内的自己対話-川の畔のささめごと

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『蜻蛉日記』の夢の記録が意味するもの(中)

2019-03-29 17:39:59 | 講義の余白から

 西郷信綱の『古代人と夢』(平凡社ライブラリー、1993年、初版1972年)の第六章「蜻蛉日記、更級日記、源氏物語のこと」には、六頁ほどだが、『蜻蛉日記』の作者の夢に対する態度について鋭い指摘があり、その指摘は私たちが道綱母の複雑な心の在り方を理解する上で重要な示唆を与えてくれる。
 西郷信綱がまず言及するのは、天禄元年七月の石山詣の際に見た夢の話である。陀羅尼を尊げに読みながら礼堂に佇む法師が、「去年から山籠りをし、穀断ちしている」と言うので、「では、私のために祈ってください」と道綱母はその法師に頼む。後日、その法師から、自分が見た夢の内容を知らせる便りが届く。ところが、その内容が『過去現在因果経』に典拠があるような典型的な「吉夢」なのだ。
 道綱母は、それを聞いて、「いとうたて、おどろおどろし」(「まあいやだ、大げさなことだわ」)と、件の僧の、口から出まかせの阿諛でもあろうか、と疑う。それで馬鹿馬鹿しくなって、夢解きを誰に頼むこともなく、そのままにしておいた。その折も折、ちょうど「夢あはする者」(夢判断をする者)が来たので、他人事として夢解きをその者に頼むと、その回答は、「朝廷を思いどおりに動かして、望みのままに政治を動かすことになるでしょう」と、明らかに夫兼家に好都合な予言になっている。
 この夢解きを聞いての道綱母の反応が彼女の微妙な心理状態を実によく表している。「さればよ。これが空合わせにはあらず、言ひおこせたる僧の疑はしきなり。あなかま。いと似げなし」(「思ったとおり。この夢解きがいい加減なわけではなく、私に夢の話を言い寄こしたあの僧が疑わしいのだわ。このことはご内密にね、まったくとんでもないことだわ」)。
 一方で、道綱母は、件の僧が、自分の夫が兼家であることを知って、その意を迎えようとして、こんな夢の作り話をしたのであろうと疑う。しかし、他方、夢解きの信憑性そのものは疑っていない。道綱母がこの一件をそこで打ち捨てたのは、僧の「はったり」がまるで自分の心事を理解していない、まとはずれな迎合であることにあきれたからである。
 しかし、それだけではない。道綱母の心事はもっと複雑である。上掲箇所の少し先で、彼女が一昨日見た夢の夢解きを同じ夢解きに頼む。その夢は、右足の裏に男が門という文字をいきなり書きつけたので、びっくりして足を引っ込めた、というものだった。大系本や集成本は、抑圧された性的願望の顕れをそこに見ているが、そのような精神分析学的解釈がここでの問題ではない。道綱母が夢解きに対してどう反応したかが私たちのここでの問題である。
 夢解きは、その夢は一子道綱がゆくゆく大臣公卿になるべき吉夢という。ところが、道綱母は、「これもをこなるべきことなれば、ものぐるほしと思へど」(「これも馬鹿馬鹿しいことなので、変な話だわ」と思ったけれど)と、「夢解きの色よいいい草にふりまわされず自分の経験の方に就こうとする」(西郷信綱『古代人と夢』一七六頁)。
 とはいえ、道綱母は、夢あわせをまるっきり拒否しているわけでもない。この夢あわせを「をこ」と感じつつも、溺愛する一子道綱が出世するという吉夢だと言われてみれば、「さらぬ御族にはあらねば、わが一人持たる人、もしおぼえぬさいはいもやとぞ、心の内に思ふ」(「そういったことがあり得ない御一族ではないので、私がたった一人持っているあの子が、もしかしたら思いもかけない幸運をつかむのかしら、と心の中で一人ひそかに思います」)と、まんざらでもなかったのである。