こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月11日 日曜日 今日も晴天なり

2015-01-11 12:25:37 | 雑記帳

気持ちの機微は、振り子みたいで、ちょっとしたことで躁にも鬱にも動くけど。
それは、つね一秒ごとに生きていることのあかし。

じっとして心地良いときもあるけど、とどまることがよくないときには、外に出てみる。
運良く今日は晴天だし。これは達人たるネコたちの極意。

インターネットだとか、すまほだとか、小さい画面に必死に向かっていて、それが役立つときも多いけど、それが中心になったり、そこに引きずられ・あやつられ。。。
そんなことは、必要なときだけでもうおことわりです。

人肌の真綿のようにやさしい街を歩いていると、こちらもリラックスして、そういう気持ちになれる。
今朝は、半日近い小旅でくたびれ果てて、全身鬱のようになって起きたけども。
慣れたもので、歩き過ぎても、足が痛くなるようなことはないのだけど、最近は腰が痛くなるときがある。

そうやって腰をもんでいると、江戸時代・宿場町で翌日の長旅を前に、心身をいやしていたであろう旅人の姿が、なにかいとおしい姿として脳裏に浮かんで、ふいにほほえむ。

起きてトランジスタラジオをつけると、安住さんの声。
そこに相づちを打ち、ほんわか笑う中澤さんの声。
拓郎さんの「元気です」が流れた。70年代の幸福なあの子供の頃のシーンがよぎる。

”過去は加工されて美しく輝くように着色されるもんさ”
そう人は勝手にそう言うけれども、ボクはそうは思わない。

それはともかく、今という現在進行形のこのクニであったって、全部がダメとは言わない。
それは現実に歩けばわかる。出会う人、出会う風景、露地、ただよう空気やにおい。

今日も、そんな幸福な何かを求めに、歩きに行く。
かつていっとき地下生活者でもあった自分だが、今はどうやら旅の路にいながら、そこで過ごすほうが合っているようである。

■サディスティック・ミカ・バンド 「42℃のピクニック」1989■
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2014年12月31日 水曜日 年越し

2014-12-31 23:39:57 | 雑記帳

12月27日 土曜日
明け方泥酔で帰宅。寝て目覚めると二日酔い。
これではいかんとTBSラジオを掛けながら、横になってうなる。
夕方にやっと立ち上がり、小旅に出る。

0時過ぎてから年賀状作り。
聴いていた穏やかなラジオ深夜便から森田美由紀さん。優しい包容力のある声。
すると、なんとアッコちゃん(矢野顕子さん)のインタビュー。
テーマは「わたしの”がむしゃら”時代」。

もうすぐ60歳ですね、と言う森田さんに、アッコちゃんは59も60も61も大して変わらないわよ。そう言われてみれば、そうだね。
さすがのかわし方。

明け方までラジオを聴きながら年賀状作り。

12月28日 日曜日
安住紳一郎さんのラジオとお茶に始まる。
午後、小旅に出る。あちこちでネコに出会い、カリカリをおすそわけし、写真を撮り歩く。
歩いているうち北千住に着き、喫茶店で年賀状の宛名書き。
不足してしまったプリンターのインクを探すが、希望のモノがない。

仕方なく電車に乗って秋葉原へ。
インクを買うと人混みを避けて、人の少ないほうに歩く。
秋葉原~御徒町~浅草橋~蔵前・・・墨田川が見えてきて、川沿いに浅草まで歩いた。
そのまま島まで歩くことも出来たが、明日がある、と思って電車で帰った。

手足のしっしんがひどく、アロエの汁を塗っていたがおさまらないので、かゆみ止めクリームを帰り道に買った。
帰って追加の年賀状作り。久しぶりに幸宏先生の「音楽殺人」を聴く。

