未曽有の一年があと数日で終わろうとしていますね。そんな年の暮れに大変恐縮なのですが、今日の記事はただひたすらネガティヴです。こんな記事、書かなきゃいいのにね。今日も一日なんとか生きてしまいましたという痕跡を残すためだけに書いています。スミマセン。
何か個人的に特別な出来事があったわけでありません。淡々と過ぎた一日でした。ですが、いろいろ、感じるところがありましてね。心事の詳細は省きますが、非論理な結論として、まあ、何と言いますか、諸々、もうどうでもいいかなって感じです。これだけでは、まったく意味不明ですよね。それはわかっているのですが、説明する気にもならないのです。説明したって、それを聞かされる方には、ほんと、ツマラナイ話だし。かといって、何かもかも投げやり、というのとはちょっと違うのです。表面的には、多分、これからも、今まで通り生きていきますよ。それもけっこう健気に(褒められたら、ちょっと嬉しいかも)。体裁にこだわる度し難い性格からして、死ぬまでそうかなと思う。でもね、他方、もう、ほんと、頑張るの、やめようかな、という感じなんです。バ~カみたい、いつもこっちから持ち出しばっかり。疲弊するだけ。その虚しい努力(とさえ言えない徒労)に対して、この先なんの見返りがあるわけでもありません。別にそんなものを期待して生きてきたわけではないけれど、この徹底した無償性、いや、無意味性はいったいなんなのだろう。「生命の本質は贈与である」とか、実のところは物質的にけっこう恵まれた安閑な生活を送っている無益な知識人たちよ、安易に言わないでほしい。あなたたちは、自分が批判している対象と一蓮托生なのだから。何もできずに虚しく死んでいく有象無象の一人として、それだけはお願いしておきます。