この記事は、ストラスブールからリルに向かうTGVの中で書いている。明日の研究集会は9時から始まり、当日出発では開会に間に合わないので、前日に現地入りすることにしたからである。交通費も宿泊代も主催者持ちである。
研究集会のことは明日以降の記事に譲るとして、今日の記事では、簡単に昨日の記事の補足をしておきたい。
昨日の記事で言及した Jacques Le Rider の本からの引用段落の直前の段落で、 « moderne » という概念自体は、ラテン語 modernus として、西ローマ帝国消滅後、五世紀に登場するということが Jacques Le Goff の Histoire et mémoire に依拠して指摘されている。つまり、ある時代が終わり、新しい時代が始まったという歴史認識とともにこの概念は使われるようになったということである。
そのジャック・ル・ゴフの本には、一般に西洋史家たちは、ancien (antiquité)/médiéval/moderne という大区分を前提として moderne という語を使い、特に古代との対比において使うという指摘もある。だから、この区分をそのまま日本史に当てはめることには当然無理がある。日本史における「近世」を prémoderne と訳さざるを得ない理由もそこにある。
学生たちには、教科書的な時代区分を安易に前提にせず、それに囚われずに歴史を見るように注意を促した。
授業での次の話題は、moderne という語が明らかに否定的な意味で使われている例である。これは、ボワローの言葉として弟子が書き留めていることだが、 « Les mystiques sont des modernes. » とボワローは神秘主義者たちを批判したという。この場合、moderne は、伝統と古典を尊重せず、新奇で趣味の悪く、儚く消えて行くもの、というような意味で使われている。この点については、2018年7月20日の記事を参照されたし。
そして、最後に話題にしたのが、例のごとく、Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge の中の inclusion/digestion という区別である。この区別については、2013年8月7日とその翌日の記事で詳しく説明してあるので、そちらを参照されたし。学生たちには、ついでに同じ著者の Modérément moderne. Les Temps modernes ou l’invention d’une supercherie, Flammarion coll. « Champs essais », 2016 (1re éd. 2014) も紹介しておいた。
かくして、学生たちにさまざまな思考の材料と手がかりを与え、あとは自分たちでそれぞれ関心のある分野で日本の近代史を見直してみなさいと授業を締め括った。