内的自己対話-川の畔のささめごと

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柿本人麻呂 ― 無常の認識史の転換点に立つ大詩人

2019-03-10 18:24:33 | 読游摘録

 佐竹昭広が『萬葉集再読』の注の一つで、「人麻呂の仏教思想については末木文美士氏の指摘が的確である」と評価していることは一昨日の記事のはじめに述べた。今日から、その問題を取り扱っている末木論文の第三節(『日本仏教思想史論考』177-183頁)をじっくりと読んでいこう。
 末木は、古代文学史上の一頂点をなす人麻呂を、思想史的に見て、「無常の認識史上大きな転換点に立っている」と位置づける。まず注目すべき点として、人麻呂作の数多くの挽歌が「死をはっきりと死と認識した上に成り立っていること」を挙げる。どういうことか。「従来見られた生と死の境界の曖昧さが消え、既に嬪宮儀礼においてさえ、死者は死者として明確に位置づけられるようになった」ということである。言いかえれば、「死は死として生との断絶において位置づけられているのである」。
 末木は、特に、泣血哀働歌の中に「世の中を 背きし得ねば」という表現が見えることに注目する。昨日の記事で見た天智天皇挽歌では「うつしみし 神に堪へねば」とあったのに対して、「神」がここでは「世の中」になっていることは、「人間の死が、世の中の普遍的法則として捉えられいている」ことを意味すると末木は言う。

死は個別的、偶然的なものではなく、あらゆる人に否応なく襲ってくるものである。後に、「世の中は空しきものと知る時し」(巻五・七九三)、「世間を常無きものと今そ知る」(巻六・一〇四五)等に、「世の中」は無常と関連づけて歌われるが、その出発点は人麻呂に見えると言わなければならない。(一七九頁)

 ここで、三つ私見を挟んでおきたい。
 まず、死の不可避性の認識そのものが人麻呂において初めて成立したわけではあるまい。問題は、なぜそのことが人麻呂挽歌において強調されなければならなかったかということにある。言い換えれば、人間の生の有限性の自覚とその自覚の詩的表現とは、必然的な因果関係にはないとすれば、どのような文化的文脈において生の有限性が詩的表現の主題とされたのか。ここでまさに仏教の影響が云々されるのは言うまでもないが、この点に関しての末木論文の指摘はきわめて興味深い。そこを読むのは明日の記事に譲る。
 つぎに、自らの生の有限性の自覚を詠った歌、例えば、人麻呂歌集中の「巻向の山辺とよみて行く水の水沫のごとし世の人われは」(巻七・一二六九)の下三句は、無常を詠んだものとして諸家によって引かれることが多いが、自らの命の儚さ・移ろいやすさを詠うことが、即無常観を前提としているとは言えないだろう。
 もうひとつは、はかなさ・むなしさ・無常は、意味の上で互いに重なり合うところがありながら、単純に類義語として一括りにはできないだろうということ。万葉の時代には、まだ「はかなし」という形容詞はなかったという事実は無視しがたい。むなしさと無常とは、土屋文明が『私注』で指摘しているように、思想的な広がりと深まりにおいて区別されなければならないことは、2月26日の記事で見た通りである。この三概念の相互的弁別的差異の動態を各時代ごとに把握することは、思想史研究の一つのテーマであると私は考える。