カモミールの入浴剤を入れた湯に浸かる。温まった後、湯上がりにクリームを塗る。
布団に横になりラジオ深夜便を聴いているうち、不意に眠っていた。

12月29日 月曜日
外は雨。でも午後には止むと天気予報は言っていた。
昔は毎週会って、あてもなく街歩きしていた三人組。
この日・今年2回目の集合。2人に会え楽しい時間を過ごす。

夜になって、友人MZ師が教えてくれたテレビ特番が見たくなった。
インターネット動画で、それを見ているうちに明け方になってしまった。

12月30日 火曜日
昼に実家に向かう。両親ともに元気で居てくれた。
3人で夕食をし、笑い、テレビを見る。
いつも来るネコののらくろちゃんには会えなかったのだけが、心残り。

夜、大好きな映画「ねこタクシー」を掛けながら、安息の眠りにはいれた。

12月31日 水曜日
疲れがたまっていたんだ。10時過ぎに起きた。
ラジオを着けると大沢悠里さんの声。九州に居る先輩が心配で電話をする。
お昼サボってカップうどんを食べる。
電話している途中から焼酎のお茶割りを呑んでしまったせいもあり、食後横になると夕方まで再び眠ってしまう。

このまま室内に居るのはいけないと、夕暮れを見に歩く。
いつもの隅田川近くに居るネコちゃん。一匹にカリカリを上げると全員で4匹になる。

夜、そうじをするつもりはなかったのだが、台所そうじを始めたらやめられなくなる。レンジ、お鍋、水回り。汗をかいて3時間。
その間、ラジオを聴きながら。

18時~ニッポン放送「ごめんね、そしてありがとう~音楽にのせておくる2014年のメッセージ~」(上柳昌彦)

19時~インターFM「デイヴ・フロム・ショー」

20時~TBSラジオ「おっさんニュース年録2014」(ピエール瀧・ビビる大木・中村尚登)・・・

21時~TBSラジオ「おもしろ本No.1ここに決定!笑う本棚大賞2014」(えのきどいちろう)

22時、やっと夕食。パスタをゆでて食べる。缶ビール1本。
23時過ぎて、録った爆笑問題カウボーイを聴く。

さてさて、と今年最後の曲をどうしようか・・・と思ったが、昨日から聴いていた1982年1月21日・ヴァージンレーベルから国内発売された「DARE!」。
ここに収録された大好きな一曲を。

来年は、笑いとほの明かりが、いつもあるようにしたい。
そう今日は思っている。

■Human League 「Open Your Heart」1981■
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2014年12月27日 土曜日 祈り

2014-12-27 23:52:00 | 雑記帳

年賀状に載せる写真を選んでいた。
今年撮った写真も枚数がぼう大。
そこで、途中から少し手抜きをしながら、めくっていった。

そのうち「どれだけ哀しく・汚くあっても、それでも、なんとこの世は美しいんだろうか」と思うに至った。

季節を巡りて咲く花・植物たち。
路地に住まうネコや鳥や生き物たち。
カオティックに入り組んだ街と市井の人とが織り成す光景。

写真を1月からめくり、その時間の長さ。
雨・風・嵐、暑さ・寒さを乗り越えて。
ふだんは視えない、上空から俯瞰するような感覚が芽生える。

この世に現れる悲しみの総量を、なんとか少しでも減らせないものだろうか。
たぶんあらゆる日々の取り組みは、すべてそれに向けてであるべきだろう。
年の瀬が、そんなことまで思わせてしまう。

平日日中に、激しい怒りやよどんだ想いに包まれる時がある。
昔と比較すれば、相当おだやかになり、周囲に惑わされて、感情の起伏に苦労することは少なくなったけど。

昨日は仕事納めだった。
お酒を用意しては、ふだんはなかなか話すことがかなわない人と話せる機会。

「へえー」と”その人となり”に出会って、合わなかった人との気持ちのカベが溶けることが多い。
「そのように思って生きていたんだ」と知り、その後、その気持ちを抱き合って仲良くなったことがいくつもある。

