こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年11月12日 水曜日 風邪っぴき中雑考

2014-11-12 22:28:25 | 音楽帳

さっきむさぼり喰った「チョコパイ」の空きぶくろが、1・2・3・・・
昨夜は、チョコアイスをむさぼっていた。

ノドはヒューヒュー鳴り、セキをするとぜんそくみたいに苦しい呼吸は、昨夜で終わった。
ホーミーでもやってみようか、という冗談は通り過ぎたから言える。
終わった、というには甘いが、昨夜よりはラクになった。セキ・ハナ・頭痛・関節痛・脱力は変わらぬ。

風邪はクスリなんかでは治らない。栄養と休養である。
というのは持っている本やネットからの知恵だけど、その通りだ。

昨夜、どれだけぶりかの休肝日。
病床の幸福、と昨日書いたが、せっかく病気になったなら楽しむべし。
心身の状態が変化し、気弱になるからこそ視えるものがある。

今日も早々に仕事を上がり、電車のカベに貼りついて、それを支えに帰る。
部屋に着くと、ごろんと横になる。

苦しい帰り道、脳に浮かんだのは「音楽だけが音楽じゃない」という言葉。
ただ言いたかったのもあるが、放浪の旅さなかでラジオや音楽を聴いている時間が特別多くなった昨今、何だかそう思う。

それはフィールドレコーディングなる類のCDがあったり、アンビエントという分野の実に広く豊かな領域のことでもあるが、それだけでもない。

写真を撮っていたり、そんな街の一角に独り佇んでいるときの風景・風や周囲の匂い、色。
あるいは、街のとある喫茶店に飛び込み、お茶を飲み、外の風景を見ているとき。
すっかり日が暮れ寒くなった日に、外からお店のガラスにディスプレイされた明滅する何かを眺めているとき。

いたるところに、音がありそうな気配。視覚にも嗅覚にも皮膚にも。
うまくまとまらないのだが、そのような何かがあるという気がする。

少年の頃、ブライアン・イーノの持つ得体の知れない不気味さに魅かれていた。その投影は、あるときはうつむいた顔の細野さんや教授だったり、ジェネシスPオーリッジだったり、トレヴァー・ホーンだったり。

そこに在ったのは、ウラから手を回し、音を通じてオルタナティヴワールドに連れ去ろうとする”たくらみ”。
ブライアン・フェリーが言った「アナザー・タイム、アナザー・プレイス」、ここではないどこかへ。
一人、一人とパワーを放射し、洗脳し、その音でココロを射抜き、今まである価値を全て転覆させようという沈黙の意図。
実際、転覆するさまを見てきた。

***

このところmp3プレイヤーに入れたグレイス・ジョーンズのアルバム「スレイヴ・トゥ・ザ・リズム」を掛けることが多かった。
最近はアルバムを通して聴くのは、前述のとおり室内ではなく、旅の途。

作品発表当時、最先端だったサンプリング機械“シンクラヴィア”を使った作品。タイトル曲の星が輝くようなキラッ・・・という音のリアリティは、異世界にひきづり込まれそうで、当時ひどい精神状態だった私には怖かった。

なんで今聴いているのか?は、ただの気まぐれ。
12インチシングルは当時よく聴いたが、LP全体を聴いたことがなかったのだ。
発表から29年経て聴くアルバム全体は、難なく耳を流れていく。強くなったものだ。
おおもとの曲「スレイヴ・トゥ・ザ・リズム」の各パーツ音を用いてバリエーション展開して1枚のアルバムに仕上げている。
ZTTのトレヴァー・ホーンらしい作り方。

グレイス・ジョーンズで私が個人的に愛しているのは1982年作品「リビング・マイ・ライフ」。
この作品はアイランドレーベルらしいレゲエや南洋の匂いがあって、夏になると聴きたくなる。
一方、出会ったときが冬の寒い頃だったのもあり、「スレイヴ・トゥ・ザ・リズム」は夏の盛りを過ぎた今から冬向けだろうか。

今日もまた思いつくままの、とっちらかった文章。
それでも良い。私にとっては、何かのKEYになっている。
コメント
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