内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「あなたたちのおかげで、私たちはここに居ることができる」― 西村ユミ『語りかける身体 看護ケアの現象学』読中ノート(8)

2020-08-05 01:07:11 | 哲学

 Aさんの語りは、それがご自身の経験そのものから「芋蔓式に」(彼女自身がインタビューの中で使った言葉)出て来るもので、けっしてインタビューに先立ってあらかじめ整理された言説でもなく、なんらの理論的な裏づけによって支えられてもいないからこそ、その語りの中で生きた言葉が紡がれ、そのままそれ自体で揺らぎつつ立っており、たとえそれらの言葉がインタビュアーである本書の著者によって再構成されたものであっても、真実を伝える肉声として読む者に響いてくるのだと私は感じます。
 本書の全体の三分の一を占める第二章の中のAさんの語りの中にはまだまだ引用したい言葉がたくさん出て来るのですが、このままそれを続けてもきりがありませんし、ご関心を持たれた方には是非本書を手に取って読んでいただきたいので(と言いつつ、私自身は電子書籍版しか持っていないのですが)、明日でこの連載を終えることにします。
 AさんはTセンターを辞められない理由を次のように語っています。

なんだろう、事故ったことによって彼らの事故に対する感情の変化ってどんなものか計り知れなくて、もしかしたら事故って辛い辛いと思ってるかもしれないじゃないですか。死にたいと思ってたかもしれない、もう早く終わりたいと思ってたかもしれない、けどなんだろう、そうじゃなくって、あなたたちを求めている人は周りにこんなにいるんだよっていうことを、もっともっと訴えてあげたい。今いる患者さんたちにもそれは訴えれたら少しは、少しはっていうか今以上に生きる希望とか、生きたいって思いが生まれてくるんじゃないかなって私は思うんですよね。彼らの心の内っていうのは全然分からないから想像するのは怖いですけどね。たぶんすごい闇の中にあるんじゃないかって思ったとき、すごくすごくそれは怖いし、こちらが、それを覗くのはとても怖いことで、目そらしたくなるんだけども、でもその中で、あなたたちのおかげで、私たちはここに居ることができるし、私たちはそれを感謝してるんだっていうのを分かってもらえればいいなあとかって、それを訴えたいがために、なんかここを辞める気はないんだろうなあとかって……。なんでTセンターに来ちゃったんだろうってことはこれだっていうふうに、私自信もって言えちゃうから。

 他方、普通の意味での双方向的コミュニケーションがまったく不可能な植物状態患者との関係を自分がどこまで築けたかとAさんは何度も自問しており、「独りよがり」というところもあるのかなと思うときもあると言います。それでも、自分が二人の患者から多くのことを学んだことは確かであり、それが自分の看護のよりどころになっているから、「やっぱり癒やされているのは私の方なんだってつくづく思いますよね」とも言っています。

だから感謝しないといけないって、それはホントに思うし。なんだろう、本当にこういうことを言っていいもんやらどうやらの世界になってくるけれども、よく言えるよなと思うけれども、本当にこの人に出会えてよかった、って思える人たちにここに来て会えてるような気がする。私はそんな気がします。