根は”人間が一番ダメな生き物だ”と信じてやまない者だからこそだろうが・・・
逆にこんな対話を通じて、気持ちの底にある想いに出会っては唸り、その人を好きになってしまう。
(性的な意味ではなく)

今年もこの島で出会い、仲良くなれた人、お互いハッピーになれた時間がたくさんあった。

明日は知らねど(Tomorrow Never Knows)は、誰もがそうだけど・・・
視えない星たる良き同志たちの上に、そんな充実や安堵できる時間がいくつもいくつも舞い降りることを祈っている。

お酒は人に幸せを運ぶ、良い道具の一つ。
でも、へたくそな「酒飲み」は、ロクでもない酒の飲み方をする。
しけたセクトを作っては、誰と誰がどうのこうのと、くだらない会話をぐちゃぐちゃ繰り返している者が、無様に見えて仕方がない。

昨夜も、くだらない説教を吹っ掛けられ、そういった者とつかみ合いになりそうになり、ビンで頭を割られそうになった。
なんでいがみあい・怒鳴り合わなきゃならんだろうか、と悲しい気持ちになる。
必死に、こちらの気持ちの底を言葉に替えて訴え、久々に泣くほどに激情が出てしまう。
それでも彼の気持ちはかたくなで、想いはなかわなかった。

それでも絶望は抱かない。
そういうことは尽きぬほどあるんだから。

決してヘタることなく、
雨にも負けず風にも負けず、一緒に生きて行きましょう。

■Rolling Stones 「Waiting On A Friend」1981■


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2014年12月21日 日曜日 いそぎたくはないのですが、師走でごわす

2014-12-22 00:38:18 | 雑記帳

高速の下、周囲を針金で囲まれた場所で、ネコさんに出会った。
何やかんやといそがしい。どうもいけないね、これでは。
「いったいなんで、きみはいそがしいんだい?」と自分に訊いてみる。

今年再会できた人への贈り物を買った。それには、贈るカードが付いたほうがいい。じゃあ、どんな想いを書こうか。便箋はあったかな?

何年も親や兄に贈れていなかった自作CD。
もう長いこと選曲に迷っている。しかし、もう瀬戸際だから、と曲順を決め始めたが、どうもしっくりこない。

温度が下がってきたけどコートを着ていない。
その分、中に着込む上と下を買ったのだけれども、そのせいで湿疹が出てしまう。
かゆくてかゆくて仕方がない。どうすりゃいいかね?と思いつつ、乾燥肌もあるかもね。。。と何か保湿剤を、とうろうろするけど、迷った末なにも買わずに帰ってきてしまう。

ああ、部屋の掃除も出来ていないし、年賀状も書けていない。。。

昨日の土砂降りの水たまりが空と樹を映している。
なんだかんだと言いながら、その一方では、昨日土曜も仕事だったしさ。
などと言いつつ、上に書いたことは、どれもが仕事とは関係がない。
あくまで私的なこと。
どれだけ自由であっても、こんな時期には強要されるしきたりではなく、やりたいことが押し寄せる。

そう言いながらも、ちゃんと小旅に出てはその地・その地の風景を見て過ごしている。紙に向かっては、切ったり貼ったりしている。
「いそがしい」とは、まったく勝手なものである。

綾瀬橋からの絶景。
「やること」を、どうも高いところに置いてしまいがちな性分が顔を出す。
「根を詰めても、やることがうまくいく保証はないのだから。。。まあ、ほどほどにね」と言い聞かせて、納得させようとしている。

そんな今は、ラジオ深夜便を聞いて布団に入っている。
ペースを落とそうとしている。

■フィル・コリンズ 「この壁の向こうに(Thru These Walls)」1982年12月■
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2014年11月11日 火曜日 風邪っぴき

2014-11-11 22:06:52 | 雑記帳
2014年11月10日 月曜日 夜
風邪っぴき。昨夜からひどくなる。セキとハナ、ノドはガラガラ。
へたにセキをすると、それが頭を揺らし、頭痛がする。
白湯を飲み、できるだけセキしないようにする。

