内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

テロリズムがウイルスのように世界中に拡散されていく恐れ

2016-07-17 09:47:28 | 雑感

 帰国の途につくべく朝早く起きた15日、前日夜のニースの惨劇に衝撃を受け、16日朝、成田に着いて成田エクスプレスを待つ間とその車中でネットを見てトルコのクーデターを知り仰天し、せっかく帰国したのに、気持ちが休まるどころではなくなってしまいました。
 犠牲者の方々には心よりの哀悼の意を捧げます。こんな言葉を昨年の一月以来何度も繰り返さなければならない世界の情勢に暗澹とした気持ちにならざるを得ません。2001年9月11日のアメリカの同時多発テロを知ったとき、二十世紀が世界戦争に血塗られた世紀だとすれば、二十一世紀はテロに血塗られた世紀になるのかも知れないと予感しましたが、その予感が今までのところ裏切られてはいないどころか、ますます現実によって裏づけられていくことに絶望的な思いをしています。
 トルコ情勢については、日本のテレビのニュースでも詳しく報道されていましたが、クーデターが失敗に終わったとしても、政情の不安定は続き、その影響は、国内だけでなく、周辺諸国にも及び、イスラム国がこの機会に乗じる懸念も指摘されています。
 ニースの惨劇については、犯行の手口にも愕然としましたが、犠牲者の方々の中には十数名の子どもたちも含まれていることを知り、昨年11月のパリでのテロよりもさらに無差別度が高くなっていることに恐怖を覚えました。
 それに、入り口などで不審者をチェックすることが不可能な屋外路上が犯行場所として選ばれたことは、今後もいつでもどこでも人が集まる壁のない広場・路上などは標的になりうるということを意味しており、今後の警戒態勢の組織をさらに困難なものにしました。
 単独犯である犯人については、その周辺と背景がまだ捜査中で不明な点も多いですが、犯人が何らかのテロ組織に属していなかったとすれば、その方が事態は深刻だと思われます。なぜなら、イスラム国にとってはむしろそのほうが自分たちの組織のプロパガンダとして汎用性が高いからです。
 テロが一定の組織による洗脳と訓練を受けた戦闘員によってではなく、何らかの媒体を通じて精神的に感化されただけの「普通の」人間によって簡単に入手できる手段を使って実行されうるということは、次のことを意味しています。テロリズムは、メディアやSNSを媒体として、あたかもウイルスのように世界中に拡散され、それに対する抗体のない脳をいたるところで侵すことができるということです。
 犠牲者の方々を追悼し、喪に服すことは、もちろんとても大切なことです。しかし、それを国家が荘厳化すればするほど、敵方にとっては、犯行の実行者をそれだけ英雄化することになってしまうことも忘れるわけにはいきません。昨年一月のシャルリー・エブド襲撃以来、フランス大統領はじめ為政者たちがそのことをどれだけよくわかっているのか疑われる発言を繰り返していることに、フランス国家の深刻な病弊を垣間見る思いが私はしています。