内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生命ある個体に訪れる死の二つの意味(二) ― ジルベール・シモンドンを読む(109)

2016-07-06 04:52:54 | 哲学

 しかし、死には、個体にとって、もう一つの意味がある。
 個体は純粋な内面性ではない。己自身の作用の残滓の重みで重たくなってゆく。己自身のせいで受動的な存在なのである。己自身にとって己固有の外部性であるとも言える。活動することで重くなり、使用不可能な非限定なもの、不可逆的に安定的均衡状態にある非限定なものの負荷を負う。この非限定なものは、それ固有の特性をもはや持たず、潜在性を失い、新たな個体化の基礎とはもはやなりえない。個体は、徐々に安定的均衡状態にある諸要素を獲得してゆくが、これらの要素が個体に負荷を負わせ、個体が新たな個体化へと向かうことを妨げるようになる。個体化されたシステムのエントロピーは、一連の個体化作用、とりわけ非建設的な個体化作用の過程で増大する。過去の潜在性を欠いた結果が新しい個体化の酵母となることなし積み重なっていく。この冷えきった「塵」、エネルギーを欠いた蓄積が受動的な死として存在に入り込んでくる。この死は、世界との対決の結果として個体に訪れるのではなく、個体内部の種々の変化が収束に向かうことの結果である。
 しかしながら、老化は個体発生の代償ではないかと問うことはできる。試験管内で培養され、大きな量塊にならないように頻繁に移植される組織は、無際限に生き続ける。これらの組織が際限のない寿命を持つのは、死へと至る毒性を持った発生物がその内部で蓄積するのを頻繁な移植が妨げるからだと一般に言われている。
 しかし、それと同時に観察されることは、頻繁な移植は、組織をまったく差異化されていない斉一的な成長状態のうちにずっと留めおくということである。その組織がある一定の大きさに達するやいなや、その組織は自己差異化を始め、そのようにして差異化された組織は、ある一定の時間が経つと死に至る。
 ところが、この差異化とは、一つの構造化であり、機能的に特化することである。この意味で、差異化は、ある問題の解決なのである、それに対して、頻繁に移植が繰り返される組織が差異化されていない斉一的な成長を続けるのは、その組織があらゆる個体化の手前に留まっているということである。無際限に繰り返される移植は、組織を個体化の基盤となりうる全体として進化の同じ時点に絶えず立ち戻らせる。おそらく、個体化しないということが際限のない寿命の原因なのである。そこにあるのは、斉一的で差異化されていないかぎりでの成長過程の無限の反復であり、しかもその反復は、移植という外的操作によって引き起こされている。