「意味ね~んだよな、こんなことやってても」と、ときどき、いや、最近はかなり頻繁に、つぶやいている自分に気づき、それに気づいては、はぁ~と深い溜息をついている。
日々、徒労感の冪乗、それがひたすら右肩上がりの心理的重量として心身を押しひしぐ。朝起きるのもしんどい。「ばぁ~かみたい」って、毎朝思わずにはいられない。その原因が個人的な事情に尽きるならば、他人は、「あっ、そ。ご愁傷さま。でも、それって自己責任ですよね」と、私を見捨てるだけのことで、後は、ヒトリシズカ、私が消えていくだけのことだ。
だが、おそらく、そうではない。自分も恥ずかしながら生まれてこの方乗船させていただいている超豪華客船「地球号」に重大な損傷が見つかったのだ。洋上のど真ん中、一時寄港は不可能。乗ったままで、とりあえず船にある道具と材料で補修しないと。でも、損傷の深刻度は明らかにそれを超えている。一旦陸に上げて、全面解体して、再建しないと、遅かれ早かれ、沈没する。さて、どうする?
ハリウッド的脳天気映画のハッピーエンドはいっさい期待できない。それでもなお、性懲りもなく、根拠のない希望的観測にしがみついて、「沈まぬ太陽」とか言う? バ~カ言ってんじゃね~よ。
夢幻の如く美しく儚いこの世界の私は、ただひたすら無力なだけ。もう一切を諦めて、近い将来に訪れる沈没を他の乗客とともに従容として受け入れるか、自分だけは何が何でも助かりたいから、こっそり救命ボートで脱出するか。どっちもできない。「ムジョー」も「ハクジョー」も、無理無理。
だから、仕方なく、何事もないかのようなふりをして、淡々と、場合によっては、「ダイジョーブですよ~」とかにこやかにほざきながら、ときには、声をちょっと荒げて義憤をもっともらしく表明したりながら、日々の仕事をかなりきちんとこなしつつ、しかしそれによる充足感は一切なく、いつ訪れるとも知れない死を待ちながら、私は生きています ― って、言えるのかなぁ~?