内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

テキストの地層学と精神史的アプローチ(4)

2016-07-02 07:14:11 | 哲学

 今回、ワークショップでの発表原稿をここに掲載するにあたって、気づいた誤字脱字を訂正する以外はそのままとした。それは、発表の際には原稿を読み上げるということをしなかったので、原稿そのものを過去の記録としてここに残しておくためである。実のところは、読み直しながら、書き直しや増補したい箇所も多々あった。もう少し時間を置いてから原稿に立ち戻り、改訂増補版を作成したいと思っている。

4 ― 精神史研究に内包された倫理学の方法序説 ― 将来の倫理学のためのプロレゴメナ

 一九二〇年代の和辻の諸論文・諸著作において探求された学問の方法論について、本発表では、『日本精神史研究』の「『源氏物語』について」と「「もののあはれ」について」の二論文に絞って検討しました。前者は、『源氏物語』研究に成立論という新しい分野を拓いた画期的な論文であり、後者は、本居宣長の「もののあはれ」論の批判的検討という形を取って、歴史から時代精神を抽出する学問的方法を一つの実例に適用することを試みた論文でした。両論文を以上のように検討した結果として、以下のような結論を導き出せると私たちは考えます。
 文化事象をその時代の制約的諸条件を前提として生成の相の下に記述することは、記述以前にそれ自体としてすでに実在する自己同一的な対象としてその事象を予め想定することなく、記述そのものを通じてその対象を概念的に再構成していくことに他なりません。時代精神のこのような抽出作業は、作業の対象である時間・空間的に隔たった時代精神に対するその作業を行う者の関係を直接的或いは間接的に限定せずにはおきません。ヨーロッパ古典文献学を哲学にとっての基礎学として吸収しつつ、現象をそれ自体で価値中立的に存在する対象として客観的に記述することに終始するのではなく、その対象が生まれ出る生成の文脈に自らを積極的に「書き込む」学問的方法を、和辻は、一九二〇年代の諸論文・諸著作の中で探求し、特にその方法を日本の文化事象に適用することを試みたのが『日本精神史研究』だったと言うことができると思います。
 私たちは、その学問的方法を「現働化」と「離在化」と「離接」という三つの概念を使って以下のように規定できるだろうと考えます。
 現働化とは、作品をそれが生まれた時代と社会の諸条件の制約の中で生成の相の下に読み直し、その作品の価値をそれが生まれた時代と社会の文脈の中で捉え直す作業のことです。
 離在化とは、作品が生まれた時代の精神とその作品を研究対象とする者が生きる時代の精神との隔たりに概念レベルで規定を与える作業のことです。
 和辻において、精神史研究における現働化作業は、或る時代に生きられている倫理をその倫理が生きられている時代の現実の中で有効な価値として対象化し検討するための予備的作業としての役割を、その時点でははっきりとそれと自覚されることなしに、果たしていたのではないでしょうか。
 精神史研究における方法的離在化は、人間の行動を規定する或る価値概念が生まれて来た歴史的文脈と自分が現に生きている世界での人間の行動を規定している価値概念の体系とを隔てている距離を概念的に計測するためにも有効に機能しうるとすれば、将来の和辻倫理学の方法論にとって、やはり当時はそれと自覚されることなしに、一つの準備作業であったと言うことができるのではないでしょうか。
 このように現働化と離在化とを相補的な仕方で実行することは、自分がその中で生きている現実とは時間・空間的に隔たった現実をそれとして記述する方法を適用することによって、両者を隔てている歴史の中に積極的に己を書き込み、その時間・空間的に隔たった現実に距離を置きつつ接することを可能にします。このような学問的態度を「離接」と呼びたいと思います。
 もし以上のように現働化、離在化、離接をそれぞれ規定することが許されるとすれば、和辻にとって、一九二〇年代の諸論文・諸著作は、将来の倫理学のためのプロレゴメナとしての離接的思考方法の錬成の場であったと言うことができるのではないでしょうか。