1985年、ニュー・ウェイヴがぶつかり大破する時点に向かって加速度を増し、サンプリングと機械の強いドラム・アタック音に埋め尽くされそうな音像のさなか、唐突に違和感を持って現れた「ドリーム・アカデミー」というバンドの穏やかな静けさに驚いた。
ドリーム・アカデミーの素晴らしいデビュー・シングル「Life in A Northern Town」の登場である。
個人的には、まるで、70年代のカーペンターズのメロディアスな面を想起せずに居られない、奇跡的な名曲。
ある意味、時代錯誤的ではありながら、その清らかなみずみずしさに満ちた曲に安堵した。
しかも、それはニュー・ウェイヴの軌道上にあったのだから、なおさら、不思議な「現象」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/22/9ab4d6facb6f4f45a2158ea755c72821.jpg)
僕は、アルバムジャケット・ヴィデオクリップ(MTV)・その音楽自体から、ずっと、てっきりヨーロピアンの音楽と思っていたのだが、彼らはニュー・ヨークの3人だった。
ニック・レアード・クロウズの書くメロディとヴォーカルは、まぎれもなく、どろどろ紆余曲折・混沌と化した80年代の「明日はより違う明日(ゲイリー・ニューマンいわく「エヴリデイ・アイ・ダイ」)【反意語は宮代真司せんせいいわくの「終わりなき日常」となるのだろう】」という、より前に、より変化して・・・という文脈的放射能を浴びることなく、それを全くスルーして、70年代からワープして生きてきた稀有な存在だった。
そして、それはポップスにありがちな「作り物」のデコレイトなど全く無縁の、まっすぐな「素」の状態での音楽との対峙から生まれたものだった。
ヴィデオクリップ(MTV)も本当に切なく、幼児の頃の想い出に浸るような美しい彩りに満ちている。
このドリーム・アカデミーは、以前に、まみちゃんに捧げる鎮魂歌として紹介した「ザ・スミス(ジョニー・マー&モリッシー コンビ)」のカバー「Please Please Please Let Me Get What I Want」という名曲もあり、当時のビールのCMでかかっていた「・・・・」(んんん・・・曲名が浮かばないが)・・・など4~5曲は、それは、とてもとても素晴らしいものだったが、残念ながら、この数曲以外は印象に薄い。
しかし、「Please Please Please Let Me Get What I Want」における、オーボエを担当する金髪美人、ケイト・セント・ジョンのバック・ヴォーカルも、まるで、ヴァージニア・アストレイを思わせるような癒しを感じさせる。
2枚目・3枚目のアルバムも持っているのだが、実は、ロクに聴いていない。
まあ、カーペンターズ(というか、カレン・カーペンターという女神)のような「奇跡」が、この世の現実には何度も起きる訳も無く、現在ではドリーム・アカデミーを代表する曲は、この「Life in A Northern Town」になってしまっている。
それは、余りにも、今までの人生を凝縮させた1曲であったがための不幸でもあったのかもしれない。
日本の演歌・歌謡界なら、その1曲だけでドサ回り営業とバラエティ番組への出演で生きていけるのだろうが、そんな小汚い世界と隔離して、彼らのこの気高い名曲は、永遠の想い出として、みんなの心の中にいつまでも、美しい輝きを持って、生き続けて欲しいものである。
僕も彼らの名曲たちを、死ぬまで忘れはしない。
ドリーム・アカデミーの素晴らしいデビュー・シングル「Life in A Northern Town」の登場である。
個人的には、まるで、70年代のカーペンターズのメロディアスな面を想起せずに居られない、奇跡的な名曲。
ある意味、時代錯誤的ではありながら、その清らかなみずみずしさに満ちた曲に安堵した。
しかも、それはニュー・ウェイヴの軌道上にあったのだから、なおさら、不思議な「現象」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/22/9ab4d6facb6f4f45a2158ea755c72821.jpg)
僕は、アルバムジャケット・ヴィデオクリップ(MTV)・その音楽自体から、ずっと、てっきりヨーロピアンの音楽と思っていたのだが、彼らはニュー・ヨークの3人だった。
ニック・レアード・クロウズの書くメロディとヴォーカルは、まぎれもなく、どろどろ紆余曲折・混沌と化した80年代の「明日はより違う明日(ゲイリー・ニューマンいわく「エヴリデイ・アイ・ダイ」)【反意語は宮代真司せんせいいわくの「終わりなき日常」となるのだろう】」という、より前に、より変化して・・・という文脈的放射能を浴びることなく、それを全くスルーして、70年代からワープして生きてきた稀有な存在だった。
そして、それはポップスにありがちな「作り物」のデコレイトなど全く無縁の、まっすぐな「素」の状態での音楽との対峙から生まれたものだった。
ヴィデオクリップ(MTV)も本当に切なく、幼児の頃の想い出に浸るような美しい彩りに満ちている。
このドリーム・アカデミーは、以前に、まみちゃんに捧げる鎮魂歌として紹介した「ザ・スミス(ジョニー・マー&モリッシー コンビ)」のカバー「Please Please Please Let Me Get What I Want」という名曲もあり、当時のビールのCMでかかっていた「・・・・」(んんん・・・曲名が浮かばないが)・・・など4~5曲は、それは、とてもとても素晴らしいものだったが、残念ながら、この数曲以外は印象に薄い。
しかし、「Please Please Please Let Me Get What I Want」における、オーボエを担当する金髪美人、ケイト・セント・ジョンのバック・ヴォーカルも、まるで、ヴァージニア・アストレイを思わせるような癒しを感じさせる。
2枚目・3枚目のアルバムも持っているのだが、実は、ロクに聴いていない。
まあ、カーペンターズ(というか、カレン・カーペンターという女神)のような「奇跡」が、この世の現実には何度も起きる訳も無く、現在ではドリーム・アカデミーを代表する曲は、この「Life in A Northern Town」になってしまっている。
それは、余りにも、今までの人生を凝縮させた1曲であったがための不幸でもあったのかもしれない。
日本の演歌・歌謡界なら、その1曲だけでドサ回り営業とバラエティ番組への出演で生きていけるのだろうが、そんな小汚い世界と隔離して、彼らのこの気高い名曲は、永遠の想い出として、みんなの心の中にいつまでも、美しい輝きを持って、生き続けて欲しいものである。
僕も彼らの名曲たちを、死ぬまで忘れはしない。