こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年9月1日 火曜日 秋・雨の上野公園

2015-09-01 23:25:08 | スケッチブック

気が付けば不思議な夏・・・。
一風堂(土屋昌巳さん)のオリジナルラストLP『ナイト・ミラージュ』収録「アフリカン・ナイト」一節だが、ほんとにお盆(失礼:梅雨)は明けたのか?という蒸し暑さをひきづりながら、そこに35℃越えの焼けつく日々が続いた今夏。

そんな悪魔も8月最後の週に入ると、一気に30℃切れへと失速、はうれしい想定外。
歩きシャッターを切る像には、既に秋の色味が見えていた。そして、8月が終わり9月へ。。。

この季節が一日でも長く続くといいな。。。
まるで小さい子が言うような口調で女の子に言われて、そうだね、と返す。

”おしごと”は盆明けから、クニが決めた意味不明の”余計な配慮”=9月5連休対策へ。
その途上・休んでいる場合じゃないが、ルール上・夏季休暇を消化せねばならず、今日休みを取った。

雨が降ったりやんだりのぐずついた天候。それもまた良し。
室内に居ると窒息しそうなので、外に出て歩き出す。降ってもやんでも外に出るから、あまり違いはないのだが。

***

観に行きたいと思い、チケットを買っていた展覧会も”いずれ”と言い訳をしながら後送りしてきたが、開催終了に近付き、いつもは行き当たりばったりの自分が珍しく目的を持って歩き出す。
この日曜で終わる『伝説の洋画家たち -二科100年展-』へ。

戦後の匂いを長く保ってきた上野。
駅前”じゅらく”から並ぶ通り、上野公園の噴水、そのスキマに住まうホームレスの人々の構図。それらはとうにローラーで”浄化”するべく体制に殺され・消えた風景のなかを痴呆気味に歩く。

9月1日・そぼふる雨は見える風景を曇らせたが、それは過去と今日を橋渡しして繋げてくれた。展覧会が開かれているのは東京都美術館。ふだんは「都美館(とびかん)」と呼ぶ。

ひさしぶりの感じがする。
常に燃え続ける画家・横尾さんの三叉路シリーズ展やムンク展など、ここで観た時のインパクトの残像がよぎる。
もっと言えば、大学時代アルバイトでココの搬入のチカラ仕事をしていた頃。

著名な絵画展は、絵の扱いが大事なので任せられず、おおむね一般人の絵画展・書道展だったが、絵を搬入してフロアに掛けていく仕事は割りが良い”とっぱらい”だった。
1日で8,000~9,000円くらい日雇いで貰い、夕方には解放される。
そのお金を持った帰り道に、小銭程度でコーヒーや缶ビールを呑む。そんなしあわせの瞬間を想い出した。

雨降る上野公園を歩いている最中、さまざまな音楽が脳内を流れた。
デヴィッド・シルヴィアンの「9月」、レイン・トゥリー・クロウ「ブラックウォーター」、ジョン・フォックス「雨上がりのヨーロッパ」。。。etc。自動生成に任せる。

展覧会は、平日にしては意外と人が居たが、おだやかな年配の方が中心で心地良かった。
もはや亡くなってしまった”文壇”も、こうした”画壇”にも、大いなるウソが含まれるので複雑だが、好きな画家である岡本太郎・佐伯祐三・長谷川利行・山口薫・藤田嗣治の肉筆には興味津々だった。

良い絵もあれば、そうではない絵もある。

それは常それぞれの人の生きてきた路とこすれ合うものだから、インターネットやデジタルで理解できるものではありえない。百人百様。だから観に行く。くだらないメールバトルを明け方しているヒマがあったら、雨だろうが外に出て、雨に打たれたほうがマシだ。

これは絵に限らないことだが、絵を見るとその横に在る作者が生きた時代の数字を見て計算してしまう。それ自体は昔からのクセだが、今では肉薄した事実。

長谷川利行 1891-1940

そこに刻まれた数字と今の時代への距離、そして、自分年齢で”あと何年”と計算してしまうクセ。
[私が彼なら死んでいる]
80年代と今を測る長さに倍率を掛けてみると、100年ごときなどあっという間の花火に過ぎない。
最近はそう思う。そう思ってから、明治・大正の人たちがぐんと近づいて感じられる。

大阪生まれ(失礼:京都生まれ)、酒呑みでアナーキーな印象の強い長谷川利行。
かつて『美の巨人たち』で見て、記憶に刻まれた「タンク街道」が浮かぶ。
形状は違えど、幼少から三ノ輪は下駄屋・荒木さんの実家から浄閑寺を左にして、なだらかに傾く延長線上・遠景に見ていた、南千住のタンクを描いた絵。荒れた筆のリアリティ。
この展覧会では浅草・神谷バーを描いた、という作品。走らせた絵筆とはねた絵具の痕跡。

薄暗い中、観る人がうごめく。
しかし、これを描いた人たちはもう居ない。
絵だけが在る。
それが、存在する絵よりも印象に残った。

絵だけが残る中をうごめく人々の姿にシャッターを切りたいが、そうもいかぬ。
とある画家の静物画の説明に書かれた言葉。「物がそこに在る、という不思議」。
その画家はそれに導かれて、病気で外に出られない室内で静物画の魅力にとりこになったという。



■ウラミジール・コスマ 「センチメンタル・ウォーク」(映画『デイーヴァ』サウンドトラック)■

ああ、やっぱね~っ、といくら思われても、雨の上野公園のリアルな風景を目の前にすると、未だ好きな映画「ディーヴァ」の美しさを想い出す。

「絵を描くことは、生きるに値するという人は多いが、
生きることは絵を描くことに値するか」(長谷川利行)


「美の巨人たち」(2002年7月27日放送)で見たものをパソコンで取り込み印刷してノートに貼り込んだ当時。
その2002年ノートを、今一度めくる。




コメント
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