こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年11月20日 木曜日 人はゲスのみに生きている。

2014-11-20 22:50:46 | 音楽帳

どこまでを秋、どこまでを冬
とするかは、誰もが決められない。

しかし今夜の冷たい雨が、美しく色付いた紅葉を散らしてしまうのだったら、もう冬と呼ぶしかない。
つい、そんなことを言わざるを得ない日になった。進軍した葉っぱ隊も水に流れている。

今朝はついに10℃を切り、身を震わせる夜明けだった。
太陽さんは午後になると、早々撤収準備に取り掛かり、すぐに陽が赤くなってしまう。
夕方5時も過ぎると、暗さと共にしんしんと冷え、次の電車を待つ駅のホームで吐く息が白くなる。

地方都市からの帰路途中、百貨店に世間調査かねて食料品街をうろつく。
ワイン・ぼじょれなんたらの周辺に群がる者ども。悪しき形骸パターン化したMONO&資本主義に飼いならされた民の合体。この国の腐った絵図。

やはり静かな島に戻ろう。そう思う。うるさいだけだし。
カサを忘れ、濡れながら帰る。

***

ブライアン・フェリーの新譜「アヴォンモア」を昨日・今日と聴いている。
心地良い風のように耳を通って、ふわふわしたシュークリームのように流れ去り、消えて行ってしまう。

しかし、批判する気にはなれない。むしろ逆。
「ああ、また同じ撫でかえしだ」と聞こえる声。
多勢に無勢とばかり、えらそうに狭いところに追いやる者を無視し、その無勢側である私なりの「言い換え」が体内で機能する。えこひいきをする。
昔から今に至るまで、道の中央を堂々と歩いている奴にロクな者はいない。

きれいごとを言うつもりはない。
女は大好きだし、野蛮や堕落にこそ宿る蜜の味も知っている。
野獣のようなセックスの快感を経験しても、人でなしと呼ばれても、下衆とは無縁でいたい。

誰かがフェリーの作品を「ワンパターン」と言っても、私はそんな”音楽品評会”に参加したくはない。
世間・悪しき会話ノイズとは別の時空に生きていくことは変わりない。
「世間の外」で「君」と会って話したい。

確かに「アヴァロン」で完成された世界、その流れからの飛躍は無い。
じゃあ、どこの誰が、こんな心地良い音を産み出せるのか?はなはだ疑問である。「アヴォンモア」を明日もあさっても聴いていくが、今は7曲目の「Lost」に愛着を覚えて、それを繰り返し聴いている。

「君」には聴いてもらいたい。
そう思いつつ、独りさぶい部屋でヘッドフォンをしてカチカチ、君に贈るCDの選曲を今夜もしている。

■Bryan Ferry 「Loop De Li」2014■
コメント (4)
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