晩ご飯の準備してる時に、さあやが言った。
「今日、N・Aに腕ずもうしようって言われて勝った。Kともして勝った。」
「腕ずもう強いし、走るの速いし、料理できるし、ピアノも弾ける。
あや、最高や!」
そんなさあやが最高!
でもあとから、こう言う。
「でもあやって、違う人からしたら大変やで。最高やけど。
ケガ一杯するから。人より。
でも、あやからしたら大変じゃない。ケガしてもまたやるし。
人よりケガの重みを軽く見てるし。
だって1回ケガしたら痛くないもん。」
「勉強できひんけど、そんなんどうでもいいし。
考え方テキトーやし、学校に関しては。
あと学校ではきちっとしてるから、そのきちっとさに耐えられない人もいるかも。用意もちゃんとしてるし。」
「恐怖症なったから、あんまりやらないとか言ってたら、
一生できないし、何もできなくなるから、
あやはできるようになりたいもん。」
「他の人があやになったら、中休み1人でおるから
皆からしたら楽しくないと思うかもしれへんけど、
逆に皆が変なだけ。『ともだちー』って。」
「それとケガしても、恐怖症なったら怖いし、
また道がない。自分の道が止まってんねん。」
さあや、最高!
日本では、大人は謙虚であることが大事と言われてるから、子どもの時から少しずつその教えを染みつけさせられて、自分のいいところを認めるということはせず、ただただ謙虚であることを求められる。
けど、さあやは自分のいいところは分かってる。できないところも分かってる。でも、それが悪いと思ってない。それが正しい。それでいい。
大人ができることは、子どもがせっかくこういう気持ちでいるのを邪魔しないことやな。
邪魔しないどころか、子どもが教えてくれてる。
子どもが道を照らしてくれている。
ケガを失敗に置き換えたら、失敗するかもって怖がるより、やれるようになりたいことをやる方がいいってこと。
さあやが励ましてくれてるみたい。
世間が言うきれいごとより、我が子の言葉は響く。