で脱糞しながら、逃げ込みながらも、門を開けて篝火を焚いて昼寝したといった大物振りを表す逸話もあります。
 見事な作戦で武田軍は撤退。九死に一生を得た訳ですね。その後の家康の活躍は周知の事実。
 要塞でも山城でもなく、本当に町にポツンとあるありふれたお城ですが、どんな器も頭首の頭脳を持ってすれば使いこなせるといったところでしょうか?