珍しく午前0時前に消灯。横になってぐったり。
ミニラジオを枕元に。動くこと自体が大儀。身を動かせない。

黙ってラジオの世界に滑り込む。そんな病床の幸福。
昨夜は、途中から10月頭の「たまむすび」へ。。。
聴けていなかった放送分がYoutubeに有り、mp3プレイヤーに納めてあって救われた。

赤江珠緒さんが”遅い夏休みということで、日替わりピンチヒッター。
たまちゃんの相手方はどの曜日のヒトも好きだが、この番組における山里亮太さんは良いコンビネーションを発揮していて楽しい。

鬼の居ぬ間。。。ではないけど、妻が居ない間のランデヴーみたいに、各曜日のパーソナリティは、何だか不自然に感じる。
普段の慣れた会話。そのキャッチボールが無い。
そこに、赤江さんの存在の不在を感じるとともに、若いアナウンサー相手に四苦八苦。そこが聴いていて面白い。

暗闇の中、山里さんは古谷有美さんという方を相手に。
「あんた、何だかエロいね」(山里さん)
その延長線で、放送の最中テーブルにあるお菓子名称をエロく読む、という試みへ。。。
「ポポロン・・・」
この部分で、つい暗闇で大爆笑してしまい、頭痛がやまなくなった。

2014年11月11日 火曜日 夜
朝ぐったりと汗をかいて起きる。腰が悲鳴あげる痛さ。
さんまを焼いたり、生卵を飲んだりした昨夜だったが、さらに風邪が進行。
マスクをして、何とか電車に乗り、カベによっかかる。

丸一日、苦しみつつの仕事。
一日中ハナをかみ、セキをしては頭痛で飛び上がる。
次第に、関節に奇妙なマヒ。チカラが入らず、何を聞いても面白く思えてヘラヘララリッてしまう。
続いて、苦しさから、ついうなっていたりした。

クスリは何も服用せず。
夕方、限界を迎え、早々に去る。外に出ると寒気がする。

甘いものなど一切クチにしないのだが、くだもの・アイス・菓子パンなど買う。
甘いものを摂取したくなるのは、危険な証拠。

それをクチにして、深々と煎れた緑茶を何杯も飲む。
先ほどからは、山里さんの翌日、博多大吉さんの水曜日にお相手した林みなほさんの回を聴いていた。
私は、ジェーン・スーさんの番組で聴いた”馬鹿女子丸出しの林みなほ”しか知らなかったのだが、2時間も聞いていると、その”ヒトとなり”が分かる。

「相談は踊る」での姿は、どうやら作られたもの。
素直でまじめ、シャイな部分もあり、無理のない感じに好感を持った。
今夜もラジオを聴いて眠ろう。
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2014年11月8日 土曜日 立冬の翌日

2014-11-09 00:12:55 | 雑記帳

朝からぐずついた天気。温度低く感じる。ハナ水とセキが止まらず。
あったかい緑茶を飲む。ラジオ。永さんと外山さん。
買ってあったパンを食べる。

お昼、ゴミを捨てに行くと、外はもっと寒い。ぱらぱら小雨舞う。
したくをしてから湯につかる。どぶっ、っと。
mp3プレイヤーの中身を入れ替える。ラジオ番組、音楽。

かさを持って出発。イヤホンから久米さん・堀井さんの声。
寒いから、あんまり猫に遭わない。いつものメンバーも数人しか会えず。

アテも決めず歩く。いろんな箇所をうろうろ、また旧中川に着いてしまう。
今日は橋をこえて、江戸川区・平井にまで。

日暮れを過ぎる。5時半ごろ、ついに腰痛は前に進めない次元になる。
仕方なく、バスを待つ。

帰って、冷やごはんをちゃーはん。煮物と食べる。
おなかまで満ちると、完全に動けなくなる。

ラジオの流れるがままに。さぶいから毛布を掛けて横に。
7時から9時-ジェーン・スーさんラジオ。

テレビドラマの脚本家では有名な方と対談したらしい。
「最近はテレビは見ない人が多いですが。」(スーさん)

