コロナ禍に入り、お出かけが減った。
三密は避けてという時期は過ぎても、一度できた習慣はなかなか変わらない。
シェディングもあればなおさら。
そうなると、最近、
自分の好きなこと、やりたいことが分からなくなって来た。
当然だ。
人は枠の中で考えようとすると、やりたいことが分からなくなる。
私にとっては、生活のこと、身の周りが整っていることが大事。
人に「仕事しなくていいんですか?」と聞かれるけど、
仕事をして同時に生活をきちんとすることは難しい。
そうするには、あまりにも拘束時間が長い。
(正社員で働いたことしかないから、その感覚でいうと、だけど。)
専業主婦でいることや、仕事していないことは、世間で批判されがち。
(学校のPTAとか地域の役を)暇だからできるんでしょうとか、
旦那さんの給料がいいからでしょう、うちにはできないとか、
働かざる者食うべからずとか、
1日何してるのとか、
社会に取り残されたくないとか、
ただの主婦で終わりたくないとか、
四六時中子どもといるより、仕事に行く方が楽とか、
私は仕事が好きだから働くとか、
生涯世帯年収が低くなるとか、
行きたい所に行けなくて、買いたいものも我慢しないといけないとか、
世の中には専業主婦叩きをする人が五万といる。
最近は、人それぞれだろう、人の勝手だろう、という主婦も増えて来て、少しは楽になる風潮もあるが。
直接嫌味っぽく言われることもあれば、SNSで働いてることでキラキラ活躍してる私、を見せつけられることもある。
みんな結局、羨ましかったり、他の人のことが気になるというところが本音らしい。
お母さん大学のAさんが「『衣食住』という、暮らしの根っこを大切にすること、やっぱ私は大好きみたい」とFacebookに書いてた。
(友の会のイベントに参加して言ってた。)
「木と一緒で、根っこがちゃんとしてこそ、枝葉を伸ばすことが出来る。
根っこがグラグラだと、いくら枝葉を伸ばしても、実はならない。
それは自分自身にも言えるし、子どもたちにも言える。
母の役目のひとつは、子どもたちの根っこをしっかりと作ること。」
「衣食住、子育て、母の心、
太古の昔から人類が当たり前に大切にしてきたそれらの営みが、
今はだんだん蔑ろにされている。
とりあえず、ポークビーンズがおいしすぎた」と。
友の会で有職者のKさんは人に「仕事しなくていいんですか?」と言って来るけど、仕事してることを言い訳に家のことは疎かにしてる。
過去に、言われたことを気にしたこともあって、家のことをするのが「暇だからできる」って言われてるような気がして、しなくなってしまっていた。
同じくお母さん大学のYさんは、年末の大掃除をするのに励まし合うグループLINEを作ってくれた。
参加してたけど、全然掃除できてなくて、やっとこの前2階の窓を全部拭いたって報告したら、
「年末年始、やることやしたいこと、掃除だけじゃないから一つでも♪ですよね!!」と書いてくれた。
そして「お掃除すると、プラスの気分になるということがよくわかった(何を改めて笑)」と書いてた。
そして「お掃除すると、プラスの気分になるということがよくわかった(何を改めて笑)」と書いてた。
家のことを大切にすること、バカにされてるような気がしてたけど、これでいいんだー!そういう気持ちが蘇って来た。
家が少しでも整ったら、読書が好きなこと、思い出した。
(うえさまの最後の読演会行って、「本を読んでください」って言ってもらったのもあって。)
今まで、世間の声とか、人から評価されるものを選ぼうとしてた。
自分のままで良かったんだ。
自分がいいと思うものを大切にしたら良かったんだ。
自分の中で、人の目を気にする自分と、そのままの自分が、統合されていくような気がした。
何者かになろうとしなくて良かったんだ。
自分の中の小さな世界を大切にすることで、自分が満たされる。
(「自分の中の小さな世界を大切にする」というのは友の会の年配会員Iさんが教えてくれたこと。)
(「自分の中の小さな世界を大切にする」というのは友の会の年配会員Iさんが教えてくれたこと。)