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誰かになにかを伝えたい人。音楽が好きな人。とにかく誰でもいいです。
旅と音楽を愛するわたしと友達になってください。とにかく、誰でもいいので手紙ください。ずっと、手紙待ってます。
切手入りだと嬉しいです。(A市 HG 15歳男)
メディアを通してでしか、自分の存在を確認することができません。不安です。
いっしょに考えてくださる方、お手紙ください。(B市 チエ 18歳女)
最近、空虚なものが心の中に広がり続け、何もかもが無に思える自分ですが、友達が欲しいです。
きたない飲み屋に連れていってくれるお兄さん的な人、手紙ください。(C市 E子 21歳女)
精神の臓器があると思っている人、手紙ください。
哲学、宗教、革命、どんな類でもいいですが、かしこい人はいやです。(D府 座敷子 25歳)
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こんな「文通」の通信欄。
古いと笑う人が居られたら、キミは安心。ボクは不安。
今はネットで瞬時にコミット出来るが、求めていることは同じ。
目的は様々。
ただヤリたいという下ココロ、淋しい中での同志を求めるもの、同じ趣味嗜好を持つ人へのサイン、宗教団体の勧誘の一端・・・。
自分は、小学校時代以降もらった年賀状や手紙をほとんど捨てずに持っている。
そんな中に混じって、自分もこういう文通通信欄に載せた相手からもらった手紙が残っていたりする。
今では情報要素が電子媒体で見分けが付きやすいが、当時は砂漠のように繋ぐ媒体が少ない中であったので、もらった手紙は逆に自分に突き付けた。
「自分と同じ趣味嗜好なんて持つ人など居ない」のだと。
ナンパなり出会い系と呼ばれるものを笑えないのが、実は肉欲こそが他人とコミットしやすい一番早い手段かもしれないこと。
精神という見えないものでコミットするのが如何に難しいか。その距離の遠さ。
らもさんが「セックスで始まる恋」で言わんとしたことのように、まずは肉体で確かめて、そこから始めれば良いというのは、ある種真実かもしれない。
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人間には一人になりたい時と、一人では居られない時がある。
但し、一人ではこの世では生きてはいけない。
社会に取り込まれながらも、如何にして居心地の良い日々の配置と他人との距離感を獲得するか。
それが課題。
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孤独は時に心地好く、時に悲惨になる。気まぐれだが、そんなものだ。