
1冊オススメの本を紹介する。
どこかの古本屋さんで出会ったもの。
発売は1999年の初版本。
上原隆さんの「友がみな我よりえらく見える日は」というタイトル本。
幻冬舎アウトロー文庫より。
何度も、時折手に取るため、かなりぼろぼろ。
「友がみな我よりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ」(石川啄木)
***
巻末の解説を村上龍が書いているが、かなり核心を付いた良い文章だった。
この本は、いくつかの話に別れている。
それぞれは、リアルな1人・1人の生活、そのものを取材して、ありのまま表記されている。
そこには着色が無い。
「ホームレス同然の生活を続け、妻子からも捨てられた芥川賞作家・・・
その容貌ゆえに45年間、一度も男性と付き合ったことのない独身OL・・・
人は劣等感にさいなまれ、深く傷付いたとき、どのように自尊心を取り戻すのか?
読むとなぜか心が軽くあたたかになる、新しいタイプのノンフィクション。」
巻末のコトバ。
格差社会などという言葉がまだ生まれていない時期だったが、既にバブル以降、近代化と経済合理主義に依って疲弊した「個人」が背負った重い重い重圧は、既にこの本に収められている。
村上龍はずばり言う。
「TVにもメディアにも取り上げられない、でも実は本当のリアルな現実がここにある」という風に。
***
自分が一番心を動かされたのが「容貌」という一話。
浜松町から5分の会社の経理課に勤める彼女は、毎日17:30きっちりと帰り支度をして、山手線で新宿に抜けて、そこに停めてある若草色のサビだらけの20年使いこなした自転車でビル街を抜けていく。
独りで食事を摂る。
食事は1日1000円以内、飲み物は水、行く店も数店と決めてある。
食後自転車をこぎ、ワンルームマンションに帰る。
外に停めるとお金を取られるので、家に自転車を入れる。
ガスも電話も使わないので、基本料のみ。
風呂場はあるが、そこは使わず、浴槽は服などの収納にされている。
風呂は銭湯に行く。
洗濯は下着類を台所の水道で洗い済ませ、あとはコインランドリー。
コップが2つあり、ノブちゃんとめいちゃんという小さいフィッシュが居る。
夜には、かかさず日記を書く。
45歳になって1つの決断をする。
カメラマンにヌード写真を撮る依頼をする。
自分に対する記念として、その写真を箱に納めた。
むかし、母と一緒に子供の頃、買い物で歩いていたときに「あんた、南雲さんに行く?」
南雲さんとは、美容整形の外科だった。
母が冗談で言っているのではないことを、彼女は理解していた。
***
この話の最後の部分を引用する。
「・・・午前0時。銭湯から帰ってくると、ベッドに入って本を読む。
木村はこの時間が一番楽しいという。
本を読んでいて眠くなったら、電気を消す。
明日もあさっても同じ暮らしが続く。
新宿の街の灯で窓がうっすらと明るい。
シューッという車の音が絶えることなく聞こえる。
窓際に干したパンティストッキングの影がベッドの上にのびている。
床に横たわった風船の熱帯魚が青白く輝いている。」
この本には、さまざまな人の本当の生きるありさまが、そのまま投影されている。
彼女も、同じ東京で同じ空を見ながら、必死に自分の在り方を模索しながらも、このような生き方にたどり着いた。
切ない実話が多数収められているが、すべて身近に一緒に同時代を生きている人なのだと思えば、多少の安堵がある。
まるでカッコイイかのようなコトバや劇的な事柄ばかりが、この世ではウサン臭く腐臭を放ちながら漂っているが、そんなところにリアルな現実は無い。
そのことを、この本は示してくれている。
カッコヨク生きるなど、夢を持つことは良いことだが、妄想、まぼろしでしか無いのかもしれない。
夢を持ってしまうから一喜一憂してしまう。
しかし、何も持たずに生きられるほど、人間は強くない。
そのはざまを揺れ動くことが人生なのだろう。
_______________________________
PS:既に本のオビがボロボロで切れてしまったが、素敵なコピーがあったのを思い出した。
「人はみんな自分をはげましながら生きている。」