土曜、日曜と今週も、四十余年前と同じ小旅に。
今と昔の違いは、自由自在になるカメラを持つか否か、自由自在になる小金を持つか否か。
気持ちは、あの幼稚園児の頃と変わらないように思う。
二日を合計して3万余歩の旅。1,000枚近く撮った写真は整理付かず。
足腰が痛い。帰ってうすーいお湯割りに自家製梅を浮かべつつ、愛する寅さんの映画を見ている。
寅さんの長ぜりふの口上がココロに沁みる。
小金(こがね)を持てるようになったお蔭で、途中からバスに乗る。
昔は数十円、今は210円。だけども、バスが独特なのは、同一料金でどこまでも旅に行けること。
このまま、消息不明になろうか?と思うようなものが、バスにはある。
バスに乗るといつも、大学時代に、私が入った美術部で知り合えた先輩を思い出す。
とある多摩地域・とある重要なターミナルポイントのエリア。地元では有名な御曹司。
彼は精神を病んだという形を取りながら、卒業を阻まれて相当な年数大学に居た。
多くのヒトは、うとましくシッシとしたが、ぼんやりした私は、彼とよく接していた。彼の家まで行き、泊まったこともあったが、それは小学生の頃、夢中になって読んだ江戸川乱歩の小説に出てくるようなお屋敷だった。
彼が魅力的だったのは、描く絵のみならず、文章も。
そんな一つに、ポケットに握りしめた小銭で旅を、というバスの旅だった。
私がバスに乗る時、いつも彼のことを想う。
そして、彼の文章にいつも想起したのが、彼に出会う1・2年前のプリンスの作品。
「Around The World In A Day」。一日で世界一周。”世界”は、決して飛行機に乗らなくたって、みんなの身近なココにある。
彼が愛したハイライト。美しい顔立ちであり、いつも正装の彼はDavid Sylvianのような憂鬱さをたたえながら、ハイライトをせかしなく吸う。
ココロは、どこかにさまよった眼で。あの喫茶店のシーンを思い出す。
■プリンス 「ポップ・ライフ」1985■
地下鉄はラジオが聴けなくなったり・降りたり登ったり・外が見えないという点があり、時空が寸断されるため、休みに出来るだけ乗りたくない。
そんな中、そういえば”バスがある”と最近はバスで外を見ながら移動することが多くなった。
何をどう言われようと「ポップ・ライフ」は永遠に錆びない。