脚本家の方は、長年の病を抱えつつ執筆にあたり、入院もしていたという。
そんな彼女は「入院中テレビとラジオにどれだけ救われたかわからない。
だから、テレビの仕事を続けてる。」

私もそう思う。私の場合は、テレビよりラジオ。
テレビもたまに見たいと思うけど、機器が壊れてそれっきり。

芯が冷えるから、眠いけど入浴。
15分はようくお湯につかること。かつて居た日本人はお風呂好きのひとが多かった。
お風呂がいろんなリセット装置。

湯上がり、しょうが湯を飲む。

■Yamasaki Amiさん朗読 今日の賢治『どんぐりと山猫』その二■












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2014年11月6日 木曜日 十三夜から十四夜

2014-11-06 23:44:13 | 雑記帳

夜の山椒魚

2014年11月5日 水曜日 最高17.6℃/最低11.9℃
夜の外、案外寒くない。
帰路の電車。運転がヘタなのか?ブレーキのせいか?
速度変更が唐突。突っかかり、車内で右に左に。
これに付き合えば、腰痛はぎっくり腰になる。福知山線の事故がよぎる。
ガラガラなので座る。

文庫版「カスバの男」。レッドクレイヨラ「ココナッツホテル」。
気になること-DADA、シュビッターズ、アラブ音楽、原始楽器。

島に着き、新しい目薬購入。
帰宅、皿洗い、米一合研ぐ。
キャバレーヴォルテールをイヤホンで聴きながらスクラップ。
らち空かずあきらめる。てごわい。缶ビール。

TBSラジオ「セッション22」。健康食品の詐欺と法律の境目。
入浴。上がってお湯割り。
疲れがピークに達す。作ったご飯を食べる気力を失い、今季初めての毛布を出してくる。消灯。

2014年11月6日 木曜日 朝16℃
夜中3時トイレ。朝のアラームにのたうち不機嫌な朝。えらく寒い。
緑茶三杯。朝風呂、浴槽に浸かってはみがき。

カラスの行水で飛び出す。白い空。
都心行きの電車。中井久夫先生「世に棲む患者」。細野さん「源氏物語」。
都心に出ると地面が濡れている。だるさから写欲無し。

仕事場。丸一日泥沼。
法律的文書作成。ここずっとそこに掴まり、他全体をスパスパ切り盛りできず。

お昼。焼サバ弁当。午後、ティーバッグで緑茶を何杯も。
ひたすら飲み、痛むノドの毒を洗い流す。
ひたすら迷路を歩く。紙とえんぴつ世界。

9時過ぎ一定のめどを見て、ささっと去る。
外に出ると再び路面が濡れている。ノドが痛み、たばこも旨くない。

しょうがと缶ビールを買い、帰路を辿る。
雲が覆う空のすきまから十四夜の月が覗く。

暗闇、金髪のいかついお兄さんがウンコ座り。
何かと確認。向かいにはノラ猫のクロちゃん。
一生懸命カリカリを食べている。
お兄さんは隠し守るように、背を大きく丸めている。

■Yamasaki Amiさん朗読 今日の賢治『どんぐりと山猫』その一■
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2014年11月5日 水曜日 昨日の夜から今日の昼さがりまで

2014-11-06 00:12:32 | 雑記帳

2014年11月4日 火曜日 三連休明け 朝12℃冷え込む、最高温度20℃

休み明けの夜。
帰路、空の高いところに月。雲が湧きたち、月はその裏にかくれる。
月はまだ六分目。金曜が十五夜。

島に戻る。
電気・ガス代を払うと一万円ちょっと。たばこ・ノリ・筆ペン。補充用として買う。

小屋に戻ると着替え、AMラジオをつける。
音量やチューニングがうまくいかないラジカセ。秋葉原のバッタ屋で十数年前買った安物。カセットはプレイを押しても動かない。そうなってから長い。

