案の定、日が明ければ、私利私欲だけの連中の渦に巻き込まれ、くだらない三文芝居にハナをほじりながら適当に付き合い、深夜帰路を辿る。
ひたすら根絶やしにせねばならないモノ者が、書く手帳に増えていくだけのこと。それだけのこと。
野外の空気も空も数少ない味方。
島の夜の暗闇、その道をよぎるネコたちに出会う。
帰路でデペッシュモードを聴いていた。
電子音楽に感電した落とし児、みなし児みたいな気分で、広い空の下、電子のシャワーを浴びる心地良さ。
”なぜ?月夜に電子音楽を聴くの?”そんな論理的整合性など欠こうが欠くまいが、流民のじぶんが知ったことじゃない。
■Depeche Mode 「Shine」2001■
多くの”その手合い”の本が書いているように、80年代初頭に花開いた海外テクノで、結果的にそのたましいを貫き・多くのフォロワーを産んだのは、ニューオーダーとデペッシュモードだろう。
メンバーの死(にかけた)危機を超えて発表した2001年のアルバム「エキサイター」を買って聴いたのは、数年前のこと。相変わらず咀嚼するスピードは遅いので、ちゃんと良いモノと響いたのは最近のこと。
”生き伸びたから”といって、決して保守的にならず、不可思議な響きを音に感じるあたり、彼らのフロンティア精神は失われていない。
このアルバムも、歩きシャッターを切りながら聴くと、なかなかの恍惚感を産むドラッグ。
2013年、手に入れたチラシ
「スーパームーンだからさ、今夜の月は。」そういう会話を、今日あちこち、いくつか聞いた。
じぶんはそういう専門用語を知らないし分からないから「それって、どういう意味?スーパームーンて、なぜそう言うの?」と幼児みたいに訊くと、誰もちゃんと説明できない。
勝手に酔えば良いが、四六時中外を歩く自分に、今夜の月が一番きれいとは思わない。
もっともっときれいな”お月さま”が浮かぶ日の夜を体験してきたから。
近時では、7月25日隅田川花火の暴動を避けて、韓国街・三河島を歩いていた頃見た月の妖しさが浮かぶ。それは満月でもない。満月である必要もない。
科学的に計算された”一番大きい月”など意識には分からないはずである。
江戸時代、あるいはもっとさかのぼった過去の同志たちが歌を詠むくらいに美しい月を見た夜に、計測など左右していなかった。目の前に見えて感じた、というシンプルな姿だったはずである。
それなのに、そうメディアで言われているから、その夜だけ空に”すまほ”を向けるなど愚の骨頂に見えて仕方がない。