内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

一日の終わりに負のエネルギーを正のエネルギーに転換してくれた文章

2020-12-15 23:59:59 | 雑感

 なんと言いますか、今、とっても複雑な、というか、やれやれ困ったもんだという溜息と、授業やったかいがあったものだという嬉しさとが交じり合って、心の中が掻き回されています。
 一方で、なんでこうなるのよ、と言いたくなるような前代未聞のやっかいな事態に見舞われており、それへの対処のための準備に追われています。他方で、今さっきのことですが、ある学生が締め切り一週間以上前に提出してきた日本語小論文を読んで、それがちょっと感動してしまうくらいいい文章だったのです。
 前者に関しては、明らかに、私の対応のまずさが主要な要因の一つで、事態を複雑化してしまっています。詳細は申し上げられませんが、相手の術中にはまったというのが、まさに今、私が(というか、学科が)置かれている現況です。傍から見れば、それは、まことにバカバカしいとしか言いようのないことなのです。信じがたくバカバカしいのです。そのバカバカしいことに本気になっている相手によって振り回されています。これはかなりシュールな状況です。
 でも、妙に感心してしまっている自分もいるのです。たった一人の人間がここまで組織の運営を乱せるものなのだなあ、すごい負のエネルギーだなあと。それを正のエネルギーに転換してくれたら、学科の運営は快適以上のものになるのになあと溜息交じりではありますが。
 他方、いい文章というのは、「千年以上も前に詠まれた和歌が、今も私たちを、しかも国を超えて、感動させるのは、なぜでしょうか」という課題に対する回答として書かれた文章でした。それは、日本語としてよく書けているというのとはちょっと違って(不器用なところも可愛らしい間違いもいくつかあります)、和歌に対する本人の真率な感情がよく伝わってくる文章だったのです。万葉集の名歌中の名歌「渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今晚乃月夜 清明己曽」(「海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ」)をこの通り万葉仮名のまま引き、鑑賞を述べています。それは本当にこの歌が好きなのだなあということが読んでいるこちらにもよく伝わってくる文章で、稚拙ではあっても、借りものではない言葉で綴られていました。
 一日の終わりに一つの気持ちのよい文章を読めたことを、それを書いてくれた学生に私は感謝しています。