内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

技術について哲学的に問うための「道具」

2016-07-19 00:04:08 | 講義の余白から

 帰国した16日とその翌日はさほど暑くなくて助かったが、昨日の午後は暑かった。一歩も外出することこなく、西日が差し込む和室で、流れる汗を拭いながら講義の準備を続けた。
 講義二日目に取り上げる西田の「論理と生命」を久しぶりに読み直す。博士論文で最も詳細に検討した西田論文の一つであるから、それから十数年経った今でも、一行一行読み返さなくても、岩波文庫版『論理と生命 西田幾多郎哲学論文集Ⅱ』収録の同論文中のラインマーカーの引かれた箇所だけを読めば、立ちどころに議論の筋道が蘇ってくる。今からちょうど八十年前の1936年夏に発表されたこの論文は、最後期西田哲学の最重要論文の一つであり、今読み返しても、その独創的な発想から学ぶところが多い。今日も、読み返しながら随所でこちらの思考が刺激され、しばしば本から目を離し、思索に耽った。
 同論文は文庫版で百二十頁以上と長い。もし集中講義でその全文をじっくり読もうとすれば、五日で足りるかどうか。それはそれでやってみる価値のある演習だとは思う(ただし、あまりにも繰り返しが多くて、西田のスタイルに慣れていない人たちはうんざりすること必定だろうけれど)。しかし、今回は「技術・身体・倫理」というテーマに沿って三人の哲学者を読むことが目的だから、同論文の中で特にこのテーマに直接関わる一節だけを講義の中で読み、私がそれに注釈を加えた上で、全員で多角的に討議したいと思っている。