TBS「セッション22」。
辺りに散乱した紙ゴミ類、ノリとはさみで貼り込む。
缶ビールには寒くなったが、一缶呑むうち酔う。

いつもぐずぐずしてるうちに疲れ、お風呂に入る気がうせる。今夜は身軽なほうの心境。入浴できた。

帰り道に買ったほっけの開き。なかなか火が通らず時間掛かる。じっくり焼く。
その分、身が縮まって固めの仕上がり。さばやさんまより焼くあんばいが難しい。
煮物。
里いも・いんげん・にんじん・れんこん・たけのこ・大根・玉ねぎ・枝豆を炒める。ダシしょうゆ・さとう・みりんを入れぐつぐつ。干ししいたけ・奮発して買った乾昆布をはさみで切り、入れて味付け。
0時を回って、冷えた残りご飯と共に夕食。豆腐は明日に回す。

一度消灯。ネコのように眼がぎらぎらして眠れず。
夜更かしはカラダに良くない、と書かれた「生き方本」を夏以降たまにめくっていたが、懲りない。
暗闇でミニラジオから流れる爆笑問題の番組を聞く。

眠ったかどうか、覚醒との境界をうろつく。ラジオ番組の中にこちらから侵入し、脳に侵入され。明け方は分かった。6時過ぎ、寺ちゃんの声が聞こえた。

2014年11月5日 水曜日 今朝も12℃

アラームを消し、ラジオをつけ、しばらく横になったまま。だるくしんどい。夜更かしと酒を後悔。15分後起き上がる。
まぶたが腫れてる。目薬を射す。
やかんで湯を沸かし緑茶をすする。外はくもり、温度低い。冬の予感。

貼り込んだ残りの紙ゴミ類を袋に入れ、ゴミ袋を締める。さかなのにおい。
左肩が張り、首が回らない。少しストレッチする。
ラジオ「グッモニ」。ぼーっと聞きつつ緑茶を飲み、昨夜貼ったスクラップをめくる。まだ醸造に達していない。どのページも。

朝風呂でからだをぬくめ、着替えて外に。白い幕がかぶせられたカドの家。また一軒、古い家がなくなった。
ぽっかりと空いた空間。

都心に向かう電車。途中乗り換えると、時期尚早の暖房。熱い。電気のムダ。
文庫本「カスバの男」をめくる。mp3をボタンでチェンジしていくが定まらず。
レッドクレイヨラ、スロッビンググリッスル、トーキングヘッズ、ニューオーダー、ユーリズミックス、YMO。
仕事場に向かう途道の川辺。止まり木。鳥が風の中に立つ。

仕事場。
寒気・関節痛がするという後輩が来た。昨日朝、家に帰るのを勧めた翌日。彼の顔はもう紅くない。
三連休に食べた生カキにあたったらしい。風邪ではないと言う。
彼のせいではなく、こちらは昨日朝からノドに異物感がある。
大したことはないが、薄手の掛け布団一枚じゃ足りない時期かも。

昼、煮物のお弁当。一日唯一の一時間弱テレビ時間。
出演する伊藤聡子さん。この数週間、急に気になり出した盲点。
前には意識に無かった。熱病発症、対処薬無し。

きれいな白い肌、鮮やかな赤い服装がよく似合う。
急に美しさを発見し、うつむき加減の表情にはっとする。
語る内容の一切は聞こえず、ただ動く姿を眺めるだけ。話したりうなづいたり笑ったり、そのほうが静止した写真よりはるかに美しい。
透明な佇まいと嫌味のない上品さ、いつまでも眺めていたい気持ちになる。

