その後、翌朝から社会の汚泥にまみれ、そこを抜けて島に戻る。
ふとっちょ黒ちゃんが、今夜は独り公園で夕涼みをしている。
月~金。
秋は確実に来ており、仕事の行き来に歩いて可愛いどんぐりを拾ったり、早くもハロウィンのディスプレイを見たりとささやかな愉しい瞬間も味わったが、まだ30℃になったり蒸し暑いときもあったりした。
昨年9月、暗闇の道をラジオ聴いて突き進んでいた週末を思い出していた。
ジェーン・スー氏が「9月はなんべんやっても夏」と生放送で話す。その話しにヒザを打った。楽しい季節のお話しだった。
9月になり気を緩めて、夏物衣類をしまった途端に、ぶり返す暑さに「もうしまっちゃったよぉ」。
よくある話だが、歩く肉体全身で季節の移ろいを味わう中で聴くラジオから、そんな身近な肉体を確認することがうれしく思えた夜道だった。
しかし、今年は多少の残暑はあれども、どうやらそうはならなそうな気配。
9月に竹内まりやさんの「セプテンバー」が見事にハマるなど、長年遠ざかっていた。
服は大して持たず、黒ばかりの衣類。
季節にかかわらずTシャツだけは大事な基本。
そんな具合だから、世間さまのころも替えとは無縁。衣食住の「衣」はたいして影響はない。
mp3プレイヤー内に適当に浮遊する夏の残滓たる曲。
その一部をしまい、秋の曲を入れようとする夜。
○しまうもの(夏)
細野さん、清水靖晃、砂原良徳、井上鑑、鈴木茂、南佳孝、高中正義、サーカス、ポート・オブ・ノーツ、ブロンディ、ブームタウンラッツ、クリストファー・クロス、ロータス・イーターズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、フラ・リッポ・リッピetcの一部の曲をしまう。
夏が短かっかたため、大して聴けないまま終わった曲たち。
■Lotus Eaters 「First Picture of You」1983■
誰も現代に牧歌的に生きられるはずがない。
だが病弱のため牧歌的であることを強いられた自然詩人たちはいた。
かれらを語るときにいくぶんか、気まずさと恥部をさらけだす辱かしい思いに誘われるのはなぜだろうか。
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく冷たく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。
遠いアドレッセンスの初葉の時に。
そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。この狼狽と気まずさと恥ずかしさの根拠のうち、とりだすに値することだけをとりだしたいのだが、その前にいうべきことはある。これらの自然詩人たちの詩と文学とは、まず自身の恥部を臆面もなく晒けだしたものを本質としていた。
『その高原で私の会ってきた多くの少女たちを魅するために、そしてそのためにのみ、早く有名な詩人になりたいという、子供らしい野心に燃え』(麦藁帽子)ている『私』は、とりもなおさず堀辰雄のアドレッセンスの自画像の投影だった。
堀の文学はいくぶんかの度合で昭和の自然詩人たちの恥部と、その愛好者の恥部とを象徴することになりえていた。もともと堀自身は現実生活の貧苦を解せぬような、甘い育ちの男ではなかった。旧士族の裁判所勤めの父親とその家の手伝い女中のあいだに生れ、母の再婚先の彫金師の家に育った。向島曳舟通りの路地裏だった。
下町の裏店のごみごみした家並で、病弱であまり子供の遊び仲間に入りたがらない内気な彫金師の連れ子というのが堀の少年期の境涯だった。それは盲目的で濃い人情に囲まれて、それなりに愉しいものだったろう。
だが同時に貧困ゆえに夜ごとに朝近くまで繰返される父母のいさかいを、目醒めて聴き耳をたてるような幼児の体験から、人生の「最初の悲しみ」をしったのだった。
堀辰雄もその文学もそんな飴チョコになる謂れもなければ、甘美な憧憬のみを表象するはずもなかった。
(吉本隆明 歳時記 『夏の章-堀辰雄-』より/昭和53年[1978])