22日 日曜日
写真を撮る、パソコンを操作する。いずれも”頼り”としているが、それあって成立する記憶というのはどうも頼りない。そう言いながら、こうして写真やパソコンに頼っている事実。要は”かたちんば”である。
本屋で偶然出会った小林弘幸さんの著「”あきらめる”健康法」。立ち読みして、ここに何かがあると魅かれてYOUTUBEでラジオ放送を聴く。
すると、声や話し内容から既に知っていたことに気付く。日曜日TBSラジオのお昼に(大阪時代お世話になった)道上洋三さんの放送を流しているが、そこにゲスト出演したのが小林さん。数週間前のこと。
「私は健康オタクではない」と言いながら、それでも気にしている。その一方で読み始めた(これまた偶然出会った)池田清彦さんの著「やがて消えゆく我が身なら」の2つ目のエッセイに『ガン検診は受けない』という章。
2010年・薬で肝臓を壊した自分が知った事実、2013年・親の看護で垣間見た医療の現実。そこから日本を包みこむ大きな巨大利権(製薬会社・健康食品・医療”業界”・介護ビジネス等)ダマシのえげつなさを知るが、池田清彦さんは達者な文章であからさまに・明快に核心をずばっと書いている。
小林弘幸さんがラジオで、自律神経を整えるために”一日をたった三行で日記とする”重要性を説いていて、すぐ試そうとする腰軽い自分はやってみたが、ふだん長々と書いてしまうので確かに容易にまとまらない。「なるほど」と思うと同時に、情報や機器”頼り”世界から逸脱しようとしながら、それでもペンを持って三行で”くくろう”とすると、内観不足。
日記やメモはペンで書いているものの、それは随時であって、一日の終わりに「振り返って集約してみろ」と自らに問うてみると難しい。
それで、結果煮詰めたうえで22日をくくるなら。。。
バスも活用して街を歩いた中で、やたらと人が湧いて出た日であり、人ゴミ嫌いな自分には穏やかではなかった。
しかし、近所のいつものお寺に行った際、初めて会ったお寺のワンちゃんの寝顔が、何とも言い得ぬ穏やかさだったこと。お蔭でお寺の奥さんと知り合いに。公園では、おなじみのネコみんなの食後の昼寝姿。さわやかな風。「生き物たちには幸福でうららかな春の日」だったのだ。
歩くさなか聴いていた坂本龍一先生の「VRIOON」。エレクトロニカが産まれた2000年前後以降の教授作品はやはり素晴らしい。80年代YMO周辺の音に親身じゃなかった記憶の渋谷陽一さん。その渋谷さんが教授と対談していたラジオ番組で、(当時の)新譜「サンドル」を絶賛していた。
風の音が鳴る収録曲を聴いていた日を、歩きながら想い出していた。2人が会話する空間と「サンドル」の音が心地良かった手触りがよみがえる。
■クリスチャン・フェネス&坂本龍一 「HARU」2007■
23日 月曜日
朝快晴。朝風呂のせいもあり、コートを着ての外出を暑く感じたが、夜北風と冷え込みに逢う。ヘルニアから来る指のしびれ出た。
朝と夜、同じ道でソメイヨシノの花が開いた姿を見上げた。帰って放出するCDを選びごそごそしているとピシッと一瞬揺らぎ。そばのラジオから埼玉で地震の放送、その後これを書いていたら岩手で地震の放送あり。土日歩いた足の痛み、眼・首の痛みがつらいので風呂沸かす。
明日は紙に書いたメモから自動変換を借りずに、書き起こしたい。
PS:全然、三行にならず。修行足らず。