2019.1.1(火・祝)(1/10アメブロに投稿)
大叔母が肺がんと分かった。
大叔母は、生涯独身で生きて来た。
生活は質素だけど、こつこつと働いて来た人だった。
大叔母ががんと分かっても、できる事はないらしい。
ただ死を待つという事になる。
なんか、そんなのって。
病院にお見舞いに行った時に聞いてみた。
どういう風に聞いたんだったかな。
人生に後悔はないか、やっとけば良かったって事はないかというような事を聞いたんだっけか。
はたまた、そんな聞き方は失礼だから、人生良かった?という風に聞いたんだっけか。
叔母ちゃんは、「戦争で何もかもなくなって、ただただ働いて来た。」みたいに言っていた。
もっと海外旅行行ったりしたいとかなかったか聞いたら、「行きたい所は、国内旅行も行ったし」と言ってたかな。
「それより、生きて行くのが大変だった」というような事を言っていた。
大叔母は、若い時に肺結核になった事があり、そのせいで片耳が聞こえなかった。
また、片足もびっこを引いていた。
姪である私の母からは、この障害があるから叔母ちゃんは結婚を考えなかったと聞いた事があった。
障害があっても結婚してる人はいるのに。
障害があっても子どもを産む人もいるのに。
何もそんな遠慮しないでも良かったんじゃないか。
(NHKの朝ドラの「半分青い」でも、主人公の鈴愛(すずめ)は片耳聞こえなくても結婚して、子どもも産んでるし。)
そんな思いが私にはあった。
せっかくお金を稼いで貯めても、使いきれなかったらもったいないんじゃ。
なんかもっと自分の事で、もっと楽しい事に使えば良かったのに。
そんな気持ちもあるのかな。
それは、自分だったらと考えるから出て来る思い、なんだろう。
本人には聞けないけど、
「叔母ちゃんは幸せだったのかな?」
そんな疑問が頭に残った。
年末最後の日、次女の幼稚園の動物のお世話に行った後、大叔母の病院にお見舞いに行った。
点滴をしていて、寝ていて、肩でしんどそうに息をしていて、起こすのもかわいそうだから、そのまま帰った。
年を越せないかもしれないと聞いていたけど、大叔母は年越しができた。
母からメールがあると、もしかしてと思う日々だった。
大叔母は、もしかして皆の印象に残る日に亡くなるんじゃないか。
そんな気がしていた。
昔好きだったエッセイで、群ようこという人の本にハマった事がある。
群さんは独身で、当時で40代くらいだったのかな。
群さんは、こう書いていた。
お祝いされるというのは、入学祝いや卒業祝いが終わったら、後は結婚に関するお祝いしかない。
結婚祝い、出産祝い、そして子どもが大きくなったらまた入学祝いといったように。
正確な表現は覚えてないが、こんな内容だった。
その考えが頭に残っていて。
生涯結婚する事がなかった大叔母。子どもを成す事がなかった大叔母。
何かだからこそ、皆に注目される時、皆の印象に残る時に亡くなるんじゃないか、とそういう気がしていた。
年が明けて、お正月、実家を訪ねた時に、夕食後に父と2人になる事があり、聞いてみた。
「叔母ちゃん、幸せやったんかな?」
そしたら、父はこう言った。
「入院してる時に、前にお母さんにメールが来て、『私は幸せです』って書いてあったよ」と。
大叔母は、ボケてはおらず、頭はしっかりしていた。
入院中も痛い痛いと言って、「早く逝く方法を考えて」とまで言っていたのに、メールを打つ事ができた時もあったなんて、驚いた。
けど、うれしかったのは、大叔母が『幸せだった』と言った事。
叔母ちゃんは、幸せだったんだ。
その事がなんか、うれしく、また安心した。
私は、自分が結婚して子どもが生まれた事が、自分が想像した以上の喜びで。
幸せの形は色々あるんだろうけど、この喜びを自ら遠慮するなんて、という風に思っていた。
うん、少し違うな。
うまく表現できない。
うまく言えないけど、決しておこがましい意味で言ってるんじゃない。
父は言った。
叔母ちゃんは子どもはいなかったけど、こうして周りに介護する人がいて、死んだ後の事もちゃんとできて安心してたと。
入院してから、大叔母は自分の家のお墓には入りたくないという事で、うちの父のお寺さんのところの納骨堂を1人分購入したそうだ。
その事をちゃんとしたら、すごく安心した顔をしたそうだ。
うちの両親は、大叔母に直接の子どもがいないので、近所に住んでいる事もあり、よく出かけたり、病気がちな時には病院に連れ添ったりもしていた。
よく考えたら、子どもがいなくても、そんな風に大事にしてくれる存在がいるって事は、十分幸せな事かもしれない。
子どもがいても、そうしてくれるとも限らないのだし。
人が幸せかどうかは、自分の価値観では測れない。
自分の見方では、あれがないと思っても、本人にとっては十分あるのかもしれない。
障害のために結婚を諦めたんじゃなくて、もしかしたら1人の生活が良くて敢えて選んだのかもしれない。
悠々自適で結構満喫していたのかもしれない。
結局、人は自分が大事な人には後悔してほしくないという事。
あと先人から、どうしたら人生を満たされて終えるか、そんな事も知りたいのかもしれない。
幸せな人生なんだったら良かった。