内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

キリスト教グノーシスへの共時的アプローチ

2020-12-27 23:59:59 | 読游摘録

 筒井賢治の『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』(講談社選書メチエ 2004年)は、「グノーシス」という概念のいわば出発点にひとまず立ち帰り、照準を二世紀のキリスト教グノーシスに絞るという共時的アプローチをその方法論として明確に打ち出し、その時代を代表するグノーシス主義を代表する三者、ヴァレンティノス派、バシレイデース派、マルキオン派の思想の詳解を主要な三章としている。グノーシスについての実証的な歴史研究に基づいたこのアプローチは、「グノーシス」「グノーシス主義」という言葉がやたらと拡張された意味で使用されることで見失われがちなその元来の意味に立ち帰り、何をもって「グノーシス的」とするかという点を明確にするために採用されている。著者によれば、そのような基準モデルとしての「グノーシス」は、二世紀のキリスト教グノーシス以外には考えられない。共時的アプローチによってキリスト教グノーシスの歴史的な原点ないし出発点を捉えることができてはじめて、広義のグノーシスについても、古代キリスト教史以外の各分野を専門とする人々を含めて、さまざまな立場や観点の間で、地に足をつけた対話を開始することができると著者は言う。
 まったくその通りだと思う。本書のおかげで、グノーシス最盛期の歴史的現場についての認識を深めることができた。グノーシス的とされる個々の教説ももちろんとても興味深いのだが、特に、グノーシス主義が生まれて来た状況(社会・政治・思想・神学・哲学などに横断的に関わる)について学ぶところが多かった。
 最終章の第六章「結びと展望」の中で、著者は、「キリスト教グノーシスはあくまで初期キリスト教史(前史と周辺世界の歴史を含む)という枠内、つまり直接・間接の因果関係が考えられる領域に限った範囲で研究し、そうした努力を通じて「グノーシス」のちゃんとした定義や歴史叙述を目指すという伝統的な方法にこだわりたい」と述べているが、これは歴史研究を専門とする学者としての倫理的原則でもあるだろう。
 「キリスト教グノーシスがギリシア哲学を積極的に採り入れ、それが正統多数派教会の教義形成を牽引する結果となったこと、またマルキオンの正典が現在の「新約聖書正典」成立への呼び水となったということ、こうした事情は、地味なように見えて、実はキリスト教史において、ひいては西洋文化史において、重大な意義を有している。」
 正統と異端という固定的な対立図式は、初期キリスト教史にはまったく妥当性を欠いていること、一つの宗教の生成と確立のプロセスをその動態において捉えるにはどのようなアプローチが要請されなくてはならないのか、この一文を読んだだけでわかる。