内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

両極に対して中央に立つ成熟した個体 ― ジルベール・シモンドンを読む(112)

2016-07-09 10:49:12 | 哲学

 あらゆる転導的連関について言えることだが、個体の存在は、その十全な現実性において捉えられるためには、その真中で捉えられなくてはならない。完全な個体とは、単にその生誕から死までの存在ではない。それは本質的に成熟した存在である。その存在の位格は、両極の間にあり、両極それぞれにそれ固有の意味を与える。それら両極とは、生誕と死、個体発生と破壊、同化過程と異化過程のことであり、それらがそれぞれ互いに両極でありうるのは、成熟した中央との関係においてである。現実的個体は、成熟した個体であり、両極に対して中央に立つ個体なのである。
 このようにして個体という存在の位格は永続していくのであり、それは永遠に若さを保つことによってでも、最後に訪れる死の彼方へと自己変容を遂げることによってでもない。その存在の真中においてこそ、個体は、世界に発生する諸問題や個体化された存在が抱える諸問題に解決をもたらすことによって、己の機能に最も完全に適った存在となる。「若い」とき、あるいは「老いた」とき、個体化された存在は、「まだ」、あるいは「もう」孤立している。成熟しているとき、個体化された存在は、世界の中で己を構造化し、己において世界を構造化する。成熟した個体の構造と機能とは、個体を世界に結びつけ、個体を生成過程に参入させる。
 個体における様々な意味とは、個々ばらばらに存在するようなものではない。切り離された個体内に含まれ、そこに閉じ込められたものではない。成熟した個体において組み合わされた構造と機能とによってこそ実現されるのが意味であり、そうであってはじめて、意味は、個体が有限な存在として置かれている「今」「ここ」を超えて伝播されていく。成熟した個体とは、知覚世界に発生する諸問題を行動によって解決していく個体のことである。それはまた、集団を作り出し、それに参加する個体でもある。集団が存在するということは、諸個体によって担われている生来の諸種の負荷がそれとして個体化されるということである。言い換えれば、それら負荷が諸個体間に問題として共有されうる空間が開かれるということである。