高橋幸宏 1983年作品「薔薇色の明日(Tomorrow's Just Another Day)」より
B面 曲目:
1・偶然(Coincidence)  詞:幸宏、ピーター・バラカン/曲:幸宏
2・この地球という島(This Island Earth) 詞・曲:ブライアン・フェリー
3・Are You Receiving Me ?  詞:幸宏、ピーター・バラカン/曲:幸宏
4・Good Time 詞:幸宏、ピーター・バラカン/曲:幸宏
5・The April Fools 詞:ハル・デヴィッド/曲:バート・バカラック

ゲストミュージシャン:
細野晴臣、坂本龍一、ビル・ネルソン、白井良明、大村憲司、沢村満、矢口博康、近藤達郎、ピーター・バラカン、ピエール・バルー、藤井丈司
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2014年10月30日 木曜日 頭痛

2014-10-30 23:20:21 | 雑記帳
毎日どこかで始まる(であろう)頭痛への予感を覚えながら、今迄出会った頭痛を思い出してみた。
十代はじまりの頃はちょくちょくと頭痛持ちの時期があったが、それはしばらくすると去るという具合で、現れては忘れるように消えていった。その面では、じんましんやしっしんと同じである。
じんましんブームみたいなもの。

今日思い出せるのは、幼少から数十年続いた、毎朝の吐き気と頭重感。その後、高校生では毎日ちんぷんかんぷんでわからない授業から、排球部練習を経て、夜深夜まで聴く音楽とラジオを通してツーンとした頭痛。朝から深夜まで断続的に続いた頭痛。これは頭痛というよりも、精神の苦悩そのものの痛みか?そこに胃かいようも加わって。

その後二年は、放浪の最中(さなか)絶えず消えずに脳内を満たした、沁みるような痛み。それと幻覚が繋がっていた1985年1986年の冷や汗、恐怖。
魔物はしだいに悪意をむき出しにして体内で暴れまくり、それを鎮めるために、最期は自らにやいばを向けて突きつけた。

どうしても私の生と日々の中には病みがまつわる。別に頭痛だけのことじゃない。インネンを付け、絡んでくる。アタマから常に去らないで居座る。そういう特性を持つことは事実なので、否定しようがない。
こうやっても生き抜いてきた者もいるのだから、あまり深刻に考えすぎず、という少しのなぐさみになれば。

数日前、月一回通っている定期健診だった。この一か月続く頭痛。本当に頭痛だけのことか?気になる。
主治医「最近はどうですか?」と尋ねられる。
私「この一か月奇妙な頭痛が去っていかなくて。。。脳の中身がぐるぐるっとするときがありましてね、まあ。。。」

そう話すと、主治医はちょうしんきや血圧を測り、眼に光を当てて瞳孔を調べ、合図に合わせた動体視力や指の動き、筋力テストをした。
主治医「ボクは大丈夫だと思うけど。。。CTスキャナーを撮りますか?」
私「こういう機会じゃないと撮影できないから調べてください。」
撮影結果の診察は来週となる。

私「調べるのは是非。ですがクスリはごめんです、10種類から1種類まで、ここまでやっと減らしてきたから。服用したくないんです。」そう私が訴える主旨を先生は重々理解していた。
主治医「それでも頓服として5錠だけクスリ出しておきます。」後は任せるよ、という意味。

昨年の10月今頃は、親の生死さまよう中、世間の残酷さ、時が進む残酷さを味わっていたが、今年はそんな苦しみはない。病床に置いたにんまり笑うカボチャの置き物。今じゃ実家の陽当たりの良い窓辺で草花と一緒に日なたぼっこをしているだろう。

私的頭痛に効く音楽かどうかは不明だが、今夜は明日の「あの日」に向けてベタな曲名だが、「やっぱりこの曲」なのだ。昨年聴けなかったし。
今夜、室内は19℃。まだけっこうあったかい。

