こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年9月29日 日曜日 「平成二十五年」

2013-09-29 13:47:14 | 雑記帳
このところ空いている少ない時間は、撮り貯めた寅さんばかり視ている。
すっかり心は、あの頃のあの下町に戻っている。寅さんを視ている時間だけ、救われるような気持ちになる。

もはや戻るに戻れないふるさと・生まれ育った三ノ輪。
「平成」なる元号も、今では四半世紀を過ぎるまでになったが、自分はやはり昭和者。
それは、単なるノスタルジーという意味/あきらめではない。
視えるもの・視えないものを含めて、自分の視野に映る・脳が認識は、未だ昔どおり。
まだまだ、昭和の匂いを残した時空に生き住まう現在だから、そう言うのでもない。

「東京」と一言で済ますことがよくあるが、済ませられないものが、23区と武蔵野の中には、未だにまだら模様に残っている。
いくらビルだらけの街に行ってすら、くるっとウラ通りに向かえば、そんな隙間に街の違う顔が、お地蔵さんのような顔をして、そこに在る。

よくガイジン<ガイジンとは東京の本質を知らない国内外者を指してだが>は、都市中心部の一側面のみを見て、それを東京と言うが、何もわかっちゃいない。観光地化して息絶えたエセ下町も、単なるフォルムとしての下町に過ぎない。

***

電車に乗れば、ガキのみならず良い歳をした大人までがゲームに熱中。
周囲を見渡せば、御神体のちっこい物体に向かって、スースー指を動かす宗教団体の方々が9割がたの奇妙な光景に出会う。
またスースーしながら、旨くもない食べ物店に並ぶ宗教団体の方々。
しかし、それは全体の一部でしかない。
宗教団体に属するのは、自分の主義では無い。そもそも「団体」=「群れ」には虫唾が走る。

***

幼い頃、休日昼にテレビは、牧伸二の弾くウクレレに乗せた生放送が映っていた。その放送を思い出すときには、昼ごはんに焼くシャケの匂いがぷーんとだぶる。
また、午後には、テレビでやる映画を時折観ていた。
大好きだったのは、森繁・フランキー堺の駅前シリーズだった。

今はもう無い日本堤の三叉路に立った映画館。幼児の頃、その横、吉原大門に向かう道で遊んでいた。
映画館を見上げると、広告ポスター、そして大きな看板。
その映画館は、ピンク映画と日本映画を同時開催していた。まだ怪しい空気が一帯に在った。
ようく、寅さんの「男はつらいよ」のポスターと看板を見ていた。

幼少の頃、映画館やテレビで観た「男はつらいよ」での楽しかった寅さん。
その後、そして、今、大人になって観る寅さんは、ただ楽しかった、という想い以上の感情を呼び覚ます。

PS:たまに寅さんを「国民的スター」と言う奴が居るが、聞いていて笑ってしまう。
国民?とは誰のことを指す?
むしろ、そういう連中の様に歯向かった者が居なくなったのを良いことに、勝手にスターなどと呼んでいるだけ。
相変わらず、国民、なる、そう呼ぶ存在/呼ばれたつもりになっている存在とは、ずいぶんと都合の良いものだ。
コメント (2)
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