内的自己対話-川の畔のささめごと

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集団における現在の現前による過去と未来の統合化 ― ジルベール・シモンドンを読む(115)

2016-07-12 06:24:20 | 哲学

 行動によって個体は知覚的なズレの意味を見いだす。例えば、見ることによって二つの網膜上の写像のズレは奥行ある視覚対象というより高次の意味を持つ。集団というより高次な次元において、個体の知覚レベルでの行動によるこのズレの統合化と類比的に考えることができる作用が「現前」(« présence »)である。
 この現前によって、集団レベルにおいて、同化過程と異化過程、生成と減成、実在への上昇と死の均衡という最終的な安定性への下降という、個体レベルにおいては対立する対関係の意味が見いだされる。
 唯一の決定的な準安定性は集団の準安定性である。なぜなら、集団は、次から次へと発生する個体化を通じて、老いることなく恒常化されるからである。
 下等な種にあっては、はっきりと個体として分離された個体性が見いだされないことがある。その場合、準安定性は、相互に完全に分離された複数の個体集団にはなっていない未分化な全体に通底していることがある。
 高等な種にあっては、生命の恒常性は集団レベルで再び見いだされる。しかし、その恒常性は、個体レベルより高次なレベルで見いだされる。それは意味として見いだされる。個体化された存在の上昇と下落とが統合化される次元として見いだされる。
 集団は、諸個体の成熟によって支えらている。この成熟とは、若さと老いとがそれとの関係で秩序づけられるところの高次元に他ならない。成熟とは、若さと老いと間にあってバランスの取れた過程という過渡的なものなどではない。
 個体が成熟しているのは、個体が集団に統合されているかぎりにおいてである。つまり、己の内に潜在性と過去の刻印とを同時に含み、現在との関係で、同時的に、それ以前には若く、それ以後には老いるもので、今、あるかぎりにおいてである。
 成熟は、一つの状態なのではなく、生命の同化的側面と異化的側面とを統合化した意味作用である。個体が己の意味を見いだすのは、過去と未来とが時間的二次元性として差異化されることによってである。個体は、あるとき到来し、やがて過ぎ去るものとして、潜在性を内に増大させながら未来に向かい、過去を現在において構造化し、集団に統合される。
 集団は、個体単体における過去と未来の両立不可能性を、現在によって統括された三次元性において解消する。集団から切り離された個体単体における過去と未来と、集団的現前という三次元システムにおける過去と未来とは大きく異る。集団における「現在の現前によって」(« par la présence du présent ») 、過去と未来とは現在における二つの次元となる。
 このような統合的な時間的三次元の成立が「集団の個体化」(« l’individuation du collectif »)に他ならない。