■ジャパン 「ハローウィーン」1979■




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2014年10月27日 月曜日 冷めてはいない

2014-10-27 23:32:26 | 雑記帳

1988年11月いろえんぴつ画
今の東京の「日雇い仕事、たんまりあるでぇ」というどんちゃん騒ぎは、仕事が無いとお嘆き・・・のはずだった者へ愛をこめた、一応まかりなりともメシが喰えるスペシャルサーヴィスのプレゼント。
古く入り組み、時間が層となり堆積した一帯を「平気なツラして」時空までをも消し去ってゆく。これと3・11の差は、現象面では異ならない。相手が自然か、どうか。

四角四面マンションとプレハブ小屋とおぼしきユニット構成のつまらない右ならえ“まいほーむ”が、がんがん建つ東京。流入してとどまる田舎者が増加していく。

流れ者・脱獄者・ヤク中・アル中・・・誰だろうが、関所も無く何も問わずに、闇の影にそっとかくまい・受け入れる東京。ここに流れつく田舎者が増加していく。それは昔からそうだし、その異文化圏人との衝突が今だって、何か新しいものに繋がらないことはない。だが、と思う。それが劇的起爆剤となったのは過去に過ぎない。

ただでさえ地方に亀裂が生じている。地方に限らない、多摩ニュータウンに代表されるように東京だってそうなのだ。高齢化と過疎化が進み、地域所帯として維持出来ない破産前。オリンピック予定地・東京都心のみの経済を回そうとすれば当然地方の若年層は減り、地方は空洞化を更に促進させる。

このような事実全体に対して、政治家もそこにぶら下がった大多数の企業等支配者も、正直どうでも良いと思っている。中枢機能さえ維持出来れば、という程度で、大して考えていない。とにかく今カネが入ればよくて、中長期的視野は欠落している。裏取りはしていないが、大方そんなもんだろう。

ほんとうにつまらない都市部になったと思う。何もかもがシステムに乗っかった「未来」は、こんなつまらないよ、と手塚治虫さんらのマンガは訴えていたのに、結果そこに辿り着いて、やはりつまらない未来が現実化した。どこを見ても、どこを切っても金太郎アメのようなものしかない。

つまらなければ、つまるように自分を別の時空に突っ込むしかない。だから、自分は東京と呼ばれる場所には居るが、ここが東京か?と思われる辺境に住まう。そこが面白い。

しかし、ここにすら次第に魔の手は忍び寄っている。平成平準化させるべく、異端や出る杭を叩き潰していく光景を見る。それでも何かがあるはずと、どこかに向かおうとする何かを探り、そのアンテナだけで日々の航行は進む。

ようく悲観主義とかシニカルな言われ方をしがちだが、本人だけはそうも思っていない。そう言えてしまうのはヤセ我慢か?それはゼロではないけども、そのやじろべえの一方には、それでも本気で面白がる能天気がある。確かに伴侶たちの死を受け入れざるを得なくなり、やじろべえのバランスが若干片翼飛行とはなれども。

しかし、他人に映る像とはどうも異なるらしい。というか、この程度の言いクチや、日々昼間のクチの悪さを、その程度でしか捉えらない他者ばかりになった,、と思えばいい。

本当は、空洞化していく地方都市の方がこれから劇的に面白くなるはずだ。(今も面白い場所はたくさんあるが)今後見捨てられていく地方都市に住んでみたい、とよぎることはこの所何度か体内を通りすぎる。

日々労働の場に、一日の半分も付き合っていると(その場でも“おもろく”しているが)いろいろ腐ってくる。あとは、今四分の一レベルのみ関わっている仕事をいつやめて、いつ別にシフトしていくかの算段だけ。
おもろくなければ、生きていても意味が無い。つまらないなんてゴメンだ。他人も支配層も何一つ、こちらの保証などしないのだから、自分で動き続けられる力を持つことが日々大事に思う。

□おやすみミュージック□

■コクトーツインズ 「天国か?それともラスヴェガスか?(Heaven Or Las Vegas」1989■




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