内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

論文作成という長距離走の伴走者あるいは給水係として

2020-12-16 23:59:59 | 講義の余白から

 二十学科を擁する本学言語学部の中で、学部修士合わせて二百六七十名の学生をかかえるわが日本学科は、学生数では堂々学部第三位である。それに対して、専任はわずかに五名、教授一名、准教授四名。その他に、契約講師が四名、それでも足りないので、四名の非常勤をお願いしている。
 学生数を専任の数で割ると、一教員当たり五十名以上の学生の面倒を見なくてはならないことになる。これはドイツ語学科の四倍以上である。にもかかわらず、特別手当など一切つかない。学部では、授業に関しては、契約講師と非常勤の方たちが果たしてくれている仕事量が多く、専任は自分の担当授業の外、その他の責任を分担している。
 ところが、修士の教育指導は、ごく一部を除いて、専任のみで行っている。修士の学生数は、登録上は三十名以上になるが、演習に出席しているのは、その半分強である。毎年、修士一年生の論文指導担当を決めるとき、担当学生数が不公平にならないように配慮するので、自分の専門とはほとんど関係のないテーマを希望している学生の指導を引き受けざるを得ないことが多い。
 私の場合、現在担当している学生たちのテーマは以下の通り。近世初期の京都町衆の機能、時枝誠記の言語過程説とルシアン・テニエールの構造統語論の比較研究、十七世紀における対馬藩の外交史、特攻隊員の記憶と記録、ヴァーチャル世界の生態系、江戸前期の寺子屋教育の事例研究。その他にもあるのだが、それらは、登録はしてあっても、学生本人が論文作成をほとんど放棄している状態なので、数には入れていない。
 これらのテーマの間に、共通点など、ない。分野もばらばら。時代としては近世が多いのは、単に他に引き受け手がいないからに過ぎない。
 それでも、対馬藩の研究は、私が学生に強く勧めたテーマで、本人も熱心に研究を継続している。来年度の九大への留学が決まっており、その留学が実りあるものになるように、今から準備している。時枝・テニエールも、私が学生に「やれっ」と発破をかけた。この研究は、成就すれば、間違いなくいい論文になる。特攻隊員の記録と記憶は、学生本人が希望したテーマで、修士一年のときはまだ漠然とした問題意識だったのだが、昨年度一年間学習院に留学している間に、知覧特攻平和会館などゆかりのある土地を訪れ、資料収集に努め、かなり問題意識が明確になってきた。
 ちゃんとした研究をするためには、それぞれの分野の専門家の指導を受けるべきである。それは言うまでもない。しかし、それは弊学科で願ってもほとんど叶わないことである。そもそも私などが指導などとはおこがましい話であることは重々承知している。
 論文作成は、いわば長距離走である。途中、苦しくて、息が切れそうになることも珍しくない。その伴走者として、あるいは給水係として、完成というゴールまで付き合う。せめてそれくらいはしてあげたいと思う。