植物をその固有性において考察し、その生態を適切に記述するためには、どのような科学的言語が必要なのだろうか。私たち人間がよりよく知っている動物の生態を記述するための言語を応用するところから始めなければならないのだろうか。しかし、動物的生についての知見から植物的生への類推がいくらかは可能であるとしても、両者の間に相同性を見出すことは困難であり、このようなアプローチでは植物の固有性をそれとして記述することは到底できない。
では、植物の生を物理的・化学的・生物学的現象に還元し、それを分析するというアプローチはどうであろうか。このようなアプローチは、生命現象を同一の言語でより斉一的に記述することを可能にするとしても、植物の圧倒的に多様な諸形態を記述するには不向きである。
すでに何度か引用した『植物礼讃』の中でフランシス・アレは次のように形態認識の重要性についての自らの確信を語っている。
Existe-t-il, concernant la plante, un résultat quantitatif de quelque importance qui ne se trouve transcrit dans sa forme ? Je ne le pense pas ; rien dans les textes scientifiques, anciens ou récents, ne vient, à ma connaissance, démontrer le contraire. La forme est un intégrateur des tendances internes, dont elle nous offre d’emblée une puissante synthèse. Aussi, la science des formes n’est-elle pas désuète ; je pense plutôt qu’elle pourrait avoir sa place dans une « philosophie de la Nature des temps modernes ».
Francis Hallé, Éloge de la plante. Pour une nouvelle biologie, op. cit., p. 40-41.
物理化学的分析によって得られた何らかの重要性をもった定量的結果のうち、それが植物の形態において表現されていないものがあるだろうか? アレはないと言う。彼の知る限り、古今の学術的研究の中でその反対を証明したものはない。形態は内的諸傾向の統合しているのであり、形態はその諸傾向の強力な総合を直ちに私たちに示してくれる。だから、形態学は廃れてはない。むしろ、形態学は、「現代においける自然哲学」の中にその然るべき場所を占めることができるものだ。そうアレは考える。